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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ジョブ・ギャランティは米国を救うか?;マクロ経済学はどこへ行く

MMT(現代貨幣理論)の理論家で雇用問題を研究しているパブリナ・チェルネバが、米外交誌『フォーリン・アフェアズ』電子版7月22日付に「ジョブ・ギャランティ(雇用保障)は失業よりずっとコストが安い」を寄稿している。3300万人もの労働者が雇用保険を受け取っているなかで、MMTによる雇用回復策を論じているわけである。

 

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冒頭でフランクリン・ルーズベルト大統領の「飢えて失業している人民がいることが、独裁を生み出すのだ」という言葉を引用するなど、長くはないが格調高いものではある。MMTの中心理論となっている雇用保障システムによって、いまのアメリカの雇用問題の解決を提案するというのだから、それなりの期待をもって読んでみた。

 最初に感想を述べると、これまでのL・ランドル・レイやステファニー・ケルトンたちと書いた昔の論文をそのまま応用して、MMTのジョブ・ギャランティ・プログラム、「パブリック・サービス・エンプロイメント(PSE)」を提示しているだけで、何か肩透かしをくったような気がした。

 

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GDPの1.3%で1500万人が「雇用」できるという(Levy財団)


余計なお世話だろうが、いまコロナ禍のまっただなかにあって、政府債務の対GDP比を気にすることなく、また、場合によっては政府通貨を発行することによって、完全雇用環境保全と経済的繁栄を実現できると主張してきた理論なのだから、いまこそ決定的な方向性を示す論文を発表する最良の機会だったはずである。

 結論的な部分を概略すると、1500万人の失業者をジョブ・ギャランティで政府が雇い入れ、時給15ドルを払って何らかの政府が作り出した仕事につかせれば、GDPは5500万ドル(それは今のGDPの2.5%以上に相当)上昇する。その結果、インフレーションを起こさないで、さらにプライベート・セクターで300~400万人の追加雇用が生まれる。そのための費用はといえば、GDPのたった1.3%だけで済んでしまうというものだ。

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GDPの1.3%で5500万ドルのGDP押し上げが可能だという(Levy財団)


 つまり、ジョブ・ギャランティとは、政府が労働者が次の仕事に移ることができる「労働力プール」みたいなものを作って、そこにきた雇用希望者にはとりあえず政府が与えた仕事についてもらい、企業から乞われてそっちに移るのは自由という仕組みである。初めて読んだ人は、「そんなことができるのか」と思うかもしれないが、MMT理論家の多くはこのジョブ・ギャランティこそがMMTの核心なのだと論じてやまない。

 しかも、このジョブ・ギャランティを政治プロジェクトとして据えれば、不況になって失業者が多くなったときには、その人たちを吸収して景気悪化を防ぎ、逆に、景気が良くなってくれば、労働者プールにいる人たちが、賃金のより高い仕事を得られる機会が生まれる。つまり、雇用を安定させるだけでなく、賃金水準の安定にもつながり、さらには経済全体の安定をも実現するというわけである。

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GDPの1.3%でGDPを2.5強押し上げ1500万人の雇用を可能に(Levy財団)


 今度のチェルネバの論文もまったくこの繰り返しで、2018年にレイ、ケルトンなど4人と共同執筆した『パブリック・サービス・エンプロイメント:完全雇用への道』のデータと論理をそのまま使って、ただし情熱をこめて書いてある。最後の言葉が「ジョブ・ギャランティは、長く待たれてきた経済と社会の正義にむかっての道というべきものなのである」というわけである。

 その理想は高邁かもしれないが、そんな素晴らしいことが本当に可能なのだろうかと疑問に思う人は多いだろう。まず、そんなことが出来るのなら、どうしていままでジョブ・ギャランティが実現されていなかったのだろうかと思う。また、逆にそうした制度をつくろうとすれば、必ず財界は労働賃金が上昇することを嫌って、反対するということも考えられる。

さらに、かえって賃金が硬直してしまって、柔軟な労働市場を損うのではないかと心配する人もいるだろう。しかも、労働力プールに集まってきた人たちというのは、より良い仕事を見つけて、そこから出て行けるのだろうか。そもそも、ここに示されたシミュレーション通りの成果があがるか否かは、まだ未知数である。MMT理論家のケルトンが顧問を務めた政治家バーニー・サンダースですら、大統領候補に名乗りを上げたさい、多くの期待を裏切ってMMTは導入しないことを間接的に表明した。ケルトンは近著の『負債の神話』のなかでサンダースへのあてこすりを書いている。

 しかし、いまのようにコロナ禍のなかで、悲惨な事件が次々と起こって、強い政治やイデオロギー的な思想が求められる状況のなかでは、すべてではないにしても、部分的な「革命」のような転換が生じてしまうかもしれない。「しまう」といったが、そこにはかなりのリスクが伴うからである。たとえば、MMTが理想とするような制度をつくろうとすれば、政治的な反発も大きくなる。MMTはあくまで技術的な経済理論だといっているのは、MMT理論家とそのエピゴーネンたちだけであって、多くの部分で価値観を含めた、大きな制度的移行が必要とされるはずである。

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コロナ禍が始まるまで失業率は下がりインフレ率も下がっていた


