HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

中国がmRNA型のコロナワクチンを開発中!;世界のワクチン市場と戦略構造が大きく変わる

中国は、いまやっきになって、メッセンジャーRNA型のコロナワクチン開発を推進している。もちろん、実際にやっているのは国内の製薬会社だが、いよいよ最大の国営企業シノファームが本腰を入れているというので、海外マスコミがつぎつぎと取り上げている。世界のワクチン市場だけでなく、世界のワクチン戦略に、きわめて大きな影響があるからだ。

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まず、ブルームバーグ9月2日付が「中国のmRNA型のコロナワクチンが年内には実用化される見込み」を掲載して、ウォルヴァックス・バイオテクノロジー社がmRNAワクチンの治験で第三相に入ったと報じた。続いてフィナンシャル・タイムズ9月7日付が「中国のシノファームが独自のmRNAワクチンを開発中」と報じて世界に衝撃を与えた。

「もちろん、シノファームが中国独自のmRNA開発をやっている唯一の企業というわけではない。たとえば、もっと規模の小さな会社であるウォルヴァックス社もすでに治験を進めている。しかし、シノファームのような巨大国営企業が参戦したという事実は、中国のワクチン・テクノロジーに大きな追い風になる」

これまで、国営企業であるシノファームはいわゆる不活性化型とよばれるコロナワクチンを開発して、民営企業であるシノバックスとともに、中国国内のワクチン接種だけでなく、多くの途上国へのワクチン供給を行ってきた。すでに中国は20億回分のワクチンを製造し、100カ国を超える国々にコロナワクチンを提供している。

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しかし、すでにこのブログでも紹介してきたように、必ずしも十分な免疫が得られないことが、供給を受けてきた国々で明らかになっている。データとしては治験の第三相で3週間の間をとって2回接種すれば79%の有効性があるとされており、ファイザーのmRNA型ワクチンの95%に比べれば低いものの、十分な数値だったはずである。

ところが、実際に使った国のデータでは、もっと低い結果しか出てこないのである。おそらくは、中国国内でも同じような失望が生まれたのだろうが、独特の情報空間だから海外には正確なことが知られていない。それでも、ある程度の効果はあったから、そこそこ使えたことも間違いない。

たとえば、カンボジアなどではシノファームあるいはシノバックスのワクチンを接種して、2回目には英国のアストラゼネカ製ワクチンを接種すると、かなり高い有効性が得られることが分かった。また、国内の薬品会社復星医薬集団は、mRNA型のファイザー製ワクチンを開発したドイツのビオテック社と提携して、中国政府の認可を待っていたといわれる。

さて、すでに述べたことだが、ウォルヴァックス社のみならず巨大国営企業シノファームが、mRNA型ワクチンを大量に製造するようになると何が起こるのか。その有効性や安全性がハードルのひとつだが、それをあるていど超えてしまえば、世界のコロナワクチン市場は構造自体が変わってしまう。

かつて、日本は1960年代に小児麻痺ワクチンがアメリカから供給を受けられず、当時のソ連から供与してもらったように、今度は世界中の国々が中国からmRNA型ワクチンを供与してもらおうとするだろう。これはアメリカ、ドイツ、英国が得ていた市場におけるアドバンテージが失われることを意味する。と同時に、これは中国のワクチン戦略が急激に進展することを意味するわけで、日本からも親中派自民党政治家が北京詣でを繰り返すかもしれない。

気になるのは、もちろん、もうひとつある。日本のワクチン製造はどうなっているんだという、当然の疑問である。いまのところ、複数の製薬会社がコロナワクチン製造を試みており、年内には認可されそうだというニュースもある。たとえば、医薬品情報サイトであるアンサーズニュースによれば、アンジェス塩野義製薬第一三共、IDファーマ、武田薬品工業、VLPセラビューディクスなどで、いまの時点では政府の補助もそれなりになされているように見える。しかし、なぜ、今の段階になっても日本製ワクチンが接種されていないのだろうか。

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F.T.comより


これは、このブログやサイトで繰り返し述べてきたように、そして、最近では報道でも伝えられているように、日本は世界でも極端な「反ワクチン国」になってしまっていたからである。その原因は、あるワクチンの副反応について訴えられたとき、政府が最後まで法廷で反論せずに、補償することで論争を回避してしまったからといわれる。以降、製薬会社はワクチンの開発には乗り気でなくなり、いわゆる知識人にも漠然としたワクチン恐怖を広める言論をすることが横行したという経緯がある。

もちろん、あらゆるワクチンに副反応はある。しかし、それが効用に比べて耐えられるものか否かを、さまざまな視点から論じるというのが、知識人や専門家の任務だったはずだろう。いまのような事態になって初めて、それが実現しつつあるのは、遅すぎたという感じがしないものの、けっして悪い方向ではないといえる。

ところが、なかにはいまのような状況になっても、「日本人には免疫がある」とか「若い人に感染させれば集団免疫が達成できる」と誤った主張していた人間のなかに、もはや完全に反証されているにもかかわらず、同じような主張を続けている者たちが存在しているのだ。そういう人間はどんな国にも、どんな時代にも存在するので、いまさら驚いてもしかたないかもしれない。

しかし、さすがにおどろいたのは、「ワクチンの危険性のほうがコロナ感染の危険性より高いが、自分の職場がルールで接種を進めているので接種することにした」などと述べている「知識人」がいたことだ。しかも、それが合理的な判断だとほめている、それに輪をかけた能天気な知識人もいるのである。後者は、今のコロナウイルスは「その程度のもの」(つまり、ワクチンなど打っても打たなくてもいいもの)だと、いまも思い込んでいるらしい。

最初に得た知識の判断が大きく間違っていたのに、後生大事にしがみついている。ここまでくれば社会心理学でいう「認知的不協和」の典型例だろう。こういうご立派な「知識人」たちは接種する必要はないから、どこぞのカラオケで若者たちとシャウトして、「君たちは集団免疫に貢献している」と煽り続ければよい。まあ、そのうちご本人たちも「貢献」できるかもしれない。