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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ミャンマーを軍政に転落させたのは選挙だった?;ランド研究所の分析を読む

ミャンマーでは民主主義派が抗議を続けているが、いまのところミンアウンフライン総司令官の軍政を覆すといった事態にはなっていない。そもそも、民主主義派に味方する軍事勢力がないのだから、クーデターによって成立した軍政を跳ね返すことは難しい。「民主主義とは脆弱なものなのだ」と改めて思った人もいたかと思われる。

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外交誌ナショナル・インタレスト電子版2月14日付に「ミャンマーのクーデターと昨年の選挙:その制度が問題なのだ」という論文が掲載された。著者はランド研究所のショーン・ゼイグラー。ランド研究所は戦略や制度の数理的分析で知られていて、この論文も一部に数理的な分析があるが、常識の範囲内であってそんなに難しくない。

 ゼイグラーによれば、ミャンマーでは昨年の11月に国政選挙が行われ、アウンサンスーチーの率いるNLDが地滑り的勝利を収め、民主主義の奇跡といわれたが、彼はまったく驚かなかったという。それはミャンマーの民主主義が堅固だからではなく、ミャンマー選挙制度に問題があったからだというのである。彼は注目すべき4つの観点を提示している。

 第1は、これまでの例を見ても、軍事クーデターと選挙というのは高い相関性を示してきた。選挙があった後でクーデターが起こるというケースは少なくないというのだ。「もっと正確にいえば、クーデターとクーデターの試みは、選挙による抗争のすぐ後に起こりがちだといえる」。昨年もアフリカのマリで、選挙のあとにクーデターが起こっている。

 第2は、軍事リーダーというのは、高いレベルで国民の支持を得ている指導者や政府に、とってかわることには躊躇するということが、一般論としていえるという。「失敗したクーデターは高くつくものであり、ときには内戦へと発展してしまうことがある」。その代表的例としては、スペイン内戦が挙げられている。だから、軍部が動いたときには、そうしたリスクが低い状態だったのではないかと考えてみる必要がある。

 第3は、これは第2の観点から出てくるもので、選挙というものはクーデターを企んでいる軍事リーダーに、これから転覆させようとする政権の強度について、情報を与えてくれるということである。「現政権が敵対勢力に比べて、選挙での勝利のマージンが縮小していれば、クーデターは起こりやすくなる」。

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ここまで読んでこられた読者は、最初の第1点は分かるが、第2、第3の点は今回のミャンマーには当てはまらないのではないかと思ったかもしれない。なぜなら、スーチーのNLDは、軍人枠はともかくとして、83%もの議席を獲得したのだから。しかし、ゼイグラーは、そう見えていただけであって、ミャンマーの選挙は必ずしも、NLDの圧勝ではなかったのかもしれないと示唆するのである。

 第4は、まさにこの選挙なのであって、もちろん不正があったということではなく、その制度が大問題なのだというわけだ。国政選挙にはいろいろの方法があるが、大きく分けて2つの傾向があるとゼイグラーはいう。ひとつが、単純小選挙区制。もうひとつが、過半数を条件とする選挙制度で、この場合、決選投票と組み合わせて、最終的に過半数を獲得した候補者が勝つ制度である。

 もちろん、日本のように小選挙区制を基本としながら比例代表制をかませて、あれこれ工夫することが多い。ヨーロッパに多いのは比例代表制だが、なかには小選挙区制を基本として、決選投票で過半数を獲得することが当選の条件としている国もある。いずれにせよ、シンプルな制度は欠陥が出てしまうので、それを回避する制度を加えるのが普通である。

 ところが、ゼイグラーによると、ミャンマー選挙制度はかなり単純な小選挙区制を採用している。そのお陰で2015年の選挙でもスーチーの民主主義派が大勝したのであり、そしてまた、昨年の選挙も「地滑り的」にNLDが大勝した。この選挙では92の政党が、6900人の候補者を立て、そして1171議席を競った。その選挙制度は単純小選挙区制だったのだから、地滑り的勝利はある意味で当然なのである。

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この単純小選挙区制の説明のところに、いわゆる「コンドルセのパラドクス」あるいは「アローの不可能性定理」が出てきて、ややっこしい話のように思われるが、政党数が多く候補者も多く、そして議席数も多い国で、単純小選挙区制を採用したらどうなるかという、ごく常識的な問題だった。圧倒的な投票数がなくとも、圧倒的な議席を獲得するといったことが起こるのだ。かくして、先ほどの第1から第3までの条件は整って、いまのような状況を招いたということになる。

たしかに、スーチーのNLDは圧倒的な議席を獲得していたが、その背後には必ずしもNLDを支持しない人たちの大量の「死票」があった。また、ミャンマー軍部出身の候補者たちはみじめな敗北を喫したが、制度が違っていればそこそこの議席は得られたのかもしれない。ザイグラーは、次のように分析している。

 「ミャンマーの軍部は、こうした事情を正確に理解していたとは思われず、彼らのクーデターという賭けはまったく逆の方角を向いていた。とはいえ、選挙でスーチーのNLDは圧倒的な勝利を収めたかにみえたが、それはいまクーデターを覆すほど十分な勝利ではなかったのである」

 こうした構図が本当に成立していたのかは、もう少し詳しいデータを集めないと、なんともいえない。しかし、少なくともこうした選挙制度が、政治を不安定化する原因の大きな要素だったとはいえる。制度的欠陥をひとつのきっかけとして、いま、ミャンマーは国内においては軍政派と民主派に分断され、そして国際的には米中の国際勢力が衝突する中心的地域となっている。