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東谷暁による「事件」に対する解釈論

やはりスウェーデンは集団免疫を目指していた;テグネルのメールが暴く悲惨な失敗

スウェーデン政府が、満員の電車のなかでのマスク着用を推奨したニュースは世界を駆け巡ったが、興味深かったのは、英国のジャーナリズムがこの話題に飛びつかなかったことだ。これまでスウェーデンのコロナ対策については賛否両論さかんに報じていたものだったのに、ある意味で決定的な出来事にあまり関心を示さなかったのだ。すでに新型コロナウイルスの変異体と合意なきブレグジットに、テーマは移っていたからかもしれない。

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もっとも、このマスク騒動について注意すべきは、スウェーデンのロベーン首相がマスクを奨励したといっても、それは満員の通勤電車内での推奨で、ふつうの生活でのマスクを強制したわけではないことだ。おそらくは国王の「失敗宣言」にある程度の対応が必要だっただけで、これまでのスタンスは変えないと(もう、十分に変えているのに)、恥知らずにも相変わらず公言しているのである。

 スウェーデンの新型コロナ対策は、国家疫学者アンデッシュ・テグネルの強面ぶりにも拘わらず、多くの矛盾をさらし続けてきた。そのなかでも最大の、そして決定的な矛盾は、いっぽうで「スウェーデンは集団免疫を目指していない」といいながら、何度もインタビューなどでは「第2波が来たときには免疫をもつ者が多くなっていて、他国よりずっと楽な状態でいられる」と発言してきたことだった。これは論理的に破綻しているだけでなく、自国の政策への信頼性を疑わさせるものだった。

 ネットマガジン『フォーリン・ポリティックス』12月22日号に掲載されたケリー・ビヨルクルンドの「スウェーデンのコロナ対策がいかにして失敗したかの内幕」は、こうした奇妙とも思われるスウェーデン政府およびテグネル発言の矛盾を、テグネル本人のメールを使って、かなりのところまで解明している。「かなり」というのは、テグネルにあると思われる精神的あるいは心理的な矛盾は、当然ながらいまも解明されていないからだ。

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このレポートが語るのによると、スウェーデン政府が新型コロナを「社会的脅威」と認定した今年2月2日、スウェーデンの保健行政に携わってきたピート・タルはゴットランド島で成り行きを見守っていた。彼は、現在、公共衛生局部長を務めるヨハン・カールソンの上司だった人物で、テグネルのこともよく知っていた。このときタルが行ったのはテグネルにコロナ対応についてのメールを送ることだった。

 タルがこのメールで示したコロナ対策は3つだった。第一が、「すべての移動と接触を4週間停止させる」というもの。まあ、ロックダウンといってよいだろう。第二が、WHOが推奨している方法で、まず、集中的な検査を実施して、感染の追跡を行い、そして感染者は隔離する。第三が、「感染が広がるのを放置し、緩慢にあるいは急速に、仮説的な集団免疫を達成すること」。「ただし、第三の選択では数千人の死者がでる」と添えたという。

 これに対するテグネルの返事はその日のうちに来たという。そこには次のように書いてあった。「われわれは検討して、第三番目の選択肢を採用しました。われわれはたぶんかなり集中的な無症状の感染を体験しています。ということは、最初の2つはおそらく機能しないということを意味します」。

 こうしたテグネルのメールの内容は、ビヨルクルンドがタルから提供を受けたものと思われる。特に、ビヨルクルンドはことわっていないが、文脈からしてそれ以外にない。ということは、タルは自分の後輩たちが採用した新型コロナ対策は、かなり危ういものであり、そのことに対して批判的だったということが推測される。

 さて、テグネルに戻るが、タルへの返信をした後、テグネルはスウェーデンのコロナ対策のシンボルとなったために、内外を含めて多くのマスコミによる取材を受けるようになる。ビヨルクルンドはそれを丁寧に述べているが、要するにスウェーデン政府の方針は集団免疫を目標としているのではなく、医療崩壊を回避するため緩慢な感染を目指していると述べるいっぽうで、これからのことを質問されると、第2波のさいには免疫を持っている人が多いので、他国に比べて対応は楽になるはずだと発言したわけである。

