元号が令和にかわり、国民の皇室にたいする敬意も高まり、上皇の「お言葉」に始まった譲位への経緯も平穏にすみそうである。これは国民として喜ぶべきことだろう。
しかし、今上が即位されてすぐに安倍晋三首相によって行われた「内奏」が、テレビ画面に登場したときには驚いた。単純にいって宮中の外には公開されないから「内奏」なのであり、しかも、その内容すらも推測とはいえ報道されているのである。
あらかじめ言っておくが、わたしは内奏そのものが憲法違反だとか戦前の天皇制の復活だとか言いたいのではない。戦前・戦後を通じて、内奏は外には公開されないことが、ひとつの天皇制度をめぐる了解事項であり、いわばルールだったはずだということである。
正式の政権から天皇への報告は「上奏」として行われてきたが、これは戦前においても報告にとどまり、天皇に伝えたことによって「お墨付き」をもらうとか、政権による天皇への「提案」であるとは、元来、とらえられていなかった。それもそのはずで、天皇は「無答責」であるから、現実の政治は政府が行うものであった。
映画などで昭和天皇は「聖断」を行ったことが強調されるので、あのような事態が年中あったような錯覚をもつ人もいるが、まさに聖断をもとめた鈴木貫太郎首相が自伝のなかで述べているように、政治の事実上の責任は政治家にあって、天皇に実質的な判断を請うなどというのは、むしろ「不忠」だったのである。
それでは、戦前の天皇は自らの意向や希望を、政権に伝えることはなかったのだろうか。そうではない。それは「ご意向」や「ご希望」というかたちで、政治家たちが「おかみはどのようにかんがえておられるのか」という感触を得ることができた。
政治家が天皇に政治の意図を内々に伝えるのが「内奏」であり、天皇が政治家のトップに内々に自分の考えを伝えるのが「ご意向」「ご希望」だったのである。(この点について、拙著『山本七平の思想』の第七章とエピローグでの記述を読んでいただけると幸いです)
注意すべきは、「ご意向」や「ご希望」が命令のように常に実現するわけではなく、それは事実上、無視されることもあった。しかし、逆に、天皇自身がそれほど強い意向を示したのではないのに、お墨付きであるかのように「ご意向」を振り回す政府高官や軍上層部もあったことはたしかである。これはまさに宮廷政治の一種であって、きわめて微妙なかけひきがあった。
すでに述べたことだが、安倍政権は現上皇のご意向を巧みに政治に反映させることに失敗して、突如、上皇がテレビで「お言葉」を発するといった事態にいたり、それが今回の譲位へとつながっていった。これは、天皇の国事行為および公的行為について責任をもつ内閣総理大臣である安倍首相のまったくの大失態であった。
今回の安倍首相による今上天皇への「内奏」は、こうした失態への反省からでてきたものであるかのように見えるが、すでに述べてきたように、公開してテレビ画面に流すことを意図したという点で、まったくのルール違反である。あえていえば、そこまでして安倍首相は自分の今上への親密さを演出したかったのだろうが、それは単なる政治利用といわざるをえない。
いわゆる保守派の希望の星として、いまも崇拝対象となっている安倍首相が、つぎつぎと天皇制度にかかわる問題で失態をかさねているのは、歴史の皮肉というには、あまりにレベルが低すぎるだろう。
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