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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナ軍の兵士たちの肖像;祖国防衛戦を遂行しているのは誰なのか

ロシア国防省は3月25日、この1カ月でのロシア軍の死者は1351人に達したと発表した。それに対しウクライナ側の死者は、同省によれば、1万4000人以上、負傷者は1万6000人に達しているという。しかし、少なくともロシア側のこれらの数値を信じる者は、ロシア人を含めて多くない。NATO軍当局者によれば、ロシア軍の死者は7000人から1万5000人、負傷者と捕虜を合わせると3万人から4万人と推計されるという。

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ウクライナで戦っているロシア兵士は、職業的軍人も多いが、今回はかなりの部分が「ロシア国内からかき集めた予備役や徴兵からなっている」(ゼレンスキー発言)といわれ、その士気が低いことは、欧米のジャーナリズムが繰り返し報じてきた。たとえば、英経済誌ジ・エコノミスト3月26日号は、「ウクライナ戦争における徴兵の奇妙な役割」のなかで、次のようなロシア軍の「腐敗」ぶりを指摘している。

「ロシアのある政治家は、ロシア軍には『義勇兵』になるサインを強制された兵士が含まれていることを認めた。通信の傍受による推測だが、任務を放棄した兵士は少なくない。また、反抗する兵士もいて、故意に司令官を車両で轢いた例もあるという。英国情報機関が3月24日に示唆していることだが、すでに数万人に達した死傷者を補充するため、ロシア当局はさらなる徴兵のためリストを作成中らしい。士気が劣り訓練されていない軍隊であることが、ロシアの侵攻が大失敗に終わった理由だとの説は、広く指摘されている」

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では、いっぽうのウクライナ軍のほうはどうなのだろうか。同誌は「皮肉に聞こえるかもしれないが、ウクライナの軍隊も同様に徴兵制度の上に形成されている」と指摘している。しかし、現実には「奇妙な」現象も生まれている。最近のウクライナの法律では、12カ月から18カ月間、ウクライナ国民は兵役に服することが要求される。しかし、かなりの数の男性が、大学在学中であることや子供の養育を理由に、兵役を先延しにしているという。そのいっぽうで志願兵が増えているのだ。

ウクライナソ連の一部だったころは、男性は3年間の兵役があった。冷戦終結後、選挙で選ばれたウクライナの4人の大統領は、徴兵制を廃止すると約束してきた。2013年にはそれが実現したが、翌年、ロシアがウクライナ領を占拠したことで、この制度は復活している。さる2月には、戦争が始まる前に、ゼレンスキー大統領は早ければ2024年には再び廃止すると述べていた」

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ウクライナ戦争が始まってからは、ゼレンスキー政権は徴兵に応じた国民を含めて、戦闘経験者を強制的に徴兵のリストに載せた。さらにゼレンスキーは戦争が始まる直前に「総動員」を宣言すると同時に、このリストを「4段階」に分類している。戦闘経験者というのが第1段階であり、第2段階が2014年以前に戦闘を経験した軍人経験者と予備役で、これは3月15日にリストに載った(これらは第3段階を含むようだ)。そして、第4段階で最終段階が、そこまで行ったらの話だが、普通の市民も前線に送りこまれることになる。

同誌が述べているように、ウクライナの軍隊の規模は、今回の戦争以前に、すでにヨーロッパで最大だった。ウクライナ政府は戦争以前に前線に立つ兵士への給与を、ウクライナ通貨で月に10万フリヴニア(約3400ドル)にまで上げていた。これはウクライナの平均給与の7倍に相当しており、支払いの原資は戦時国債が宛てられることになっている。もちろん、国土防衛への意志が強いためだが、こうした給与の優遇も効果があったのか、すでに3月6日までに10万人が、祖国防衛の予備兵リストに登録を済ませているという。

こうした状況からすれば、いまのウクライナ軍は徴兵を進める必要はないとの議論もあって、実際、兵の補給を全面的に徴兵では行っていない。ただし、同誌の記者が西部国境近くのリビウで取材した印象では、軍事当局の事務所が志願兵を募っても、やってきて事務所に入っていくのはごく少数であるらしい。こうして志願兵になった場合は、その一部だけが前線に送り込まれ、残りは名前と連絡先を登録して特技のリストに記入するだけで、あとは待機することになる。

ただし、前述のように男性には兵役の義務があるので、政府は18歳から60歳までの男性には、国境を越えて外国に行くことは禁じられている。たとえば、夫婦のうち妻が避難民として国境を越える場合にも、夫は国内に残らねばならない。これが若い妻のすみやかな避難のネックとなっているが、戦争が始まってからドンバス地方の警察は、すべての女性がこの地方から退避することを奨励しているという。