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あまり集団免疫について読んだことのない人のために簡単に解説しておくと、感染症の場合、ある一定割合に感染が進むと免疫を持つ人たちが壁のような働きをして、それ以上は感染が広がらなくなるという仮説があった。その割合はウイルスによって異なり、新型コロナの場合は60%以上というのが、比較的多くの専門家が想定していた数値だった。

 ただし、ここには大きな誤解あるいは見解の相違があった。ひとつは、この集団免疫が機能するための数値というのはワクチンが出来てからの話であって、ワクチンで免疫を持つ人たちを人工的に増加させていった場合に、集団免疫が達成される%を推測できるという説。もうひとつが、ワクチンなしでも感染を放置すれば集団免疫が形成されるので、新型コロナの場合、症状がないか軽微な若者に感染させて、重篤化しやすい高齢者との感染経路を遮断すればいいという説だった。

 しかし、前者の場合にも国家をあげて強制的にワクチンを接種するのでもないかぎり、こうした集団免疫に到達することは難しく、接種した人は感染率が下がるので、なるだけ多くの人が接種を受けることが好ましいというのが、先進国での現実である。また、後者にいたっては、若者と高齢者との感染経路を遮断するのは、事実上は不可能であり、また、感染した若者にも死の危険があり、また後遺症が残ることもあって、この戦略は意図的に感染者と死者を作り出す、非倫理的なものだというのが、かなり多くの専門家の共通認識となっている。

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実は、テグネルはタルとのやり取りを行う前に、フィンランド衛生当局のミカ・サルミネンと意見を交換していたが、このときテグネルは「我が国の対策のひとつのポイントは、学校をオープンなままにして、集団免疫をずっと早く達成させるということです」とメールしてきたという。これに対して、サルミネンは「学校を閉鎖すれば高齢者の感染は10%減らすことができる」と述べた。これに対するテグネルの返信は「10%に何か価値があるのか」という否定的なものだったという。

 こうしたテグネルのメールを通じてのやり取りを考えれば、彼は公には目指していないと発言した集団免疫が、現実において達成可能だと信じていたのではないかというのが、ビヨルクルンドの推測である。そしてまた、そう推測しなければ、テグネルの言っていることがまったく矛盾していることは、このブログやサイト(「コモドンの空飛ぶ書斎」)で何度も書いてきたとおりである。

この推測が適切ならば、テグネルはおそるべき説を信じてしまっていたわけだが、この説がスウェーデンのコロナ対策だけにとどまらず、英国、アメリカ、ブラジルなど、感染させて集団免疫を形成すればコロナは終わりだという、為政者の方針の根拠となったことを忘れるわけにはいかない。さらには、実践にはいたっていないが、日本でもスウェーデンを根拠とした非自粛論や、はては日本人免疫保有説まで登場したのである。

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英国は途中でやめてロックダウンをしたのに、ずっと悪化したではないかという論者は大勢いるが、いったん感染を広域に拡散してしまえば、収拾はなかなかつかないという事実を示していると見るべきだろう。また、他のフランスやイタリアの感染者数や死亡率を提示して、スウェーデンはずっとましだと論じる人も多かったが、第2波が到来するとたちまちスウェーデンはそうした西欧諸国と数字の上でも肩をならべるようになった。死者数の伸び率にいたってはアメリカなみとなってしまった。そのいっぽう、人口密度や気候において条件が近い北欧諸国と比べた場合には、10万人あたりの死者数はノルウェーフィンランドの10倍、デンマークの4倍に達している。

 もちろん、科学にしても疫学にしても、仮説を立てて研究するのが常道だから、それにもとづいて対策を立てたこと自体は、批判されるべきではないかもしれない。しかし、あきらかにその仮説が経験と論理において破綻してからも、多くの感染者と死者を横目で見ながら非道な戦略を続けるというのは正気とは思えない。また、すでに多くの点で対策を変更しているにもかかわらず、自分たちの姿勢は変わっていないと発言し続けるのも(ローベン首相は、いまも政策は「本質において」変わっていないと公言している)、あまりに硬直した姿勢というべきだろう。

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