 では、これまで経済政策を支配してきたマクロ経済学は、なんら変革や移行を試みていないのだろうか。もちろん、そんなことはない。英経済誌『ジ・エコノミスト』7月25日号に「コロナ・パンデミックマクロ経済学の再考をうながす」という、ちょっと変わった記事が載っている。同記事は、ケインズ経済学が生まれ恐慌期から戦後のある時期までをリードし、70年代にミルトン・フリードマンに主導権を奪われ、そして、90年代以降は両派の合作のような、経済政策が行われてきたことを振り返るところから始まる。

 では、いまはどのような状況に直面しているのか。経済政策の策定者は2つの大きな問題に直面しているという。第1が、需要におけるレベルの問題だ。もっといえば、需要の不足の問題であり、貯蓄に対して常に消費が足りない状態が続いている。第2が、2008年に始まる金融危機以後に顕著になった分配の問題だ。つまり、その結果として明瞭になったのが格差の拡大である。

 

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コロナ禍によって急速に政府負債が増えている


こうした新しい課題に対してマクロ経済学はどのように対応してきただろうか。もはや同じマクロ経済と呼ばれていても、その中身は大きく異なってしまっている。これも同誌に従って、ざっと見ておくことにしよう。おおざっぱにいって3派に分裂しているが、まず、第1の派が、経済への「刺激」を重視して、経済運営がうまくいかないのは刺激が足りないからだと主張する。財政においては支出が少なく、金融においては緩和が少ないと論じる、いってみれば両方で「足りない」ことが問題だというわけである。

 第2の派が、ともかくも財政によって新たな突破口を見つけようとする論者たちで、特に、財政支出と減税を主張してやまない。この派のなかで財政赤字の累積をあまり忌避しなくなったのが、異端のMMT理論家たちである。彼らもまた政府債務の対GDP比は気にかけないで、失業をなくしインフレをノーマルに維持できればよいと考えている。さらに、勝手に付け加えれば、このグループには、日本で反緊縮派と呼ばれるマクロ経済学派も入っている。失業や格差の問題に敏感であり、細部の理論はMMTとはかなり異なるが、完全雇用の実現という点で狙っている方向はかなり近い。

 第3の派は、金利を低く抑えることで、いまの問題を解消していこうとしている経済学者たちである。オリビエ・ブランシャールに代表される、財政支出拡大許容派であり、g>rつまり、金利が経済成長率より低いときには、財政支出の継続はまだまだ可能だという論者たちだ。彼らは政府支出は国債によっても、中央銀行券の発行でも構わないと考えており、いまアメリカでは主流派といってよいかもしれない。

 

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先進国の金利はほとんどゼロかマイナスになってしまった


こうした同誌による分類は、実は、読んでいてあまり切れのよいものではないように感じた。というのも、それぞれの論者たちが程度の差こそあれ、財政と金融の境界というものを、もはや重視していないため、主張がしばしばクロスしてしまうからである。たとえば、MMT近辺には「フクロウ派」と呼ばれるジェームズ・ガルブレイスがいるが、フクロウ派と呼ばれるのは首が360度回るからで、そういうフクロウが前出のg>rをMMT派に導入させたのではないかと思われる。

 しかし、同誌の記事を読んでいてむなしいのは、こうした分類をやってみたところで、いまの状況を潜り抜けられる、新しいマクロ経済学に出会えるわけではないことである。あえていえば、経済学者は賛成派も反対派も物語としてのケインズ革命にあまりにもどっぷりと浸かってしまっていて、まず、経済学自体の革命が起こって、それが世界中の経済に応用されるのだと信じている。これはケインズが後世にかけた呪いのようなものである。

 実際には、1936年にケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』がこの世にあらわれる以前に、すでにいくつかの国で財政支出を拡大し、金融を緩和し、既発国債中央銀行が買い取り、新規国債を大量に発行していた。もちろん、ケインズは1930年ころから『一般理論』にとりかかっており、33年ころには草稿に基づく連続講演会も行っていたから、そこからヒントをもらった国はあるかもしれない。しかし、『一般理論』はそれまでバラバラに行われた危機脱出について、理論的根拠を後から与えたのであって、その逆ではなかった。そして、ケインズ自身は自分に課されている問題が変われば、以前の議論を棄てて顧みなかった。

この世に完全なマクロ経済学が存在するといった前提から、いまのコロナ禍に対応できる経済学を探し求めても到達できるわけがない。コロナウイルス自体が変幻するものなのだから。また、永久に通用するような経済思想を求めても、当面のマクロ経済の要請には答えられない。なぜなら、コロナ禍は永遠には続かないのだから。だから、不完全でもよく、また永遠の経済学であってはならないのだ。

 今回の危機においても、まずは危機脱出のために当事者たちが試行錯誤を重ねるしかない。ことに財政累積赤字については、なにか新しい理論を導入すると、負債が消滅するわけではないのである。ただ、別の理論によって、全体の経済のなかの位置づけや、その扱いの方法が変わってくるだけだ。すでに途上国においても、巨大な財政累積赤字が積みあがっている。先進国においては、日本に代表されるように対GDP比で200%を超えるレベルまできた。これをどのように扱って、経済のほかの部分に最小の影響で済ませる方法を考えるのが、今回のひとつのテーマであることは間違いない。

 

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