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東谷暁による「事件」に対する解釈論

いかにしてロシアは核を使うのか;ウクライナ戦争が核戦争に移行するとき

3月22日、ロシアのペスコフ大統領報道官が、核兵器の使用を否定しなかったとの報道が世界を駆け巡った。CNNのインタビューに答えたもので、「ロシアが存立の危機に直面した場合、核兵器の使用を否定しない」との発言だったが、ウクライナ戦争が膠着状態にあることを考えれば、必ずしも過剰解釈とはいえなくなっている。

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プーチン大統領ウクライナ侵攻の前に核を含む軍事演習を展開し、侵攻直後にも使用の可能性があることを宣言している。「プーチンは侵攻の直後、高いレベルではないとはいえ、ロシアの核兵器使用を警告した。ロシアの核兵器についてプーチンが発言したのは、これが初めてのことだった」(ウォールストリート紙3月22日付アップデート)。

核兵器を使用すれば世界の世論はロシアを総攻撃することが予想され、完全に孤立することはもとより、核攻撃を含む報復の理由を西側に与えることになる。しかし、核使用は1945年以来なかったことで、どのような状況のなかでそれが起こるのか、世界は(その寸前までいった事例以外)ほどんど未経験である。もちろん、冷戦期にはそうした研究がいくつも行われていた。

経済誌ジ・エコノミスト3月19日号は「ウクライナ戦争がエスカレートして核の閾を超える危険」を掲載して、冷戦期に発表されたハーマン・カーンの予想に基づいてエスカレートの「階梯」を想定している。ハーマン・カーンは日本では『21世紀は日本の世紀』が有名で、未来学者としてもてはやされたが、その「未来」の中には核戦争も含まれていた。世界の戦略構造も当時とは変化したが、緊迫の段階を想定した予想は参考になる。

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ハーマン・カーンエスカレート44階梯

 

ハーマン・カーンは紛争がエスカレートして、核戦争が始まるまでの過程を44の「階梯(はしご)」で論じた。同誌によれば、ウクライナ侵攻はこの階梯の第12段に相当するもので、「大きな通常兵器による戦争」の段階に入ったことになる。「このことで世界は核使用は考えられないとすることを停止すべき閾を超えた」のだという。

ウクライナ核兵器を持っていないのだから、プーチンが核使用を想定するのはおかしいと思う人がいるかもしれないが、彼はあくまでNATOとの対峙を考えており、核による威嚇や核による均衡について考えるときは、NATO(とアメリカ)の核が前提であることを忘れてはならないと同誌はいう。

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wsj.comより;ウクライナの情勢は危険の度を増している


2月27日、アメリカと西側による金融制裁が始まったとき、階梯は第20段の「“平和的な”世界規模の通商禁止と封鎖」の段階に入った。このときプーチンはロシアの「抑止兵力」に対して「戦闘義務の特別な義務」に移行することを命じた。つまり、核使用もありうることを前提として、ロシア軍の将校たちが準備することを命令したわけである。

こうした段階に達したからといって、さすがにロシアも核使用までは至らないだろうと思いたい日本人は多いだろう。しかし、ウクライナ侵攻もまさか起こらないだろうと思っていた日本人も多かったのだ。それどころか、さまざまな報道によれば、おそらくはプーチンによる世論操作もあったにせよ、モスクワ市民すら開戦に至るとは思っていなかった。

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これは一種の「シミュレーション」にすぎないが、同誌はある「戦争ゲーム」を紹介している。2014年にロシアがクリミア併合に踏み切った直後に、西側で行われた専門家や軍人たちによる思考ゲームで、やってみたところ、ロシアの立場に立った参加者が、核兵器を試したくなることがしばしばあったというのである。

