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東谷暁による「事件」に対する解釈論

プーチンはウクライナ東部で勝てないときどうする;戦術核という甘い誘惑の危険性

プーチン大統領ウクライナ東部での戦いに勝てなければ、核兵器を使うだろうとの憂慮が生まれている。こんどのドンバス地方を舞台にした戦闘においては、ロシア軍の有利な戦術が使えるとの指摘もあるいっぽう、ロシア兵の士気が低く、武器も旧式が多く、作戦も拙劣なので、通常兵器では勝てないと判断するところまで追いつめられるというわけだ。


いまもウクライナの東部から南部にかけての地域で、両軍の戦闘は続いているが、ここにきてさまざまなニュースが報じられている。たとえば、英国のラジオLBCでは、同国のウォレス国防相が、4月28日、ロシアは対ナチ戦勝記念日の5月9日にウクライナに宣戦して軍隊や市民を大量動員するつもりらしいと語った。そのいっぽう、フィナンシャル・タイムズ紙4月30日付は「西側の軍部関係者が、ロシア軍は精度の高いミサイルを使いつくしてしまった」との記事を掲載している。

たとえロシアが大量動員をかけたとしても、高精度のミサイルが払底してしまっていれば、アメリカから高性能の武器を供与されているウクライナとは、戦争どころではなくなる。これが必ずしも矛盾したニュースではないのが、いまのロシア軍であり、その最高司令官プーチンの置かれた状況なのだろう。プーチンが進めようとした戦争と、ロシア軍の現実とが、大きくかけ離れていることは、いまや素人目にも分かる。

以下の図版と写真はThe Economistより

 

経済誌ジ・エコノミスト4月30日号は「ロシア軍はひどい状態にある」という長いリポートと「いかにロシア軍は腐敗してしまったのか?」との社説を掲載しているが、これらの記事に登場する「腐敗」あるいは「堕落」についていくつか紹介しておこう。まずはお金からだが、ロシアの国防費は2500億ドルを超えているが、これは英国やフランスの3倍に相当する。ところがそのかなりの部分が浪費や横領によって消えてしまう。

軍隊の官僚機構もちゃんと機能していない。こんどのウクライナ侵攻もプーチンはほんの一握りの司令官たちとだけ話をして、将校たちにはまったく知らされていなかった。こうした将校たちには信頼を置けないからなのである。戦線で命をかけている兵士たちの現場も悲惨だ。無気力な兵士たちは、期限切れの兵隊食を配給され、戦場に向かう戦車や装甲車に詰め込まれている。

こんな堕落した組織だから、戦争に勝てないのは当然だという見方も出ている。そもそも、侵攻を始めてからこのかた、肝心の戦場における制空権がとれていない。攻めていくには爆撃機が飛ぶための空間を確保し、空軍と戦車隊、砲兵隊、歩兵との連携を実現するのが戦争のイロハなはずなのに、それをいまだに遂行していないのである。しかも、多くの報道で分かるように、戦場での虐待や性的暴力などの腐敗が蔓延している。

それに比べてウクライナ軍のほうは、いちいちロシア軍の手本となるような働きを見せている。数においては劣勢であるのにもかかわらず、また、必ずしも武器が豊富でもないのに、戦闘のための命令を軍隊の末端にいたるまで行きわたらせ、しかも、常時、最新の情報を送り込んでいる。このままでは、たとえロシア軍が勝利することがあっても、それはひたすら人員と物量が多かったからだと言われるだろうと、同誌はひにくっている。


こうした多くのネガティブな事実は、プーチンにとって決定的な躓きの石となりつつある。たしかに、プーチンは情報機関を駆使して、国内向けのプロパガンダに成功しており、そのお陰で国内の自分への批判から逃れることに成功している。しかし、軍事作戦という肝心なところでの大失態は彼の顔を潰し、ロシアを超大国に復帰させるという自らの野望および国民の希望に泥をぬってしまっている。

このように同誌は縷々とプーチンとロシア軍の失態を並べたうえで、ここには大きな錯覚があったのだと指摘する。ロシアはたしかに広大な国家だが、実は、いまでも超大国の夢を追っているだけの中位国家でしかないのだ、というわけだ。人口で見てもバングラディシュとメキシコとの間、経済規模でもブラジルと韓国の間、輸出額でも台湾とスイスとの間。これまで大国として振る舞ってきたのは、ただひとつのファクターである軍事力があるということによってだった。それがもはや疑わしくなったいま、ロシアとプーチンの未来は暗い。

まず、先ほど紹介したように、すでにこの戦争でも肝心の武器が、底をついているという話がある。これが本当だとすれば、もはやロシアは超大国の幻想どころか、中位国としての地位すら危なくなってくる。そしてそれは「いまややって来つつある」のである。おそらく、将来は軍事においてすらも、「弱いロシア」の存在感はますます小さくなっていくだろう。

そこでいま、現実のものとなる可能性が高くなっているのが、プーチンによる核兵器の使用だというわけである。「もちろん、プーチンは合理的な人間である。彼は生き残ることを望んでいる。したがって、ロシア軍が核兵器を使用する機会というのは、きわめて小さいものに留まる。とはいえ、ロシア軍が通常兵器による勝利への選択肢をなくするにつれて、エスカレートへの誘惑は間違いなく高まるのである」。


同誌がそこで提言しているのは、今回のようなシチュエーションを最初から避ける防衛システムを、ヨーロッパに構築してはどうかというものだ。これまでは、たとえばバルト三国がロシアの侵攻を受けることになったとき、それが引き金になってNATOが全面的に参戦するような仕組みになっていた。しかし、こうした仕組みは今回機能していないし、失敗したときには今回のような核戦争への危険をはらむことになる。

仕組んでおくべきは、たとえばバルト三国であっても、通常兵器のレベルで「大国」が簡単に侵攻できないほどの準備を整えておくべきではないか、というのがジ・エコノミストの提言らしい。もちろん、これはなるだけ核兵器のレベルのテーマには触れないようにしながら論じるという、この数十年の「習慣」に沿った議論ではないかと思う。

少しだけコメントしておくと、すでに核兵器は存在しており、それは簡単に消え去りはしない。やはり、その点について配慮した提言でないかぎり、これからの議論にはならないだろう。ここで思い出すのは、やはり冷戦期の発想である。核兵器が現れてさまざまな議論が生まれたが、若きキッシンジャーなども核戦略家の一人だった。最初のころはシベリアでの核決戦案などで度胆を抜いたが、ソ連核兵器保有してからは発想が核抑止論へと変わった。

そのときのひとつの議論に、「通常兵器を整えることは核兵器の抑止力を高める」というのがある。核兵器は積極的に戦術的に使うのではなく、あくまで抑止力ととらえるのが前提だが、そのさい、最終的な戦争である核戦争にいたらないためには、通常兵器による防衛をしっかりとやっておくべきだというのである。「通常兵器に力を入れることが、抑止力としての核兵器の機能を発揮させることになる」。もちろん、戦争をまったくなくそうという思想からはほど遠いが、逆説的に聞こえて、いま考えるべき核戦争回避の道を示唆しているようにも思える。