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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナ戦争の台湾問題にとっての教訓;中国は「4年は台湾侵攻しない」は本当か?

ロシア軍のウクライナ侵攻が現実のものとなったとき、台湾海峡についての関心が高まったのは当然のことだった。あれだけ中国が「ひとつの中国」を強調してきただけでなく、アメリカで試みられた各種の中国による台湾侵攻シミュレーションが、中国の勝利を示唆していたというのも大きかった。ウクライナ戦争が膠着状態の兆しを見せているいま、台湾有事を改めて考えておく必要がある。

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英紙ザ・タイムズ3月29日付が「ウクライナ危機で数年は中国の台湾侵攻が先延ばしされたと台湾は信じている」との記事を掲載した。ロシアのウクライナ侵攻における失敗のお陰で、4年ほど台湾侵攻は先に延びたと、台湾の安全保障責任者が見ているという内容で、この問題に関心のある人たちの強い関心を集めた。

「台湾国家安全局ディレクター・ジェネラルの陳明通は、いまの蔡英文総統の任期が終わる2026年までは、台湾侵攻を決断しないのではないかと語っている。『ウクライナの教訓は、北京にとって戦争遂行はそう簡単ではないということだった』と陳は語っている」

陳明通によれば、北京政府はロシア軍の欠陥を研究して人民軍の改革を進めようとしているが、「戦争に踏み切ってしまえば、事態はきわめて複雑なものになる。もちろん、台湾は北京の侵攻可能性を、最大限に捉えておかなくてはならないわけで、受動的に待っているわけではないし、同じところに留まっているわけでもない」。台北政府は兵役義務を強化しており、防衛力を向上させようと努力していることは知られている。蔡総統が迷彩色の軍服を着て台湾軍を視察する姿は、台湾の置かれた状況とそれに対する強い意志を示しているといえる。

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taiwannews.comより:ただのパフォーマンスではない

 

もちろん、アメリカでの台湾問題をめぐる動きは活発になっている。さらに同紙が触れているのは、中国が台湾をさらに威嚇するために核兵器による攻撃の準備をしているという話で、たとえば、北京政府は高速の「ミサイル列車」の開発に余念がないという説を取り上げている。このミサイル列車が完成の暁には核兵器格納庫をすみやかに移動させることができるようになるので、追跡することも攻撃することもより困難になるというわけだ。

前出の陳明通の予測とは異なり、中国が台湾侵攻を企てるという説は、ウクライナ侵攻が行われてからむしろ多くなっている。このミサイル列車開発の話も米共和党の情報委員会のマクロ・ルビオが指摘している話で、これは侵攻前だが同じ共和党のマイク・ギャラガーが『フォーリンアフェアーズ』2022年2月1日号に「台湾は待っていられない」を投稿して、アメリカはこれまでの「曖昧」な姿勢をやめて台湾を支援すべきだと論じていた。

ジャーナリズムのほうはもっと盛んで、たとえば、ボストン・グローブ紙3月2号にジェフ・ヤコービィが寄稿した「ウクライナの運命を回避するには、いまこそ台湾は核ミサイルが必要だ」は、北京の行動を抑止するには、台湾が小規模のものでもいいから核武装すべきだと論じて、それなりの注目を集めた。

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実は、台湾が中国からの独立を維持するには、核武装するしかないという議論は、中国が1964年に核兵器保有したときから盛んだった。それどころか、台湾は繰り返し核兵器の独自開発を試み、そのたびごとにアメリカの介入で中止してきたという経緯がある。もちろん、この介入は中国を刺激しないようにとの意図だったろうが、同時に、東アジアの核戦略アメリカが完全独占するために、台湾を非核状態にしておく必要があったからだとも思われる。

では、核論議にまで発展している台湾有事は、本当に起こりうるのだろうか。ジャーナリズムではプーチンパラノイアの異常な独裁者として描き出し、習近平毛沢東以来の専制的支配者として論じることで、ウクライナ侵攻と台湾侵攻をパラレルに論じる傾向が強い。これはジャーナリズムに限らず、政治学者の間ですらひとつの「方法論」として定着したやり方といえる。

