HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

いきなり社会主義ですか?;米国のマネをしても日本経済は救われない

米大統領選挙が1年後に迫り、アメリカでは民主党の候補者たちが、社会主義の色調を帯びてきたことが話題になっている。もちろん、トランプを擁する共和党側からの批判も多いが、民主党の最有力候補バイデンが、他の民主党候補を批判するさいに、ソーシャリスト(社会主義者)と罵倒しているというのだから、よほどのことではないかと思われる。

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wsj.comより:ウォーレン氏は富裕者層課税を主張している)


 たしかに、民主党候補のウォーレンの主張には、かなり過激な増税案が並んでいる。法人税を21%から35%に戻し、巨大企業には7%の上乗せする。株式や債券の取得額に0.1%の課税をおこない、多国籍企業の海外所得にも35%課税する。これで10年たてば3兆ドルの増収が見込まれるという。

 これで終わりではない。5000万ドル以上の資産をもつ富裕層には純資産に2~6%の課税。上位1%層には追加で所得増税を行う。10年後には3兆ドルの増税が見込めるという。本人は「社会主義者ではない」と言っているらしいが、少なくとも富裕層やいわゆる「上位1%」の味方でないことは確かだ。

 いっぽう、同じく候補者で民主社会主義者を名乗っているサンダースは、日本ではMMT(現代貨幣理論)の支持者であるかのような報道があったが、実際にはMMT理論家のL・R・レイやステファニー・ケルトンなどがアドバイザーに加わっているだけのことで、かならずしもMMTには傾斜していない。

 

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たとえば、今年6月の討論会では、自分が主張している健康保険拡大策や学生ローン救済策などの財源を、富裕層を中心とする所得税引き上げやウォール街税の新設などで得ると主張している。しかも、中間層への課税も避けられないと明言したため、MMT信奉者からは失望の声があがった。

 しかし、サンダースは、課税に関する過激さではウォーレンにはかなわないものの、国民皆保険を実現し、1600万ドル以上の資産をもつ富裕層に1~8%の課税をすると主張している。彼がMMTを掲げないのは、その奇矯な主張に同意できないこともあるだろうが、本気で大統領に当選しようと思っているので、支持する経済学者や知識人たちと齟齬を生じさせたくないためかもしれない(たとえば、経済の中心的アドバイザーにはノーベル経済学賞受賞者スティグリッツなどの名前が見える)。

いまも、MMTを正面から自分の政策に取り入れると言い続けているのは、下院議員のオカシオコルテスである。彼女の場合は「グリーン・ニューディール」と呼ぶ環境保護政策や社会保障に対し、MMTによって政府支出を拡大すると明言し、MMT理論家ケルトンも彼女の政策を支持している。いまの段階でオカシオコルテスが大統領候補になることはないが、米民主党に生まれた「社会主義」への傾斜のひとつとして見ても間違ってはいないだろう。

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(社会実状データ図録より:1%の人が20%の富を独占するアメリカ)

 

こうした米民主党の動きを象徴するのが、昨年、マスコミを巻き込んで論じられたジョブ・ギャランティ論争だった。ジョブ・ギャランティとは雇用保障制度あるいは就業保証プログラムなどと訳されるが、要するに完全雇用を目指して非自発的失業者をなくそうという政策である。プランとしては政策研究所CBPPとMMTで知られるレヴィ経済研究所から提示されたが、いずれも国家予算の2割にも及ぶような、膨大な費用がかかることをあらわにしただけだった(「MMTの懐疑的入門(19)雇用保障制度は機能しない」を参照)。

では、なぜ米民主党は、アメリカでは以前は嫌悪の対象だったソーシャリズムに傾斜しているのだろうか。それはいうまでもなく、あまりにも米社会の格差が広がったからであり、いつかチャンスが来るというアメリカの夢などどこかにいってしまったからだ。そして、この点も大きいが、冷戦が終結して社会主義国が名前の上では消滅してから30年という時間が流れ、社会主義一般の否定的な側面が忘れ去られたことである。

 社会主義者と呼ばれる政治家たちがイメージしているのは、もちろん、ロシアや東欧に生まれた社会主義国の悲惨な全体主義ではなく、フランクリン・ルーズベルト時代のアメリカである。ウォーレンの主張を聞いて思い出したのは、本人は意識していないかも知れないが、ルーズベルトのライバルと目されたヒューイ・ロングの「富の分配運動」だった。

この富の分配運動(シェア・オブ・ウェルス:SOW)はきわめて単純で、「金持ちから税金をごっそり取って、それを貧困層に配る」というものである。単純であるがゆえに大衆受けして、一時はルーズベルトを脅かした。これに比べればサンダースの主張などは、たんなる北欧系の社会民主主義のように見える。そういえば、スティグリッツには90年代に書いた『社会主義はどこへ?』という本があるが、当時は評判がきわめて悪かった。

 オカシオコルテスについても述べておくと、MMTの考え方では、政府支出はインフレが起こるまで続けられるので、彼女はグリーン・ニューディール完全雇用社会保障と、大盤振舞をするらしい。しかし、MMTというのは完全雇用を実現することを第一の目標としているはずだ。オカシオコルテスが政権を執るときがあれば、完全雇用を達成した時点でインフレが始まり、他の政策を無理に実行すれば高インフレになってしまうだろう。

 こうしてみれば、米民主党社会主義というのは、かなり楽観的な見通しのもとに、候補者選挙用に興隆してきたものである側面は強い。実際に政権を執ることなど、サンダース以外は本気で考えていないのではないかと思われる。とはいえ、その急速な台頭には、格差の激しさという背景が間違いなく存在している。