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同記事のなかで特に取り上げられている若い夫婦の場合、戦争が始まるまでキエフに住んでいたが、妻は妊娠7カ月なので安全のために国境を越えて隣国に避難した。夫は兵役が課せられたようだが、「彼は平和主義者であるがゆえに兵役を拒否」し、いまはハンガリーにいるという。また、デジタル関連大臣が、兵役の義務が生じた者でも、IT技術のある者は兵役から外して、戦闘に有益なIT技術を役立てるという提案をしたところ、不公平だとの批判があったらしい。

もちろん、こうした一見余裕のあるように見えるエピソードがあっても、ウクライナの国民は、国内に残った者も国外に避難したものも、ロシア軍の激しい攻撃を受けて、戦時体制にあることは間違いない。そうした認識の上で付け加えておくのだが、ウクライナは防衛的な観点からして、ロシアの侵攻をゼロだと思っていたわけではないし、アメリカやNATO諸国は戦争以前から、かなりの武器供与をしてきたという経緯を、忘れるわけにはいかない。

簡単に近年のウクライナをめぐる、ロシアとNATOとの軋轢を振り返っておこう。ロシアが西方からの勢力に反発するのは今に始まったことではないが、たとえば、アメリカの国際政治学ミアシャイマーによれば、プーチンは冷戦終結以降、西側の勢力が旧ソ連の版図におよんだことに、屈辱とショックを感じていた。ソ連崩壊によって縮小した自国が、直接に西側の軍事同盟であるNATO北太平洋条約機構)と対峙するのを憤ると同時に恐れていたわけだ。

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そのため2008年に開かれたブカレスト首脳会議で、米国のブッシュ政権ウクライナグルジア(現ジョージア)をNATOに加盟させる方針を打ち出したとき、プーチンは激しく怒りをあらわにしたという。この会議ではNATO側のメルケル独首相やサルコジ仏大統領ですら、ロシアを過剰に刺激するとして両国の加盟には反対だった。案の定、この年、ロシアはグルジアに侵攻して世界の非難を浴びることになる。

また、2014年には、ウクライナアメリカが支援したと思われる暴動が起こったため、親露派のヤヌコヴィッチ大統領が国外に脱出する事態となる。このときプーチンは親露系の住民が多い東部のドンバス地方に出兵し、そして、クリミア半島を無理やり併合したことは記憶に新しい。


さらに2017年、こうしたプーチンに対抗するかのように、米トランプ政権は大量の武器をウクライナに売り込み、他のNATO諸国もこれに従ったので、ロシアは米国と西側への反発を強めた。当時、ミアシャイマーは、ウクライナを冷戦期のオーストリアのような「緩衝国」にすることを提言していたが、トランプはむしろ火に油を注いだわけである。

そして2021年、米バイデン政権は黒海ウクライナ=米国合同の軍事演習を行い、32カ国の友好国海軍を参加させた。ほとんど挑発と見なされても、おかしくない軍事行動だった。事実、このときには、英国艦がロシアの領海を侵して砲撃を受けるという事件も起こっている。すでにこのとき一触即発の状態だったといえる。

まるで平和で平穏なウクライナという国に、突然、ロシアという軍事大国が侵略を行ったような書き方をしているものがあるが、その前哨戦といってよい緊張が、実は、続いていたということである。そして、その間にもウクライナは徴兵制度の復活を含めて、ロシアを仮想敵とする軍事的な準備をせざるをえなかった。同時にゼレンスキーは、アメリカとNATOが次第にウクライナの軍事を支援するのを見て、急速にNATOやEUへの加盟に積極的になっていった。

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いまからすれば、トランプやバイデンの武器供与や軍事演習が意味するメッセージを、誤って解釈としたと言えるかもしれない。ここまで支援してくれるからには、たとえロシアが威嚇もしくは軍事行動に出ても、アメリカとNATOは「ともに戦ってくれる」のではないかと錯覚したのではないか。少なくともその可能性はあると踏んだと思われる。そうでなければ、ロシアという危険な大国が最も嫌うNATOへの加盟を急ごうとするはずはなかった。しかし、アメリカもNATOも武器供与はしても、自国の軍隊を繰り出すことなどまったく考えていなかったし、おそらくいまも考えていないだろう。

こうした認識は今回の戦争の原因や、そこにいたるまでのロシアの思惑だけでなく、アメリカやNATO諸国側の対処についても、いまマスコミに流れている、分かりやすいがシンプルすぎるウクライナ戦争とは、別のイメージを持つことが可能になるはずである。そしてもちろんウクライナにおいては、このままの状態が続けば、徴兵制度が全面的に機能し始める、危機的な事態は高い確率で存在している。