HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

新しいお金の理論にはご注意を;支配するつもりで支配される

1980年代のアメリカ経済学は「マネタリズム」の時代だった。米ケインジアンとの激しい論争を制して台頭したミルトン・フリードマンの経済学が、「ヴードゥ経済学(呪術経済学)」と言われたアーサー・ラッファーの「サプライサイド経済学」とともに、レーガン政権の経済政策の柱となったからである。

ラッファーのほうは「税金を安くすればするほど税収は増加する」という説で、試してみたらあっというまに呪術経済学であることが判明して凋落したが、フリードマンのほうは意気軒高だった。しかし、これも80年代前半の金融危機のさいに「実践的マネタリスト」を名乗るFRB議長ポール・ボルカーが、マネタリストたちの助言をまったく無視することで危機を乗り越えたことから、このマネタリズムというのも呪術ではないかとの疑いがうまれて、現実の政策からは後退した。

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その後も、新しい金融経済学という触れ込みの学説はつぎつぎと登場したが、新しい数学を適用した理論だおれのものとか、あるいは最初からペテン師まがいの理論家のスネーク・オイルにすぎなかった。実は、新しい金融という触れ込みは、世界史をひもとくと昔からあって、一見可能に思えるのだが実践してみると役に立たないどころか災厄をもたらすというものが実に多かったのである。

ここに再掲載する一文は少し前に書いたものだが、そうした新しい金融のささやかなバージョンを2つ取り上げている。ななめ読みしていただくにはちょうどよいかもしれないので、あえて投稿してみた。【以下、再掲載】

 

先日、テレビを見ていたら、「ビットコイン」の価格がピークの三分の一まで下がったとのニュースに接した。いうまでもなくビットコインとは代表的な「仮想通貨」で、昨年の十二月には一単位二百二十万円に達したものが、七十万円ほどに下落したというわけである。

金額からすれば昨年のピーク時でも仮想通貨の世界総額は九十二兆円にすぎない。世界の法貨は円・ドル・ユーロだけで発行総額四千五百兆円、他の通貨も入れれば十七京六千兆円(京=一万兆)に達するといわれる。

これだけでも仮想通貨が世界経済を変貌させるという話自体、いかに大げさなものか分かるのだが、マネーロンダリングに頻繁に利用され、NEM流出のように五百億円を超える仮想通貨が消える事件が起ったため、「フィンテック(金融技術)」を推奨する意味から目こぼししてきた金融当局も、あわてて規制強化を始めている。

私は仮想通貨の危うさについて繰り返し述べてきたので、「さもありなん」という気持ちなのだが、それはともかくいちばん問題なのは、経済的な閉塞が生まれるときまって、金融における技術革新がそれを打破するという期待、あるいは幻想が生まれることである。

以前も「地域通貨」が、異様な注目を受けたことがあった。円やドルといった政府や中央銀行が管理している法貨ではなく、地域だけの通貨を発行すれば、その地域は見違えるように活性化されるという触れ込みだった。

成功した例として、一九三〇年代の世界恐慌期にスイスのチロルで使われた地域通貨は村の経済を活性化させたとか、アメリカのコーネル大学があるイサカ市では「イサカ・アワー」が町をいきいきとさせているとか、さらには、日本の湯布院でもYUFUという地域通貨が成功しているとか喧伝されたものだ。

たしかに、シルヴィオ・ゲゼルが提唱した自由通貨はチロルのヴェルグル市で実験されて好成績を収め、イサカ・アワーがリアルタイムで使われている様子がテレビで放映されたので、こんな通貨があれば、地域が活性化するだけでなく日本のデフレも終るのではないかと思った人もいたかもしれない。

しかし、日本の各地で地域通貨を試みて成功したという例は、私が知っているかぎりほとんどない。町内商店街のクーポン券の拡大版には使われたという例はあっても、それが法貨と張り合って存在感を示した地域通貨は見当たらないのである。そもそも、地域通貨を推奨する人たちが「理論」として論じるさいにも、しっかりとした実例と厳密なセオリーに裏付けられていたとはいえなかった。

たとえば、ゲゼルが提唱した自由通貨は、いわゆるスタンプ紙幣で、時間がたつにつれて減価していく。この地域通貨では、時間の経過とともにインフレが起る(お金の価値が下がり物の価値が上がる)ように仕組まれているわけで、この紙幣を導入することで地域の消費を加速させようとするものだった。イサカ・アワーも「アワー(時間)」と名がついているように、時間減価インフレ促進通貨である。

ところが興味深いことに、当時、地域通貨を奨励していた経済学者たちは、ゲゼルの理論だけでなく、経済学者ハイエクの「通貨の非国家化」という論文も自分たちの根拠として振り回していた。実は、ハイエクの論文は、通貨発行を政府や中央銀行だけでなく、民間の機関にも開放したほうがいいというものだったが、彼の最大の目的は複数の通貨に競合させるとインフレを阻止できるというものだったのである。

