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東谷暁による「事件」に対する解釈論

なぜ日本だけがデフレなのか?;金融資産の移動だけが問題ではない

先進諸国でインフレが進行している。アメリカでは最近のインフレ数値を見て、FRB金利引き上げが来年の中頃にはあるという予測が飛び交っている。ところが、先進国のなかでは日本だけがデフレに戻ってしまっているのだ。欧米のメディアはその理由を求めてあれこれ論じているのだが、結局のところ明快な回答は見られない。

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まず、アメリカでの論争を見てみよう。人気経済学者ポール・クルーグマンが先週のニューヨーク・タイムズに、「需要が弱まっても、金利を下げるのに十分な余裕がなくなってしまうしまうというので、FRBが慌てて金利を上げたりすれば、とんでもない大失敗ということになってしまうだろう」と述べた。つまり金利を上げるのは反対だというわけだ。

これに対してブルームバーグのネット版に登場した元財務長官のラリー・サマーズは「われわれの経済は、需要の面でとても強い状態だが、供給の面ではそうではない。いまのままでは過熱する恐れがある」と述べて、FRB金利を引き上げることに躊躇することがあってはならないと言うのである。

もちろん、両者の意見は真っ向から対立し、クルーグマンがインフレは一過性だから金利を上げるのは危険だと言っているのに対し、サマーズはすでにアメリカの経済は加熱の兆しを見せているから、FRB金利を上げることを本気で考えるべきだといっている。しかし、二人の議論の土俵というのは、金融政策のなかにとどまっていて、逆にいえばインフレを考えるさいにも、金利でコントロールできる範囲内にあると考えていることは明らかだ。

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日本だけが世界のインフレのなかで特異だ


日本でこうした論争を見ていると、たしかに、日本というのはジ・エコノミスト11月20日号が言うように「特異体質」をもっているのではないかと思えてくる。この特異体質とは、他の先進国がインフレに慄いているとき、日本は消費者物価で0.1%しか上昇せず、エネルギーと生鮮食品を除くと、なんとマイナス0.8%のデフレになってしまう。上のグラフを見れば明らかなように、日本だけがインフレが問題なのではなく、デフレが再び問題になっているのである。これを特異体質といわずして何を特異というのか、といいたくなるほどである。

同じようにウォールストリート紙11月21日付でも、経済分析をやっている人たちは「低インフレ、低金利、低成長」の組み合わせを「ジャパニフィケーション」と呼んでいると述べて、いかに日本が「特異」なのかを際立たせている。しかし、日本がそれほど特異でもなければ、日本人がこの世の初めから特殊な社会的性格である「ジャパニフィケーション」をもっていたわけではない。

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思い出すべきなのは、クルーグマンが1998年に「イッツ・バ~~~~ック」という変なタイトルの論文を書いて、日本経済がデフレから脱却できないのは、いま日本人が将来を悲観する心理を持っているからだと論じたことである。最近、いかにもアカデミック風に論じている本を読み返していたら、インフレターゲット政策というのはマネーベースを増やしてやることだと説明していて、もう最初から間違っているので呆れてしまった。

日本のインフレターゲット論を主導したクルーグマンの論文は、まったくそうではない。ちゃんと、マネーベースを増やしても、それがそのままマネーストックを増やすことにはならないと述べている。そのために、バーナンキたちが論じていたインフレ抑制策としてのインフレターゲット政策を「ひっくりかえした(インバーテッド)」、新バージョンのインフレターゲット論による政策をやるべきだと主張していたのである。

しかし、数学を使ってミクロ経済学的にも、将来に不安があると消費をしなくなることを「証明」したのはいいが、では、どうすればいいかについては中央銀行が「これから日本はインフレになります」と宣言して、ひたすら金融緩和政策をすることくらいしか、提案していなかった。そこで日本政府と日銀は、金融緩和をするのだからマネーベースを増そうとやってみたら効果なしで(当り前だ)、さらに、マイナスの金利を採用してみたが、それも弊害が多いだけで目標が達成できなかった(当り前だ)のである。

そこでクルーグマンアメリカで金融危機が始まったときには、ひらりと身をひるがえして、ひたすら財政出動を主張しつづけた。つまり、金融政策ではバブルが崩壊したときには効かないことに(「やっぱりなあ」とは思ったけれど)、改めて気がついたわけである。それは、正しい判断だったが、こういうフェイントを入れているので、日本人はその後も、新しい理論(本当は少しも新しくないのだけれど)をいくつも輸入したわけである。

浜田宏一などは、最初はクルーグマンインフレターゲット策を「心理的にだます」政策だとして批判していたのに、どういうわけか内閣参与になるとインタゲ策の推進者となり、それがうまくいかないと分かると、財政支出を肯定するために「目からうろこが落ちた」といってシムズ理論を称賛した。おやおやと思っていたら、こんどはMMTでもいいそうで、ほんとうにご都合主義者というのは便利なものというしかない。

