HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

EUの失敗から日本のワクチン政策を見直す;権力転がしの道具にした菅首相の罪

ヨーロッパの新型コロナウイルス対策において、EUが十分に役割を果たしていないのは明白だろう。参加国のすべてにおいてコロナ禍が広がり、その決定的処方であるコロナ・ワクチンの接種においてもまったくリーダーシップが取れていない。それどころか、アストラゼネカ製ワクチンを巡っては、根拠薄弱な接種停止を阻止することすらできなかった。

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経済誌ジ・エコノミスト3月31日号は「なぜEUのコロナ・ワクチン計画がうまくいかなかったのか」を掲載して、この失敗の本質に迫ろうとしている。もちろん、同誌は英国の雑誌だから、EUの惨憺たる失敗を冷ややかに見ているという側面がある。しかし、また同誌はブレグジット反対の急先鋒とされたこともあり、英国のワクチン政策の進展がEUからの脱出のお陰だといったような、単純な説を振り回しているわけでもない。

 「アメリカはすでに1億4800万回分のワクチン接種を終えていて、国民の38%に第一回目の接種を行い、20%の人には第二回目も済ませている。英国の場合には第2回目が遅れているが、第1回目はすでに58%まで来ている。それに対してEUの場合には7000万回分が終わっただけで、これは英国の2倍ではあるものの、EU全域の成人の14%に第1回目が済んだにすぎない」

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The Economistより


日本の1%程度というのに比べれば、まだ、まともかとも思われるが、EUのコロナ禍は数値において日本の10倍超だから、こんなものでは、接種の途上にあるとはいえ、とても安心できる数値ではない。いまだに日本ではピンと来ていない政治家が多いようだが、コロナ禍対策においては、「ワクチンが使えるようになる前」と、「ワクチンが使えるようになった後」では、対コロナ禍戦略がまったく変わってしまう。その点、たとえ14%の接種率であっても、満足できるものではないのは当然なのである。

 さて、ジ・エコノミスト誌が挙げているEUのワクチン後の戦略失敗の原因は何だろうか。まず、EU委員会でコロナ禍を担当している閣僚のパワーが小さすぎることである。そもそも、EU委員会がワクチンに十分なワクチン調達ができる準備があったかといえば、ほとんどなかった。たとえば、EUの防衛問題をあれこれ論じることはできたとしても、ワクチン調達のノウハウなど、この委員会にあるわけがないのである。しかも、保健行政を担当している閣僚は、EUのなかでも小国出身で、調達力も政治力もないのである。これは日本の場合にも、実は当てはまるわけで、あとで詳しく考察する。

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また、ワクチン調達に用いられる資金が十分だったかについても疑問符が付く。たとえば、アメリカやイギリスにおいては、mRNA型(つまりはファイザーやモデルナのワクチン)について、まさに湯水のごとくワクチン調達に資金を回したといわれるが、これがEUの場合はどうだったかというわけである。

 この点については、モデルナ社には米英よりも高い金額を提示したという説もあって、ファイザーが必ずしも金額だけで判断したのではないとの観測もある。たとえば、イスラエルのケースなどを考えれば、首相が出向いて直接交渉し、しかも金額だけでなくデータの全面的提供を申し出るなど、売る側にとってのメリットを十分に考慮した交渉だった。これも日本の場合はどうだったかといえば、いまだに内情が本格的に報じられていないが、首相が自ら出向いたわけでもなく、また売る側にとってメリットが何だったのかなどについても、日本の担当は考えていなかったと思われる。担当相が「あんたじゃ駄目だから、首相に来させなさい」と言われたという風説すらある。

 さらに、EU内においては、積極的にワクチンとして何を支援するかについて、分裂していたことが挙げられる。ドイツは国内にファイザーが販売するワクチンを開発したビオンテック社をもつことから、ファイザー=ビオンテックを推したかったかもしれない。しかし、このmRNA型ワクチンは値が張るので、EU内の非富裕国はとても無理だろうと思われた。そこで、フランスの製薬会社サノフィが開発していた、比較的安いワクチンを支援しようとしたが、これが2020年末になって高齢者の免疫反応が不十分と分かった。これは従来型のタンパク質ベースのワクチンだったらしい。

 そこで、しかたなく価格が安い英国のアストラゼネカ製ワクチンで接種を拡大することになったわけだが、2つの大きな試練に直面することになる。第一に、皮肉なことに英国起源の変異株ウイルスが急速に感染を広げていったことである。そして第二に、周知のように、このワクチンが血栓症を起こしやすいという疑いが広まって、一時的に停止される騒ぎとなった。

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The Economistより


この血栓症の発生確率はかなり低いものだったので(ワクチンを接種しない場合の発生率より低いともいわれた)、EU委員会は「血栓症のリスクによるマイナスよりワクチンの効果が生み出すプラスのほうがはるかに大きい」と断言したが、その後もさまざまなデータが出てくるにつれて、それが研究者の共通認識とはなっていないのに、アストラゼネカ製ワクチンの信用を下落させている。いまや、EU内の非富裕国のなかには、EMA(欧州医療庁)が承認していないロシア製や中国製のワクチンに、依存しようとする動きさえあるといわれている。