ゲゼル系の減価通貨はインフレ促進が目的であるのに対して、ハイエク系の非国家通貨はインフレ抑制が目的だった。しかもゲゼルは実は非国家通貨には反対していた。つまり、まったく逆方向を向いていたのに、地域通貨を提唱した日本の理論家は、ともかく新型通貨に賛成している経済学者のものなら、いっしょくたにして有難がって論じていたというわけだ。

そんなことはどうでもいいと思う人がいるかもしれないが、外国の有名な経済学者がいったことだと、矛盾していても有難がるという点では、いまの日本で行われる経済政策一般にいえることだ。こうしたいい加減さが辿り着くのはみじめな政策の失敗と、そのことに誰も責任を取ろうとしないモラルの下落である。

数年前までは地域通貨も話題になっていたが、あまりの失敗ぶりに称賛する人間はあまりいなくなった。それも当然だろう。四年前のデータによると湯布院は約一万二千人の人口があるのに、YUFUを使ったのは七十五人のみ。他の地域通貨も同じようなもので、約十七万人に対して八十七人とか、約六百万人に対して六百二十人とかの「成果」だったのだ。

呆れるのは、地域通貨を奨励していた理論家が、最近は懲りもせずにゲゼルやハイエクを振り回して仮想通貨の可能性を述べたてていることで、もうこのレベルからして仮想通貨の未来は暗いというべきだろう。彼らが称賛する仮想通貨に使われている「ブロックチェーン」の技術もまだまだ未熟であって、今後は十分に改良したうえで、法貨を前提とした国境を超える取引の決済などに応用されていくと思われる。

結局、地域通貨について見ていけば明らかになるのは、その地域にしっかりとした住民同士の信頼と確固たる生産活動があってこそ、各種の地域通貨は有効に利用されているわけであって、自分たちの都合のいい「理論」を集めてくれば地域が蘇るのではない。そしてまた、仮想通貨についても、適当なことを言っている経済学者の話を信じていると、とんでもないところに連れて行かれることになるだろう。(『耀』2018年7月号に掲載された原稿に加筆した)

 

【以上、再掲載】最近、といっても1、2年前になるが、やはり新しい金融理論を紹介する論者が、ゲーテの『ファウスト』についての研究を取り上げて、ゲーテファウストのなかで金融を論じていたのだと、新発見のように述べていた。しかし、これは『ファウスト』の読者にはおなじみの話で、ファウストが「錬金術師」となっているのはダブルミーニングであることは明らかだ。ドイツでは『ファウスト』と金融との関係を論じるというのは定番とは言わないまでも、きわめて盛んである。

たとえばヨッヘン・ヘーリッシュの『神、貨幣、幸福』やハンス・C・ビンスワンガーの『貨幣と魔術』などが知られているが、ざっといえば西洋社会を象徴するファウストが無限の拡大を求めて活動することと、金融経済が無限に拡大して人間をとりこにしてしまうことをパラレルに論じるものだ。

そもそも、ゲーテは『ファウスト』を書くにあたって流布していた「ファウスト伝説」とともに、18世紀フランスで紙幣を乱発行したすえにフランス経済をガタガタにしたジョン・ローの研究もすすめていた。つまり、新しい貨幣というものには、そこにファウスト的な無限拡張の精神が陥る罠が潜んでいる、あるいは罠そのものなのだということなのである。

ところが、奇妙なことに日本のその論者は、日本は金融経済を拡大することができなくなって、没落してしまうことを阻止しなくてはならないと論じていた。こういうことこそ、無限の拡大だけを望むファウスト精神の罠にはまってしまったというべきであり、人工人間である「ホムンクルス」を作り上げて悦にいっている、限りなき発展論者の倒錯というべきなのかもしれない。

ちなみに、ファウスト伝説では契約通り、ファウスト博士は知と肉体の快楽を味わったのちにメフィストフェレスに魂を剥奪されてしまうのだが、ゲーテ版では「永遠なる女性的なるもの」に導かれて天上に上ることになっている。むかし、小生、『ファウスト』を読んだとき、同じ様に知と肉体の快楽を味わってきたゲーテの小ずるいペテンではないのかと思ったものだが、現実にはこんなことは起こらないことは、歳をとったせいもあって、もう分かっている。

 

付記:すこし分かりにくいかもしれませんので、つぎのブログや本を参考にしていただければ幸いです。

マネタリズムの隆盛と没落について

拙著『経済学者の栄光と敗北』(朝日新書)第7章 ミルトン・フリードマン

●仮想通貨の仕組みと疑惑について

拙著『世界史を変えた詐欺師たち』(文春新書)最終章 サトシ・ナカモト

●紙幣の発行とその先駆者たちについて

「ペテン師と経済学者との間:ジョン・ローの肖像」(コモドンの空飛ぶ書斎)

インフレターゲット論について

拙著『経済学者を格付けする』(文春新書)第6章 インフレターゲット論の帰着点

●MMT(現代貨幣理論)について

ブログ「HatsugenToday」に投稿されたMMT論など

サイト「コモドンの空飛ぶ書斎」に連載中の「MMTの懐疑的入門」