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新しい資本主義というのは蜃気楼ではないのか


なぜこんな話をするかといえば、クルーグマンが日本がデフレから抜け出せない理由として「心理」あるいは「期待」に注目したこと自体は、間違っていないと思うからである。ただし、(ここからが重要なのだが)クルーグマンの視野においては収入と支出、つまりフローしかなかった。それは時間が入ったモデルを作るうえでの都合だと思われるが、日本の不動産バブル崩壊の場合には、まさにストックつまり不動産の価値下落について注目しなければ、日本を30年間もおおっている「不安」の実態をつかむことはできないはずである。

MMTの場合にも、たとえば政府の負債が増えれば民間の貯蓄が増えるというが、これも金融資産だけで経済を見ていることにおいては変わりない。この世の経済とは金融経済だけでなく実体経済が存在している。ストックとフロー一貫などといっても、金融資産が取引されていくなかで、非金融資産をどのくらい残せるかという問題設定は、MMTの場合には存在していない。当然のことながら金融資産だけでなく非金融資産も経済を動かしている。ことに日本経済の不動産バブル崩壊後を考えるには、巨大な不動産について見なくてはならない。

たしかに不動産バブル崩壊の回復は完了したといわれてから久しい。しかし、それは金融資産から見ただけのことであって、非金融資産とくに不動産の価値下落について注目しなければ、この30年間に日本を暗くしてきた最大の原因が分からないことになる。たとえば、ある家計が1990年代の初めのころ4000万円の住宅(土地付き)を買ったとする。それはどのような事態を生み出していくだろうか。

このとき30年の住宅ローンの利子が8%だったとすれば(当時は普通だった)、以降、総計で約5000万円ほど振り込むことになる。この間、不動産の下落率が50%だとすると(これも普通だった)、いま持っている不動産の価値は2000万円に落ちてしまっている。つまり、無意味に3000万円をえんえんと払ってきたのである。これでは家計の支出は抑制されるし、心理的にはデフレ状態(鬱症)になって不思議はないだろう。そして、そうした無意味な振込みをやっている人たちはまだ生きている。

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個人資産のなかの不動産価値割合はこの30年間下落し続けた

 

全体で見れば、金融資産はこの30年増えているが、非金融資産は半分以下になっている。しかもそのためのローンは高利のままであり、経済と心理を圧迫してきたのである。ただし、この歴史的問題には夜明けがくる可能性もある。さきほどの4000万円の住宅を買った家計の一世代目は、非金融資産が2000万円しか価値はなくなっているが、それを子孫=二世代目にわたして鬼籍に入っていく。子孫がかなりの部分無職でないかぎり、自立した別の家計を維持し、資産総額は増えるから、これからの消費は伸びる可能性はもっていることになる。もちろん、氷河世代など収入が低いから、この点も依然問題になっていくだろう。

それに比べて世界の先進国は、そのほとんどがいま住宅価格バブルである(下図を参照)。この点、まったく日本と違っている。むしろ、インフレの潜在的で巨大な要因になっている。注目されているのはアメリカと英国だが、それはバブル崩壊後に金融危機のさいの不動産下落を住宅ローン担保証券を、中央銀行が急激に買い上げて、ある程度価格下落を抑えたからである。その後も、さまざまな住宅価格維持策によって価格は上昇を始め、ついにはバブルの状態になった。しかし、この2カ国のバブルなど大したことがなくなるほど、いまや他の先進国のバブルは甚だしい。

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日本の場合は個人の不動産を買い上げるという政策はとれなかった。バブルはすべてリアルな資産においてだったので、対処の方法がむずかしかった。かろうじて政府が不動産の買い上げを試みたが、下落を抑えることはできなかった。不良債権まみれになった巨大銀行への資産注入、財政出動による景気下支えは行ったが、住宅価格を上昇させることなどできなかった。そしてまた、アメリカなどのように住宅バブルを再び起こすこともしなかった。

巨大銀行への資金注入は金融システムの救済であって、個人の資産保護ではない。財政出動という金融資産の注入によって、経済の拡大が行なわれることになっても、個人の資産を支えはしなかった。ゼネコンなどの「内部留保型産業」に金融資産が流れ込んでも、間接的な個人消費の上昇は少ないだろう。それはバブル崩壊から回復するときの経緯を思い出せばわかる。

1990年代、こうした財政出動の金融資産を、あらかた飲み込んでしまったのがゼネコンだった。累積赤字が膨れ上がった巨大ゼネコンは公的事業を引き受けても、それを子請けや孫請けに、採算が取れない価格で請け負わせてしまい、流れ込んだ金融資産を確保しでて借金の返済に充てたことは知られている。その結果、子請けや孫請けは仕事をもらいながら、倒産したところが多かったのである。

これでは無意味どころか政策による国家の犯罪であって、消費を掻き立てるには家計の資産を増やさなくてはならない。もちろん、家計の場合、子孫の絶対数が問題であって、たとえば団塊の世代が鬼籍に入っていくときには、中古住宅があふれることになるから、不動産資産はさらに下落する可能性もある。この下落を可能な限り抑えていくというのも、これからの「バブル後遺症消滅世代」に対する政策の中心になるだろう。

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