HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

アストラゼネカ社はなぜ試験を中止したか;トランプ大統領と製薬会社9社との闘い

この9月8日に、コロナワクチンの開発に関わっている巨大製薬会社9社が共同で、コロナワクチン開発はあくまで科学的な基準で進めると宣誓して注目された。しかも、同日にコロナワクチンで最先端にあるとされるアストラゼネカ社が、進行中の第3段階(第3相)の治験を中止したと報道されて世界に衝撃をあたえた。

f:id:HatsugenToday:20200911201803p:plain

もちろん、アストラゼネカは宣誓した9社に加わっており、この2つの事件の間に何の関係もないと考えるほうが不自然だろう。たまたま宣誓の時期と同社の治験ボランティアの不具合とが重なったという可能性はあるが、その発表は多少遅れてもよかったし、最初に報じたのが医療メディアである「スタット」だというのも出来過ぎている。

この背景には、コロナワクチン開発が、あまりにも政治化してしまっているという現実があった。世界規模で眺めれば、ロシアではスパイ網によって得られたワクチンを10月には国民に接種すると発表したし、中国も開発中のワクチンを人民軍兵士たちに接種すると報じられていた。それに煽られたわけではないだろうが、アメリカのトランプ大統領も、11月には国民への接種を開始できるとぶち上げて、世界を驚かした。

 アメリカ国内だけで見ても、11月という時期はそれだけで政治そのものといえる。11月3日には大統領選挙が行われるから、その前に、トランプは「俺の力でワクチン接種が可能になった」と権力を誇示したいというのは見え見えだった。そして、こうした露骨な政治化のために、ワクチンへの信頼度が損なわれることが危惧される事態となっていた。

f:id:HatsugenToday:20200519144614p:plain
前出の「スタット」ニュース9月8日付は、次のように述べている。「米食品医薬品局の高官がフィナンシャルタイムズ紙に語ったコメントによれば、同局は普通は安全と効果を証明するための第3相の治験を、まだ終えていない候補ワクチンについても、緊急認可を与える方法を考えているという」。

同ニュースは、さらに次のように続けている。「すでに、トランプ政権の政治レトリックと、それに対する科学者たちの批判によって、アメリカ国民の食品医療品局とワクチンへの信頼は劇的に下落した。最近のスタットの調査では、民主党支持者の82%、共和党支持者の72%が、ワクチン開発が科学ではなく政治に左右されていることを懸念していると答えている」。

ワクチンや当局への信頼の下落は、当然、ワクチン製造を進めている企業にも悪影響を与えることになる。もちろん、製薬会社9社の宣誓では、トランプの名前はさすがに出てこないが、BBC電子版9月8日付は次のように指摘する。

 「この宣誓では、製薬会社9社はトランプ氏については何も述べていない。しかし、9社は自分たちのこうした行動が、ワクチンの接種における『人々の信頼を確かなものにする』ことになると信じていると記している」

f:id:HatsugenToday:20200909140601p:plain

今回の「宣誓」は、あまりに政治化されることによって、本来のワクチン開発から逸脱してしまった現実を間接的に批判し、その軌道修正を世界の世論に訴えるものといってよいが、それがすべて倫理的なものだけから出ていると考える必要はない。無理を強いる政治的圧力によって十分な治験を経ずに接種が始まり、その結果として副作用が頻発したらどうなるのか。

 もちろん、政府当局の信用だけでなく、製薬会社の信用もガタ落ちになる。いや、政府はあれこれ言い逃れて、製薬会社に責任が転嫁されることも珍しくない。これまでも、副作用が頻発したことで、接種が不可能になったワクチンはいくらでもあり、また、根拠のない悪質なプロパガンダで普及が後退したワクチンも枚挙にいとまがない。英経済誌『ジ・エコノミスト』はコラムで次のように論評している。

 「製薬産業のコメントは、ワクチン開発が政治ではなく科学であることを明らかにした。そのことをさらに証拠立てるのが、同日のアストラゼネカ社の実験中止だった。もちろん、この中止でワクチン開発は速度が落ちる。しかし、それはありうるべきことなのだ。同社の決断はワクチン開発の仕組みがまだ機能していることを証明している」

もちろん、9社がいっしょに宣誓するというのは、過剰な負荷をかけられないための共同防衛という意味と同時に、どこか1社が抜け駆けをして政府のいいなりになって、当面の優位を得ることを牽制し合う意味もあるはずだ。ここでいう「仕組み(システム)」にはそうした、二重の機能も備わっていると解釈するべきだろう。

 あまり知られていないことだが、実は、日本は世界のなかでもトップクラスの「ワクチン嫌い」の国となって久しい。もちろん、ワクチンには副作用があることは否定できない。しかし、そのことで集団的ワクチン接種を回避する方向に、国民の意識だけでなく、医療や保険の制度もシフトしてしまったといわれる。

f:id:HatsugenToday:20200911202443p:plain

The Economist より:Japanのワクチン信頼度はきわめて低い


いまのうちに思い出しておくべきは、ワクチン接種に対する信頼度が、すでに日本はきわめて低いという現実である(上図)。たとえワクチン開発が科学的に行われても、ワクチン接種による副作用リスクと感染のリスクの比較衡量について、基礎知識が行きわたらない場合、日本では接種が進まない危険性もきわめて高い。コロナワクチンの開発競争に関心を持つと同時に、こうした自国の現状についても、あらためて振り返る必要がありそうだ。

追記:9月12日、アストラゼネカは治験を再開したと発表した。

●こちらもご覧ください

hatsugentoday.hatenablog.com

 

 

komodon-z.net