 この点、日本の場合はどうだろうか。米国社会主義に対して日本でもきわめて類似の運動が生まれている。いうまでもなく反緊縮とMMTである。反緊縮については、私もギリシャアイスランドでの公衆衛生学的な問題に関してなら納得できるし、理不尽な医療費や介護費の緊縮については実際に体験した。

 しかし、反緊縮が永続的に雇用を保証することや、生活レベルを維持することにまで拡張されるとなると、はたしていまの日本でそんなことが必要かどうか、さらには可能なのかどうかには、首をかしげてしまう。そもそも、その反緊縮を政策として打ち出そうと考えている政党はあるのだろうか。おそらく山本太郎の党くらいではないのか。しかし、具体化するには遥かな道のりがあると思われるし、どのレベルの生活や福祉を考えているのか、いまのところさっぱり分からない。

 MMTについては、すでに繰り返し述べてきたが(「コモドンの空飛ぶ書斎」に連載している「MMTの懐疑的入門」を参照のこと)、失業と格差を背景に雇用保障制度を「蝶番」として構想してきたMMT理論を、「いくらでも政府支出が可能だ」とのメッセージに変換して、自分たちの景気対策を実現するため、無理やり日本に導入しようとする人たちがいることが、にわかには信じられなかった。

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(社会実状データ図録より:上位10%になると日本も格差が目立ってくるが)


まず、アメリカと比べて日本の場合、きょくたんな格差が生まれているわけではない。たしかに景気は低迷しているが失業率が極端に低く、貧困層が拡大しているものの、その速度は比較的緩慢である。いずれ日本もアメリカの二の舞だというのかもしれないが、それはいつごろからそうなるのだろうか。その確度の高い予想も提示することなく、アメリカで批判された雇用保障制度については巧妙にパスして、土建的な景気対策に応用しようとしているだけである。 

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たとえば、最近、日本の貧困率は世界でも上位で、「子供の貧困率は7人に1人」という指摘がなされる。このとき、この貧困率とは国内での比較で算出する「相対的貧困率」であること、その数値は関係省庁間で数値にかなり開きがあること、国際比較が本当に可能なのか不明であることなどを念頭に置かなくてはならない。もちろん、貧困率を無視してよいなどという気はまったくないし、急増ではないにしても数値が上昇していることは上のグラフからも分かる。

これも繰り返しになるが、失業者という数値的に指標となるものを対象にする政府支出はリミットを設定しやすいが、土建的な景気対策には数値的な限界を設定することは難しい(たしか、防衛費の拡大もあったと思うが、いつの間にか言わなくなった。これなど、本当にいくらでも政府支出が可能なら、上限を設定するのは至難の業だろう)。インフレが起こるまでやって、起ったらすぐ増税すればいいという論者がまだいるが、そんなことはMMT理論家たちですら、もはや否定的である。

 反緊縮にせよMMTにせよ、論者たちは「財政を変えるだけ」であって、何か革命のようなことを起こそうとしているのではないと言いたがる。自分たちへの支持を獲得するためかもしれないが、実際にはどれほどの制度が改変されなくてはならないか、また国民の意識をどれほど変えていかなくてはならないか、そして、どれほどまでに国民を欺かねばならないか。こうした厳しい現実に対して真剣でないように思われる。 

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厚生労働省資料より:非正規化を進めた日本経済は消費が弱くなった)


ひとつだけ、別の視点から考えてみよう。日本で最大の問題は、やはり非正規の割合があまりにも速く拡大してしまったことである。この高い割合が消費を強く押さえつけている。1997年、日経連は『新時代の日本的経営』を発表して、雇用形態を3つに分け、それぞれの割合を提示した。雇用形態は「長期型蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」。当時、それぞれ81.3%、7.1%、11.2%だったものを、70.8%、11.2%、18.0%に変えるというわけだった。財界は雇用をもっと流動化したかったのだ。これでも日本企業から力を奪うとの批判があった。

 しかし、いま考えてみると、この数字はあまりにも控え目だったというべきだろう。現実には正規雇用が半分になり、非正規雇用が4割に近づいた。つまり、「雇用柔軟型」が巨大に膨らんだのである。つまり、長期にスキルを蓄える人たちの数を減らして、パートタイムやアルバイト等で働く人たちを増やすことで、賃金を抑えるのには成功したが、消費社会から活力を奪ったのである。産業構造から考える場合には、こうした消費を抑制してしまう構造を検討しなければならない。流動性の高い雇用は消費を抑えるのだ。もちろん、これはひとつの観点にすぎないが、消費が伸びない根本に迫る道筋ではあると思う。

 おそらく、米国社会主義は途中で失速するだろう。本来、オバマ大統領が取り組むべきだった巨大化した金融とIT産業への介入と規制は、この大統領は地位を維持することだけが目的だったために、なんの進展もないままに終わった。いまや、オバマが「新しいルーズベルト」と呼ばれて期待されたことなど、覚えているアメリカ人はほとんどいない。

 アメリカで流行りが終われば、日本の反緊縮もMMTもどこかにいってしまう可能性は高い。そして、日本の非正規や貧困層の拡大も、そのままになってしまうだろう。結局、自分たちの国の制度や政策の検討と修正は、事情の異なる国からの安っぽい輸入品ではなく、自分たちの発想と方法で取り組まねばならない。

 

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