たとえば、あえて比較するが、恐るべき独裁者だったヒトラードイツ第三帝国の確立のために無謀な戦争に踏み込んでいったと説明するさい、彼の心理的な傾向や欠陥を指摘して、こうした「異常」な戦争は「異常」な性格から生まれたと説明するやり方は多く見られる。こうした方法は、アカデミックな世界では心理を中心に説明を展開する「心理派」とされてきた。

そのいっぽうで、心理的な説明はどうしても恣意的な判断になるとして、あくまでヒトラーの戦争を歴史的背景やドイツ社会の構造、さらには世界パワーの構図から説明しようとする傾向の研究もあって、これらの研究は「構造派」と呼ばれる。もちろん、構造派のイアン・カーショーがヒトラーの生涯について大著をものしたことからも分かるように、心理的な側面を記述することは無駄ではないが、まず、構造的な把握を重視するわけである。

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foreignpolicy.comより:スティーヴン・ウォルト

 

こうした心理派と構造派の対立は、社会科学全般に見られることで、文化人類学から国際政治研究までを貫く、ひとつの方法論的対立だといえないこともない。それは今回のウクライナ戦争についても見られるわけで、構造派といえるのがいわゆる「リアリスト」の政治学者たち、ジョン・ミアシャイマー、スティーヴン・ウォルトなどの立場だと考えてよい。

外交誌『ナショナル・インタレスト』3月1日号に掲載されたポール・ヘアの「ウクライナからの台湾のためのリアルな教訓」は、まさにこうした構造派系列にある研究者からの議論で、ヘアがウォルトや、さらに遡ってソ連の「封じ込め」を主張したジョージ・ケナンを引用していることからも、それは推測できる。

ここでは簡単に紹介するが、まず引用部分を再引用しておくと、ウォルトはツイッターで「いまのロシアの行動はまったく国際法違反であると信じることができる。そして、アメリカ政府がこの数十年にわたって異なる対応をしていたとすれば、そうした可能性を低くしたということも信じられることである」というものだ。ちょっとレトリックが分かり難いが、要するに、アメリカがロシアに対して別のアプローチをしていれば、今回のような結果にはならなかったと言っているわけである。(ウォルトのウクライナ論は『フォーリンポリシー』3月29日号の「ウクライナの平和交渉にとってのリアリストの主張」を参照のこと)。

また、ケナンの言葉の引用は次の部分だ。「NATOの拡大は冷戦後におけるアメリカ外交のもっとも決定的な間違いだった。それはおそらくロシアにおけるナショナリスティックで反西側的な軍事的傾向に火をつけて、東西の冷戦的雰囲気を助長し、われわれが望まない方向へとロシアを追いやることだろう」。この言葉は1997年のもので、ケナンのロシア理解と世界の権力構造への深い洞察を示したものといってよい。ちなみに、2014年のミアシャイマーウクライナを緩衝国家にすべきだと主張した論文でも引用されている。

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さて、ヘアの論文の概要について紹介する前にずいぶんとスペースを食ってしまったが、彼はウクライナ侵攻と台湾有事には、やはり構造的にみて(あるいは構図からして)親近性が存在すると指摘している。「そこには悲劇的といってよいパラドックスが存在する」。つまり、ロシアが勢力を回復することによって、近隣諸国への脅威が拡大するのを抑止しようと、アメリカがロシアを牽制すればするほど、ロシアは反発してますます脅威が大きくなったというパラドックスである。

そしてそれは、台湾有事を考えるさいにも、同じ現象が生じていることを見逃すべきではないという。中国が勢力を拡大することによって、台湾への脅威が拡大するのを抑制しようと、アメリカは中国を牽制すればするほど、中国は反発してますます脅威が大きくなっているのがいまだというわけである。では、アメリカは台湾から今後いっさい手を引けというのだろうか。

もちろん、そうではない。ウクライナの場合がそうであったように、アメリカは台湾問題においても「この数十年にわたって異なる対応をしていたとすれば、そうした可能性を低くした」と後になって言われないために、別のやり方を早急に考えねばならない。ロシアのいまの行動も先人の洞察を思い出せば、まったく予想不可能なサプライズなどではなかった。

「もしワシントンが台湾海峡で起こる危機を回避しようとするならば、軍事力を使うことが実現可能な唯一の選択肢だと結論してしまう北京政府の比較衡量を、『先制攻撃』する方法を見出さなければならない」