この場合に使われるのは小型核兵器であって、核武装していないウクライナへの先制攻撃を理屈をつくって(NATOがすでに準備しているとかにして)正当化するか、あるいは、ウクライナは実は持っていると主張して行われるという。これはまずロシアが、かなりのレベルの威嚇によって無条件降伏を要求し、それが受け入れられなかった場合、核使用が生じるというものだったが、いまやその状況がすでに現実に生まれている。

ところで、小型の核兵器というと、大量破壊だからこそ核兵器は意味があったのに、なぜ、わざわざ小型のものを使うのかという疑問を持つ人がいるかもしれない。しかし、大陸間弾道ミサイル搭載の核兵器のように、都市を完全に消滅させる威嚇を与える「戦略的」な規模ではなく、「非戦略的」あるいは「戦術的」なレベルを前提とした小型核兵器の開発は、ロシアだけでなくアメリカを中心にNATO諸国でも行われてきた。

とくにロシアでは、欧米で「軍事技術革命」がもてはやされた時期に、アメリカおよび西側の兵器のハイテク化についていけなくなったため、自国でも可能な核兵器の小型化や戦術レベル化によって対応したという背景があった。いまやロシアはそのときに開発した戦術型核兵器を、実戦に使うかもしれない事態になっているわけである。

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ジ・エコノミストがこれから生じる「脅威」を2つ挙げている。ひとつは、こうした小型核兵器をもちいてNATOの同盟国を攻撃することだ。たとえば、ルーマニアポーランドなどの兵器庫や船積みの武器を破壊することが想定される。もうひとつが、ロシアがウクライナ化学兵器を使用したという情報を流して(いま盛んにやっている)、自国が化学兵器の使用に踏みきる事態である。しかし、こうしたロシアの行動は西側の報復を呼び起こし、さらに双方がエスカレートする危険がある。

たとえば、この種の報復がロシアに対して行われた場合、まず、ロシアの軍隊や軍事施設が対象になるが、これはハーマン・カーンの第27段「軍事的なものへの報復」に達したことになり、さらにアメリカやヨーロッパ諸国に対する再報復の核攻撃の理由となる。この攻撃は国民に対して行われる可能性が高く、第29段の「住民に対する報復」に相当するが、ハーマン・カーンはさらに15段の過程をへて、最悪の第44段「痙攣的で無情な戦争」へと向かうとしている。

もちろん同誌は、こうした加速されたプロセスを阻止すべきだと考えているわけだが、どうもこの話題になると、プーチンの性格にバイアスをかけているような気がする。さらなるロシアの領土拡大の野望をもって邁進している独裁者を、ストップすることは難しいというわけである。「危険なのはプーチンが自らの領土をさらに拡大しようとしていること、あるいは、その限界を錯覚してしまっていることである」。

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この議論をするにあたって、同誌はゲーム理論核戦略に応用したトーマス・シェリングの「キャラクターは変えられない」という言葉を引用している。たしかに、ウクライナ戦争の「主役」であるプーチンの性格は変えられないかもしれないが、その性格というのも実ははあまりよく分かっていない。さらに、シェリングが全面的な核戦争を阻止するために何より強調したのは、「敵とのコミュニケーション」だった。

その点、すでにアメリカのバイデン大統領が、プーチンとのコミュニケーションをあきらめてしまったかのように見えるのが気になる。核戦争が想定されている敵ともコミュニケーションを維持するというのが、冷戦期の核理論家だったシェリングキッシンジャーたちが強調したことだった。

しかし、バイデンは何が理由なのか知らないが、はやばやと相手を「人殺し」と罵倒するようになっている。ウクライナの住民を殺害しているのは間違いないが、相手がたとえ悪魔のような人間だと分かっていても、コミュニケーションを続けるのが大国の指導者の任務であり責任なのである。もうプーチンを相手にしていないと宣言するのは(かつて「国民政府を相手にせず」と宣言し戦争を泥沼化させたある国の首相がいたが)、水面下で暗殺計画でも進めているのでないならば、ただの愚行というべきだろう。