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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ミャンマーのクーデターを決断させた一言とは;中国の巧みな「バランス外交」

中国外務省の汪文斌副報道局長は、2月1日の記者会見でミャンマーのクーデターについて「ミャンマーの関係各方面は憲法と法の枠組みのもと、相違点を適切に処理し、政治と社会の安定を守るように望む」と述べて、事実上、軍事政権を支持した(ロイター2月1日付)。これはもちろん、中国外務省にとっては、ほぼ予想どおりだったと考えられる。

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今回のクーデターの理由となっている「選挙に不正があった」というのは、アメリカのトランプ前大統領の主張と同様、何の根拠もないフェイクであることは明らかだ。しかし、確かなのは米国で単に政権が共和党から民主党に変わるのとは違って、まず、国内は軍政による体制に移り、アウンサン・スー・チー政権の閣僚たちは拘束され、場合によれば暴動が起こり、しかも、中国の影響力が急速に拡大していくことになる。

 「中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報(英語版)は1日、『ミャンマーの現政権と軍の両者と関係が良好な中国は、両者が妥協案を協議するよう願っている』という専門家の見方を紹介した。巨大経済圏構想『一帯一路』を進める中国にとってミャンマーは、インド洋に通じる物流ルートの要衝で、東南アジア諸国連合(ASWAN)における友好国の一角を占める」(JIJI.COM 2月1日付)

 これなど、中国がまったく動揺していないことを示すエピソードだが、結局、中国にとって自国の世界戦略にとって有利な状況が生み出されれば、ミャンマーにおける政権が「民主」であろうと「軍事」であろうと、どちらでもよかったのだ。この点については、もう少し後に再び触れることにする。

 2015年にアウンサンスーチーの政党(NLD)が圧倒的な勝利をおさめ、それ以降は民主主義が進展してきたと思っているとすれば、それはあまりに非現実的な情報を信じていたことになる。実際には、議会を数字の上で圧倒しているのがNLDであっても、軍人たちは少数派ながら議会でも勢力を維持して、軍事や治安については事実上の支配力を持ち続けてきた。それを可能にしたのが、軍事政権時代につくられた独特の憲法である。

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このミャンマー憲法(2008年憲法)においては、軍人議席が最初から4分の1確保され、外国籍の家族を持つ人間が大統領になることはできないと規定してある。しかも、改憲には4分の3以上の賛成を得なければならないから、軍人議席を持つ者が1人でも「裏切者」になる必要があり、それは軍が勢力を維持しているかぎり不可能とみなされている。アウンサンスーチーが大統領に就任する意欲はあっても、憲法によって拒否されるわけであり、これは彼女を狙い撃ちした規定に他ならない。

 そのため、アウンサンスーチーは2015年選挙において圧倒的多数を制していながら、大統領にはなれずに、閣僚をいくつも併任し、さらに新設の「国家顧問」に就任することによって「事実上の大統領」として権力を行使してきた。昨年、スーチー率いるNLDが改憲案を提出したが、当然のことながら軍人議席の議員たちが拒否したことで、完全に否決されていた。

 もちろん、スーチーも最初のころには対抗姿勢をむき出しにして、軍事勢力を批判していたが、その後、いくつかの局面で妥協したこともあった。しかし、昨年の選挙で議席の83%を獲得して、さらに軍事勢力は自分たちの権益が危険にさらされているという思いに駆り立てられたことは十分に考えられる。この憲法ゆえにエリート軍人たちは個人資産についても保証されていたのだ。しかし、それが直ちにクーデターの計画に向かったかといえば、そう簡単ではなかったはずだ。

 少数民族ロヒンギャ問題などで、海外から批判はされていたが、なんといってもスーチーは先進諸国にとってミャンマー民主化の象徴であり、とくに人権を強調するアメリカにとっては、アジアにおける中国との勢力争いの橋頭保といってよかった。経済的に開放されたミャンマーが、再び軍政に戻った場合、せっかく上昇している国際的地位が損なわれてしまう危険があった。それは軍人勢力にとってもありがたいことではない。そこで、少なくとも大国の支持という保障が必要だった。

 昨年1月、習近平国家主席ミャンマーを訪問したさい、アウンサンスーチー国家顧問と会談したが、このときミンアウンフライン総司令官とも会っている。いうまでもなく、今回のクーデターの首謀者である。習はミンアウンフラインに「両国がどう変わっても緊密な協力を行い、相互支持という正しい道を歩んできた」と語り、フラインのほうも「経済社会の発展と国防建設への長期の援助に感謝する」と述べたという。(前出JIJI.COM、ロイター2月1日付)

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王毅外相とフライン総司令官(新華網より)


さらに、今年の1月には中国の王毅外相がミャンマーを訪れ、このときもスーチーとフライン両者と会談している(日本経済新聞2月1日付、ロイター前出)。ミャンマーに対しては民主勢力と軍事勢力の両天秤で外交を展開するというのが、中国のミャンマー政策であって、それは常にアメリカを中心とする先進国との勢力争いのなかで、ある意味、賢明な選択だったといえる。

 しかし、民主勢力が昨年11月の選挙において圧倒的な勝利を収めたという事実と、中国の繰り返される軍事勢力への間接的な支持は、そのリーダーであるミンアウンフライン総司令官にとって、「いまやっておかなければ、これからますます自分たちの権益が縮小する」という判断を促すのに十分だった。そしてそれは、中国にとっても必ずしも迷惑な事態ではなくなっていた。2月1日、中国政府が直ちに軍事政権支持を打ち出したことからも、それはうかがうことができるだろう。

 

【追記】2月2日 外交誌フォーリン・アフェアーズ2月2日付に掲載されたアジア外交誌編集長セバスチャン・ストランジオの「ミャンマーのクーデターは予告された出来事」によれば、ミンアウンフラインの決意を促したもののひとつに、彼がもうすぐ65歳になり現役将校からの引退が予定されていたこともあったという。また同論文は、中国はミャンマーと西側先進国の間の摩擦を常に利用しようとしていると指摘している。

【追記2】2月6日 この投稿は4日前のものですが、何か政変が起こったさいには、首謀者の個人的理由、その国の内政の状況、そして外国との関係から考えるのは、いわば常識だと思われる。ところが、軍政と聞いただけで軍隊の野望だけに絞って論じたり、スーチーが掲げた民主主義への攻撃だけを取り上げたり、国内だけの政治闘争をあれこれひねり回しているのは、考察としては偏頗なものと思われる。いずれ再考するにしても、中国の動きを前提としたこの投稿をもう一度読んでいただきたく、あえて再投稿しました。

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