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東谷暁による「事件」に対する解釈論

新型コロナウィルスの何が怖いのか;パニック防止がパニックを生む

いまも新型コロナウィルスが引き起こす肺炎が、中国だけでなく世界をも揺るがしていることは間違いない。しかし、人々の心を動揺させているのは、ウィルスだけではない。まさに新型コロナウィルス肺炎の流行を阻止すべき人たちの「不確実」な発言もまた、世界中の人々の不安を掻き立て、その揺れ幅を拡大させているのだ。

2月3日、WHOのテドロス事務局長は、新型コロナウィルス感染について「渡航や貿易を不必要に阻害する」措置は必要ないと述べて、世界のおそらく数億人の人々の心を大きく動揺させた。ほんの4日前、テドロス事務局長は深刻な顔をして、まさに新型コロナウィルス感染について「緊急事態宣言」を発したばかりだったからだ。

 いったい、何をいっているんだろう。テドロス事務局長の顔を大写しにしたテレビのニュースを見て首を傾げたのは、私だけではないだろう。もちろん、1月30日の緊急事態宣言においても留保事項があったことは確かだ。しかし、こんなに短期間にまったく相反する印象を与えるメッセージを流したら、WHOを信頼することなどできなくなるではないか。

 

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 この「訂正」発言は、WHOの執行理事会に出席した中国代表が、各国が講じている入国制限措置や航空各社の中国便運休などが「WHOの提言に反している」と発言し、「故意にパニックを招く」と批判したことと関係があることは明らかだろう。 

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  (このグラフについての解説は文末の追記を参照のこと)


しかし、中国政府が新型ウィルス封じ込め策を徹底させたことは、世界の保健専門家たちが模範的だと称賛しているほどで、他国がそれを見倣うのがいかんといわれたら、「じゃあ、中国国内も封じ込めをやめたら?」と言いたくなる。しかも、札幌の雪まつりに遊びにきている中国人が呑気な顔をして「帰国を伸ばそうと思っている」などと発言しているのをみれば、「自国内で大人しくしていたら?」とわめきたくもなるというものだ。そもそも、日本ではクルーズ船を沖に停泊させて、必死に乗客の検疫を進めている最中なのである。

 この類の話は敢えて措くとして、新型コロナウィルス問題が登場してからというもの、いわゆる保健の「専門家」たちも、また、中国経済を取材している「報道人」たちも、いっぽうで「中国の新型コロナウィルスの感染は大したことがない」と言ったかと思うと、「ウィルスによる感染は不確実性があるので確かなことはいえない」などコメントしたりする。確かなことが言えないなら、なぜ大したことがないなどといえるのか。

 まず、「中国の新型コロナウィルスは大したことがない」という話の根拠は、単に致命率(死亡率)が高くないということに尽きる。2月3日の中国政府による発表では、中国の国内感染者は2万438人に達しているが、死者が425人なので致命率は2%ちょっとということになる。

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これは2003年のSARSの感染者8096人に対し死者916人の9.6%に比べたらずっと低いが、感染が広がり続けている様子を見れば、とてもすぐに終息しそうにない。つまり、まだまったく終わっていないのだ。

 この死亡率については、ひとびとがパニックを起こさないようにとの配慮からかもしれないが、中東と韓国でアウトブレイクしたMERSは、いまも続いていて、致死率は50%といわれるから、こんなのと比べたら、新型肺炎の2%などなんでもないような気すらしてしまうわけである。

 海外のジャーナリズムもこうした報道は行っていて、たとえば、1918年から翌年のスペイン風邪(インフルエンザ)などは、世界人口がまだ20憶人のときに5000万人が死去したと聞かされれば、新型肺炎などはただの鼻かぜみたいな気がするかもしれない。

 さらに、2017年から翌年にかけての、アメリカで流行した劇症インフルエンザなどは、4500万人が感染して6万1000人が亡くなったといわれれば、新型コロナウィルスなどは、ただのインフルエンザよりも、ずっと軽いんだろうと思えてくる。これで、人びとがパニックに陥らないならいいが、しかし、ともかく新型肺炎の流行はまだ終わっていないし、中国の武漢は人通りがないような状態なのである。

