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東谷暁による「事件」に対する解釈論

「復活」するのはトランプかバイデンか;獰猛な執念が大統領選を決する

いまの時点(10月5日)で報道を信じれば、トランプ大統領は新型コロナ感染から復活して、ホワイトハウスに帰還しそうである。もちろん、年齢からすれば十分に危険なのだから何が起こるか分からないが、医師団も本人も明るい見通しを述べている。 

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トランプ感染のニュースが流れたとき、映画監督のマイケル・ムーアが「これは演技だ」と警告したが、私も実は何パーセントかの可能性があると思っていた。8~9ポイントの差をつけられて、それを縮められないトランプは、起死回生のバクチを打つことだってありうると思われたからだ。

 しかし、その後、ホワイトハウスから米軍の病院に移った段階で、いくら大統領でも芝居にしては大がかりすぎるから、感染は本当であり症状は報道以上に悪いのだろうと推測した。さらに、治療の一環として未承認のリジェネロン社の人工免疫「REGN-COV2」の投入が発表されるにいたって、これこそが一種のバクチなのだと思わざるを得なかった。

 以降も、承認済みの抗ウイルス薬であるレムデシビルやステロイド抗炎症薬のデキサメタゾン(承認済み)が打たれた。どれが効いたのかは不明ながら、もっとも印象的だったのは、やはりREGN-COV2を受け入れたことである。未承認ということからも分かるように、これはまだリスクの度合いが十分に読めない。にもかかわらず、それを体内に注入するということは、かなりの賭けである。

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いまさら、トランプはマラリア薬のヒドロキシクロロキンにしておけば、などと言う気はないが、一時はコロナなどすぐに消えてしまうと国民に言っていた大統領としては、ずいぶんと素直な反応ともいえるかもしれない。本来ならば、この点から非難されてしかたないし、また、感染が明らかとなってから、バイデン候補との差が少し拡大したと報じられている。

 では、トランプがホワイトハウスに復帰しても、状況は変わらないのだろうか。そのままにしておけばそうだろうが、トランプがそんなことをするわけがない。すぐさま自分の復活を大々的にアピールして、最後の巻き返しに入るだろう。そして、アメリカ人はこうした「復活」にはことのほか弱いのである。

 おそらくは、ピューリタン的な伝統やアフロ文化の宗教観念、さらに、中南米カトリックが作用しているのだと思われるが、キリスト教文化圏のなかでも、アメリカ合衆国は「復活」という観念に特別の感動をする国民である。自分たちの歴史は、まさに復活の繰り返しであるという潜在的自覚が、悲劇的事件が起こるたびに蘇る。

 大恐慌からの立ち直りも「復活」であり、また、多発的テロからの回復も「復活」として観念されている。それは、映画や小説を考えればすぐに読み取ることができる、アメリカの精神史的特徴である。トランプの今回の「復活」もこの潜在意識に働きかければ、彼を救世主として押し上げる心理にスイッチが入るかもしれない。そして、おそらくナラティブ・ポリティッシャン(もっともらしい話をするのが得意な政治家)であるトランプは、黙っていてもこの経路に最後の賭けを見出すだろう。

 では、せっかく支持率が上がっているバイデン大統領候補はどうなのだろうか。実は、バイデン自身もまた、「復活」の政治家なのである。英紙ザ・タイムズ10月4日付にコラムニストのサラ・バクスターが「病院にいるトランプに対して、バイデンはラザロ的大統領をめざす」を投稿している。その最後の部分は「もしバイデンがホワイトハウスを手にいれるなら、まさに彼はラザロとなる」と記している。

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この「ラザロ」というのは、新約聖書に出てくる人物だ。いったんは死んだがキリストがやって来て生き返らせたという奇跡譚の主人公で、キリスト教徒にとってはおなじみのキャラクターである。バクスターは単に洒落を言っているだけでなく、実は、バイデンの政治家としての人生そのものが復活の連続であり、もし大統領になれたら、復活神話がまたしても成就することになると、かなりウィットを効かせた文章で書いている。

 そういわれてみれば、バイデンという政治家はもう77歳であり、大統領になったとすればそのときには78歳に達している。バクスターが引用している世論調査では、3人に2人までが「バイデンは大統領の任期をまっとうできない」と答えているという。こんなに歳を取るまで、バイデンは何をやっていたのかといえば、実は、彼はずっと若いときから挫折を繰り返しながらも復活し続けて、大統領を目指してきたのである。

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生まれはペンシルベニア州上院議員を務めた曽祖父がいる名家なのだが、バイデンが生まれるころには父親が破産していた。彼は苦労をしながら大学を出て、シュラキュース大学ロースクールを経て弁護士になっている。その後、政治家として活躍して上院議員になったときには、「米史上最年少の上院議員」として称えられた。

 当然のことながら、期待されて1988年には大統領選に名乗りを上げるが、このときには残念ながら若すぎるということで、民主党が彼を大統領候補に押し上げることはなかったが、「いずれは大統領に」と目される存在だった。ところが、その後、交通事故で愛する妻と長女を亡くして落ち込み、立ち直ってからも州の司法長官を務めるほど優秀な長男を亡くすという、家族の不幸が付きまとった。

 ようやく2008年に遅ればせながら大統領候補に名乗りを上げたところ、このときにはオバマとヒラリーという話題性のある他候補に支持者を取られてしまい、途中で候補を断念せざるをえなかった。その8年後にも立候補を考えていたが、このときはヒラリーが雪辱戦に燃えて、地味なイメージのバイデンは名乗りそのものを断念している。

 したがって、今回の立候補は文字通り最後の復活のチャンスであり、それでも地味なバイデンではなかなか支持者が燃え上がらないので苦労してきたのである。ところが、トランプ大統領がコロナ対策に大失敗して、これならいけるかもしれないという状況が生まれてきた。残念ながら「敵失」によるものだが、地味で目立たないバイデンとしては、むしろ本領発揮といってもよい状況なのである。

 前出のデクスターは「バイデンの最大の強みは、まさにバイデンがトランプではないところにある」などと書いている。これこそ褒めているのか腐しているのか分からない評価だが、こうしてバイデンの政治家人生を振り返ると、彼女の言っていることも何となく妥当であるように思えてくる。そして、今回の選挙で勝てば、まさに復活したラザロのような大統領ではないかというわけである。

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しかし、私がトランプとバイデンという2人に大統領候補のこれまでと今を振り返って感じることは、2人とも何という執念だろうという、ほとんど唖然といったほうがよい思いである。トランプの場合、父親がすでに移民アパートで大儲けをしてくれていた上に立っての不動産王であり、その後の破産寸前の窮地でもウォール街が救済したという、持って生まれたフォーチュン(幸運)が働いているが、いったん大統領になってからの権力への執着心はものすごいものがある。

 ひるがえってバイデンについても、そもそも78歳になるというのに、なぜいま候補として必死に大統領の椅子を狙うのかを考えれば、そこには復活への気味悪くなるような激しい執着心があることに気づかされるのである。今回、アメリカの大統領選をながめていて、いちばん驚いたのは、実は、バイデンの執念、彼の頑張り(ヴィルトゥ)だったといっても過言ではない。

 こうしてみると、どこかの国の首相のように、たしかに体調は悪いのかもしれないが、だらだらと政権を運営したあげく、コロナ対策の失敗で人気がなくなってきたところで放り出してしまうというのは、政治家以前ではないのだろうか。しかも、にこにこしながら「新薬が効きました」「一議員として支えます」とか平気で言っているのは、人間として責任感もなければ、トランプやバイデンのような政治家に本来必要な執着心が、かけらもないのではないかと思ってしまうのである。