こうした状況のなかで、EUの指導者たちの言動は必ずしも冷静で適切だったとはいいがたい。慎重に対応すると思われたドイツのメルケル首相ですら、アストラゼネカ製ワクチンの接種を再開したものの、血栓症の発生確率が低いと思われる60歳以上に限った。特に、フランスのマクロン大統領は、アストラゼネカ製に対して反感をもっていたらしく、最初は「このワクチンは高齢者には効かない」と発言していたが、血栓症の問題が起こると今度は「このワクチンは高齢者にしか使えない」という体たらくで、とてもフランスが誇る秀才大統領とは思えない振る舞いだった。

 以上が、ジ・エコノミストが報じている内容に補足を加えての紹介だが、アストラゼネカ製ワクチンについて、ドイツの反応を多少加えておこう。ドイツの報道を見ていると、必ずしも、欠陥を暴いて批判するというものではない。少なくとも、中道派のフランクフルター・アルゲマイネ紙は、繰り返し接種継続を訴えたし、リベラル派の南ドイツ新聞も接種の効用のほうがリスクよりも大きいと報じてきた。

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特に、フランクフルター紙のヨアヒム・ミューラー=ユンク記者は、繰り返しアストラゼネカ製ワクチンを敵視する愚を指摘しているが、同紙3月31日付にかなり長い「アストラゼネカは他のワクチンより本当に危険なのか」を書いて、アストラゼネカにとって不利なデータも紹介しながら、それでも、いまのEUおよびドイツにとって、ワクチンの接種によって危機を超えていくべきことを主張している。

さて、こうしたEUでのワクチンを巡る混乱から、日本は何を学べるかである。すでに、少し書いてしまったが、ワクチンが完成する前と、ワクチンが使えるようになった後では、コロナ対策は劇的に重要ポイントが変化することを、日本の政治家、とくに菅総理は今も分かっていないのではないかと思われる。ワクチンが完成したことが分かれば、ワクチン戦争といわれる調達競争のなかで、どのように日本人に早く多く接種することを考えるのかが、まずは日本の政治家の責任となる。

それは、たとえ、金に糸目をつけないでワクチンを買ったと言われたとしても、最初の発想はそこから始まるのは、残念ながら世界の現実である。自ら膨大な資金を携えて出向いたイスラエルの首相は特別としても、アメリカや英国の指導者が臆面もなく追求した道であり、また、ここまでEUの事情を見てきたことから分かるように、そうしない政治単位は、コロナ禍脱出から後退の危機に落ちいるのである。

 もちろん、「そこまでやらなくとも、日本の感染率や死亡率は低いから大丈夫だ」とか「ワクチン戦争だとかいって煽るのは情けない」という意見があるのは分からないこともない。しかし、まず、感染率や死亡率が低いことを喜んでいられたのは、ワクチンが完成して使えるようになる前の話であり、いったん接種が可能になったら、別の競争が始まるのだ。それは当面の対処ではなく、脱出した後の状態の構築である。

 つまり、集団免疫が可能であれば少しでも早く集団免疫を目指す。それが不可能なタイプのウイルスならば(どうも、新型コロナはこっちらしい)少しでも多く接種者を増やして生活と経済を回復させるということである。勘違いしてならないのは、これは生活と経済が大切だから、若者に野放図に感染させて、その結果として高齢者の死者数を増やすのを放置させろというバカな議論とは、まったく発想がちがうということである。そして、いま米英が必死に進めているのは、世界最悪のコロナ禍からのワクチンを使った脱出であり、感染率を下げて一息つこうというものではない。感染は続いても活動は全面的に再開するという攻めの姿勢なのだ。他の国もある程度のキャッチアップをしなければ、今度こそ「後れを取る」ということになるだろう。

もうひとつ、そこまでやるのは倫理・道徳的にみっともないという説だが、これも程度問題として論じるべきテーマだと思う。カナダのように必要なワクチンの接種回数の11倍を注文するというのは論外としても、たとえば、死亡のリスクが高い高齢者に接種する分は、かなり高くついても膨大な資金を投入して、素早く購入を決めてしまうというのは、それほど倫理的に非難されるような行為ではないはずである。

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日本のワクチン接種の異常な遅れは、こうしたワクチン戦争という現実を甘くみたために、単に買い負けてしまっただけで、倫理・道徳的に「いい子」になろうとした結果ではない。それどころか、コロナ禍とワクチン戦争を軽く考えたため、新たに「新型コロナ対策担当大臣」とか「ワクチン担当大臣」をつくって、決定と責任を無意味に遅延拡散してしまい、緊急集中を要するコロナ対策やワクチン対策を、自らの権力拡大のための道具にしただけのことだった。やるなら、厚労大臣を差し替えて、コロナ大臣は併任でなくてはならないだろう。厚労省の抵抗があるとすれば、それを圧倒してこそワクチン接種を加速できることになる。

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NHK厚労省などへの取材に基づき放送した「スケジュール」。

河野ワクチン大臣がツイッターで「デタラメ」と批判した。


これは権力を弄んだといわれても仕方がない愚行だ。日本のワクチン接種は、本来、ずっと早く進行していてよいものだった。河野をワクチン大臣に任命したことを「英断」という人もいるようだが、あまりに遅いアクションで完全な「失政」というべきだろう。日本の今の厚生労働大臣のみじめな表情を見れば(とはいっても、この大臣が本来は優秀だと言っているわけではない)、コロナ=ワクチン対策の異常な出遅れの原因は明らかであり、これからますますボディブローとして効いてきて、日本に災厄をもたらすものとなっていくだろう。