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東谷暁による「事件」に対する解釈論

コロナ禍での自殺白書への疑問;職場で追い詰められただけなのか

日本における2020年の自殺が11年ぶりに増加しており、しかも、男性は微減しているのに女性が15%もの増加だったとの『自殺白書』が閣議決定された。このことから、コロナ禍のなかで追い詰められた人たちが自殺に追い詰められ、とくに、女性は労働環境での変化が大きかったからだとの指摘がマスコミでなされている。しかし、これは本当に正しいのだろうか。

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たとえば、朝日新聞11月2日付電子版で「コロナ禍で雇用環境が変化し、非正規雇用で働く女性の割合が拡大した。厚生労働省は『新型コロナの感染拡大による労働環境の変化が、自殺者の増加につながる要因の一つと考えられる』としている」と述べている。

そのいっぽうで「(過去5年の平均値の)データと比べると、働く女性の自殺が増えていた。職業別で最も増えたのは『被雇用者・勤め人』で、381人。次いで『学生・生徒』は140人増だった」とも述べている。半分以下なのだから大したことはないと考えるのかもしれないが、学生・生徒もこれだけ増えていれば、「女性」というファクターと「労働環境」というファクターが大きいにしても、他のファクターを考えるのが自然である。

そして、何よりも去年だけでなく今年もコロナ禍が続いているのだから、報道機関たるもの、官製の白書からだけでなく、2021年の自殺の状況(もちろん、9月くらいまでしか分からない)も考慮に入れながら報道しないと、肝心のファクターが欠落してしまう危険性があるのではないだろうか。

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簡単に見てみよう。上図は厚生労働省自殺対策推進室と警察庁生活安全局生活安全企画課の連名によって発表されている『令和2年中における自殺の状況』(令和3年3月16日)からとった「月別自殺者数の推移」である。注目していただきたいのは、令和2年(赤色)の1月から6月までは例年より少なく、7月から急に上昇して9月から10月にかけては例外的な高さを示している。

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さて、もうひとつ、これは残念ながらグラフになっていないが、今年(令和3年)の1月から9月までの男女および合計の自殺者数データ(上図)である。これをざっとみていただいて、前出の「月別自殺者数の推移」と比べていただきたい。まだ、10月から12月が不明だが、おそらく平成年間と同じレベルに戻っているように読めるのではないだろうか。注目してよいのは急激な変化とか、異常値といえるような数値が、まだ今年は見られないことである。

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そこで、もっとも少なかった令和元年の男女および総数のデータ(上図)と比べてみれば多いが、男性の場合にはほとんど同じような数値になると予想される。さらに、これをまだ多かった平成27年のデータを比べれば、おそらく男性も女性も少ないという結果が得られるのではないだろうか。ということは、コロナ禍による勤務環境だけをファクターとする議論は、実は、きわめて危ういということである。そもそも、全体で見た場合、増えているのは経済・生活問題ではない(逆に減っている)のも、女性を追い詰めているのは労働環境だけではないことを意味しているのではないのか。

すでに、ほとんどの人が気付いておられるだろうが、昨年の7月と9月はそれぞれ有名な男優と女優が自殺している。そのことで自殺数が増えるというのは、これまで自殺について研究してきた人たちのあいだでは、ほとんど当り前のことといってよい。実は、すでにこのブログでも「コロナ・パンデミックは自殺を増加させない;医学専門誌ランセットの論文が主張している」(4月24日付)を紹介しておいた。同論文ではこの2つの月の異常値をためらうことなく俳優の自殺に帰し、おそらく2021年は例年並みになると予測していた。

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また、メディアでの扱いについて述べておけば、BBCニュース2月18日付が「コロナと自殺:日本の急増は世界への警告か?」のなかで「セレブリティ・フィノメノン(有名人自殺現象)」として、自殺した俳優の写真までいれて言及している。「他の専門家は有名人の自殺をあげている。この現象は日本に特有というわけではない。有名人の自殺の直後は、マスコミやソーシャルメディアで話題になればそれだけ、危機にある人たちへの衝撃が大きくなるのである」。社会的危機プラス心理変化として考えるのは、実は、当たり前なのに日本の報道では言及されていないのである。

日本のメディアはこうした「有名人自殺現象」について、最近、どういうわけか触れなくなった。そして、官製のレポートは、(これは必ずしも間違っていないが)女性がコロナ禍のなかで弱い立場に追い込まれる、ということだけを主張するようになった。甚だしいものでは、ある研究者グループが、昨年の後半のデーターだけで判断していた例もあった。前半は逆にコロナ禍が始まってから減っているのだから、この点についても説明がないのも、実は、おかしい。問題は多くの要素がある自殺という現象を、関連官庁や関連研究機関の都合で、不当に安易に絞り込んだ考察をしてしまうことである。

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もっとも、コロナ禍が始まったころに、単なる比例計算ていどの手続きで、ロックダウンとか緊急事態宣言によって、数十万人の自殺者が生まれると主張していたグループがあった。このグループは経済問題でも、きわめて簡単な比例計算程度の根拠で日本経済を救うといっているので、いまさら驚かないが、立派な研究者がかかわったお国がらみのレポートが、狭い見識だけで発表されるのは実になさけないと思う。

 

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