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東谷暁による「事件」に対する解釈論

「二階幹事長が急ぎすぎた」の本当の意味;ダイナミズムを失った自民党

 

いまの状況では、自民党の総裁選はきわめて退屈なものになっている。二階俊博幹事長が菅義偉官房長官に「あなたが出てはどうです」とささやいたのをきっかけに、急速に菅擁立の空気が醸成され、麻生派竹下派、ついには細田派までもが菅支持を表明し、党員投票どころか総裁選などやらなくても「菅で決まり」になってしまった。

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しかし、この数日の間に「二階がやりすぎた」とか「二階が急ぎすぎた」との声が聞かれるようになった。あまりにも簡単に菅で決まってしまったのが面白くないのか、それとも実は、大きな陥穽が待ち構えていることに気づいたのか、まだよくわからない。そこで、菅自民党総裁菅総理大臣は実現するとの前提で、敢えてこの「急ぎすぎた」と言われる理由を、あれこれ考えてみることにしたい。

 第1に、いちばん分かりやすい話は、「二階派が、先行しすぎた」という、朝日新聞などの報道だろう。これは、本来、派閥間でよく調整をしたうえで、菅支持を打ち出すべきだったという二階派以外の派閥からの批判で、いわゆる「主導権争い」に先を越されたという「やっかみ」が広がっているというものである。

 二階派が主導権を握り、二階幹事長が事実上のキングメーカーになってしまえば、他の派閥は、組閣のさいの大臣の数から、これから展開される政策の利権にいたるまで、ワリを食ってしまうのではないか、という恐れが拡大しているのだ。この説が正しいとすれば、このことからも自民党の劣化がいかにひどいかが分かる。

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第2に、もう少し深く考えてみれば、久しぶりの総裁および総理の交代において、二階幹事長があまりに急いだために、肝心の二階派が得られるはずのアドバンテージを失い、二階派内部に反発が生まれたという事態が考えられる。つまり、もっとゆっくりと巧妙にやれば、麻生派竹下派細田派は、もっともっと後れをとっていたはずだというわけだ。

 これは、今の政治家たちの気持ちを忖度すれば簡単に分かるだろう。さまざまな経緯はあったかもしれないが、ともかく必死になって国会議員まで駆け上ったのは、つきつめると自分の権力を拡大したかったからである。その実質が利権であり、象徴というべきものが大臣のポストである。

 ところが、二階幹事長が他の派閥を刺激してしまったせいで、われもわれもと他の派閥が相乗りしてしまった。麻生派竹下派細田派などは、領袖3人が一堂に会しての菅支持表明までした。これで二階堂派が手にできたはずの利権もポストも、ずっと少なくなってしまったというわけである。

 この批判は、実は、政治学や戦略論ではおなじみの「最小勝利連合」と呼ばれるセオリーで、1960年代にウイリアム・ライカ―という政治学者が唱えて注目された。連合政府を組むときには、もっとも少ない最小の味方で勝利すれば、連合の結成者たちは最大の利益が得られるというものである。もっとも、この理論はしばしば破綻することでも知られる。政治はそのときの勢いのようなものが働き、必ずしも合理的に決まらないからである。

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第3に、政治というものはまさにドラマチックなもので、普通の人が思っている以上に最初の演出がその後を決定してしまう。その点からすれば、二階幹事長は「出トチリ」をやってしまい、新しい時代への転換を演じるべきときに「安倍政権の継承」になってしまった。安倍晋三首相が辞めるように、じわじわと追い込んでおきながら、最後に失敗するなんてどうかしている、という批判なのかもしれない。

 安倍政権は他の派閥の領袖からすれば、かなりトーンの変わった異様な政権だった。これまでの自民党は、憲法改正北方四島返還などを建て前としても、それを本当に実現しようとする政治家はほとんどいなかった。その意味でうざったい総裁・総理だった。そのうざったい人物にトップの座を降りてもらい、利権とポストの配分を中心に、外交でなく内政でやっていきたいと考えている政治家は多い。それなのに菅官房長官を後継者にすれば、「安倍路線の継続」を前面に出さざるを得ないのだ。

もっとも、安倍首相は憲法改正とか外交強化を唱えていても、何の実績も残さないままに終わった。いまとなっては、どこまで本気だったかすら分からない。しかも、菅官房長官が「安倍政治の継承」と述べたとしても、それは建て前であって、安倍首相とは政治家になった経緯も背景も、性格もまったく異なる。継承するとは言っても、そんなことは事実上不可能であり、菅本人もそんな馬鹿なことは考えていないだろう。おそらくは、長期の政治的理念よりも短期の政治的実務、外交ではなく内政中心へと向かわざるを得ないだろう。

 こうしてみれば、二階幹事長がやや早めに菅官房長官を担ぐことを決めたことによって生まれてくる問題というのは、まさに二階派の政治家たちの利権とポストが減るだけのことであり、また、政権成立後に派閥抗争が激しくなるだけのことなのである。それすらも、これからの二階幹事長のキングメーカーとしての腕の見せ方次第で回避することは可能だろう。ただし、こうした派閥の領袖たちが談合で決めた政治が、国民の未来にとって好ましいかは別である。

 ちなみに、安倍信奉者と思われる政治評論家が「安倍首相はキングメーカーとしての資格十分」などと書いていたが、今回またしても、事実上、政権を放り出した首相が、キングメーカーとしての資格などあるはずがない。かつての首相は任期中であれば死の床につくまで任務を遂行しようとした。大平正芳小渕恵三などは実際に任期中に死去している。死ぬまでやれというのではない、それほど首相という仕事は重いものだということである。

少しばかり懐古的になるが、いま自民党の派閥が本当に再生して新しい総裁や総理を積極的につくりだそうとしているなら、むしろ目出度いことだと思う。1994年に政治資金規正法が改正され、小選挙区制によって選出される政治家たちが中心となってから、おそらく自民党の活力は急速に下落していった。あえていうが、その活力がいま復活するのなら、派閥の弊害などは小さいものとすらいえるだろう。

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1955年以降、自民党は多くの要素を内部に取り込み、目をそむけたくなるようなマイナスの要素も呑み込んでいたが、政治のダイナミズムだけは常に生み出していた。80年代には、政権交代しない国家が民主政治を継続できるはずがないと外国から批判があったさい、当時の日本の政治学者たちは自民党の「派閥」が、実は、他の先進国での「政党」の役割を果たしていると反論した。つまり、最大の野党である社会党がとても政権を取れる党ではないが故に、自民党内部で擬似政権交代が行われてきたと説明したわけである。

この説が正しいかどうかはともかく、日本国内の政治的な多様性をそのまま抱え込んだ自民党が、そのまま日本の政治のダイナミズムを体現することになった。いまの状況は野党のふがいなさだけは似たようなものといえる。しかし、今回の自民党の派閥の動きを見ていると、とてもではないが、かつての派閥のもっていたダイナミズムを継承しているとは思えない。見えてくるのは、自分たちの利権とポストを維持・確保したいだけの、こさかしい利権集団だけである。

 

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