 いっぽう、「ウィルスによる感染は不確実性があるので確かなことはいえない」という話でよく出てくるのが、ウィルスは感染する間に変異するので、気が付かないうちに別のウィルスになってしまっている可能性が否定できないというものだ。

 これは確かに否定できない。しかし、今回の新型コロナウィルスが感染のたびに大きく変異してしまうという事例が発見されたわけではない。ウィルスが変異するとしても何年もかかるというのがふつうだというのが通説だから、なんだか驚かされて損をしたような気になってしまう。たとえば、エイズの場合もレトロウィルスだから手ごわいということになっていたが、HIV自体の消滅を目指すのではなく、対症療法で発症を防ぐようになったら、あまりこの点を強調しなくなってしまって久しい(だからといって、怖くないわけではないが)。

 新型コロナウィルスによる肺炎が登場してきた当初は、たしかに、ものすごい説を唱える「専門家」がいて、いったん感染したらもうだめだろうとか、あるいはスペイン風邪のときのように世界に蔓延してしまうのかと思わせる説がいくつも流通した。

 たとえば、新型肺炎には症状がでないうちに他の人に感染すると分かっただけで、これは確実に世界的なパンデミックになると発言していた専門家がいた(まだ、終わっていないのだから可能性はある)。また、不確実性があると論じつつも、シミュレーションを試みたある大学のチームは、これから6500万人は亡くなると予測した(これも、まだ終焉していないので可能性はあるが)。

 

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日本経済新聞2020年2月4日付より


逆に、シミュレーションが得意なはずの経済関係者は、この新型コロナウィルスがただでさえ微妙な経済をめちゃくちゃにするとは思いたくない人が多いようだ。中国経済SARSをちゃんと乗り越えたから大丈夫とか、感染症流行が経済を崩壊させることはないとか論じているが、もう少しロジカルに考えたほうがいいだろう。

 まず、2003年にSARSが広がったときには、中国経済は高度成長の最中で、多少の衝撃は吸収することができた。また、世界への影響についても、規模が当時とはまったく異なり、はるかに大きなマイナスのインパクトを世界に与えることになる。

ここで強調しておきたいのは、新型コロナウィルスが経済そのものをぶっ潰すような力はなくとも、不安を掻き立ててパニックを生み出すくらいのことはあるということだ。経済については「コモドンの空飛ぶ世界」で連載している「今のバブルはいつ崩壊するか(9)パニックとパンデミック」で論じたので、そちらをごらんいただきたい。

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The Wall Street Journal Feb. 3, 2020より


 繰り返すが、新型コロナウィルスの脅威ばかりを強調して、国民にパニックを起こさせてはならないと思うのは当然だと思う。しかし、そのため議論が単なる図式的なものになったり、木で鼻を括るような権威だけで語っているものが多すぎる。何かを国民に求めるには、やはり「根拠は何なのか」「何故そうなのか」、しっかりとしたファクトとロジックを備えた議論にして提示するべきだ。テーマが不確実性を備えている場合には特にそうだろう。

 

追記;感染数を予測するシミュレーションのグラフ

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こうしたグラフは、「ケルマック・マッケンドリックのグラフ」と呼ばれ、感染症流行の予測に使われてきた。感染者、非感染者、感染率、治癒率などからなる単純なSIRモデル、感染者と発症者を分けて考えるSEIRモデルなどがあるが、いま研究者によって使われているモデルは、もっと複雑なもので、スーパーコンピューターに数値を入力してから結果がでるまで2時間もかかるという。それでも、かなりタイニィなモデルだというのだから、気が遠くなる話だ。もっとも、発想からすれば「今のバブルはいつ崩壊する(9)パニックとパンデミック」で説明したように、感染率と治癒率のバランスから生じる数値の上下であることは変わりない。掲げたグラフは2月4日の数値がどのような増加をみせていくかという、単なる模式的で主観的な予想だが、すでに感染者は武漢だけで7万5000人を超えたという見方や、多いものでは20万人に達しているという予測もあるから、予想としては赤点線のほうがリアリティがある。こうしたシミュレーションによる数値も、留保事項が多く不完全ではあっても、留保を加えつつデータとロジックを説明してくれたほうが、よほど安心のできるものとなるのではないだろうか(いま進行中の予測の試みについてのロイターの記事も参考のこと)。

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