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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナ社会の裏を読む(2)なぜドンバス地方が火種になったのか

いまウクライナ戦争の主戦場となっているドンバス地方は、今回のロシアによる侵攻が始まる以前から「戦闘」が続いてきた地域だった。ここには親ロシア派の分離独立派がいると同時に、それに対抗する武装した国粋的団体が存在していて、すでに7年にわたって戦いを続けていた。

 

「ウクライナ社会の裏を読む(1)ゼレンスキーは何故オリガルヒと結んだのか」では、旧ソ連の崩壊と同時に独立したウクライナの、社会主義体制から現体制への移行期について、メディアの歪んだ発達を中心に概観してみた。今回も社会人類学者タラス・フェディルコのインタビュー記事をもとに、なぜウクライナ東部が主戦場になったかを、なるだけ事実に基づいて見ていくことにしたい。

プーチンウクライナ侵攻に踏み切る前から、この戦いはウクライナの「非ナチス化」を実行するのだと述べていたことは、まだ覚えている人もいるだろう。「侵略者が何をいっているんだ、盗人猛々しい」と思った人も多かったに違いない。フェディルコも「これはナンセンスな主張」と述べているが、それではまったく根も葉もない話なのかといえば、厳密にはそうではないのである。

ロシア侵攻前のドンバス勢力図。アゾフ連隊の勢力は青色


まず、フェディルコは、ロシア人にとってはプロパガンダとして十分に意味があるという。それはウクライナをめぐってヒトラーのドイツ軍とスターリンソ連軍が熾烈な戦いを繰り広げ、そしてソ連軍が勝利したことは、まぎれもない歴史的事実だからだ。「そしてそれは現在も、2014年のマイダン革命を『ファシストのクーデター』と批判するプーチンにとって、煽るための材料として有効なのである」。

前回も述べたが、「マイダン革命」とは2013年から翌年にかけて、おそらくはアメリカの支援のもとに、当時の親ロシア派大統領ヤヌコヴィッチを引きずり落とした事件だ。普通は「ウクライナ騒乱」と呼ばれるが、この騒乱を支持した人たちは「マイダン(誇り)の革命」と呼んでいる。当然、ウクライナ国内でも批判派は、アメリカに支援された事件と見ており、ロシアからすればタチの悪いクーデターだったと非難するわけである。


問題は「ナチス」とか「ファシスト」という文句だが、実際にナチス主義者やファシストがいたのかといえば、ほとんど存在していないといってよい。ただし、第二次世界大戦において、ドイツのナチス軍とソ連赤軍が激突する直前、ウクライナのOUNやUPAといった武装団体が、ほんのいっときナチスと共同歩調をとり、ポーランドホロコースト民族浄化に参加した人間たちを、組織内に入れていたことがあったという。

ロシアはこうした歴史的事実を針小棒大プロパガンダに用い、OUNやUPAの「後継」といえないこともない、ウクライナ武装ナショナリスト団体を「ファシスト」よばわりしている。そしてさらに、マイダン革命支持者およびその後のマイダン革命の系譜をひく勢力を、ナチスとかファシストと呼ぶことで、ドンバス地方への侵入やクリミアの併合を、正当化しているのだとフェディルコは指摘している。

ただし、外から見てややっこしいのは、アメリカから支援を受けたマイダン革命を必ずしも支持していないが、親ロシア派の分離独立派とは戦っている武装集団の位置づけである。いちおうウクライナナショナリストと呼んでおくが、彼らの中にはよく訓練され、しかも、戦闘意欲がきわめて高い集団があった。当然、ロシアおよび親ロシア独立派は彼らをナチスとかファシストと呼ぶわけだが、彼らはフィナンシャルタイムズ紙などの取材を受けて「自分たちは愛国者ではあるがファシストなんかではない」と明快に語っていた。

こうしたマークもロシアのプロパガンダに好都合だったろう


そうしたウクライナナショナリストたちは、戦闘能力もきわめて高いので、ウクライナ正規軍が内部に取り込もうとしてきた。しかし、こうした戦闘集団の中には正規軍にしてもらうよりも、「ともかく敵と戦いたい」という集団がいくつも見られた。そして、彼らは2014年にロシアがドンバスの紛争に介入してくることで活性化した。「ある意味で、ウクライナの過激右翼はロシアの行動が生み出したものだった」とフェディルコはいう。

たとえば、2014年に正規軍となったウクライナナショナリストに、有名な「アゾフ大隊」あるいは「アゾフ連隊」がある(欧米の報道では2種の記載が見られた)。彼らは正規軍に繰り込まれることで、自主的な戦いができなくなることを嫌い、相対的に戦いの自由度を維持することを条件に正規軍に加わったらしい。

すこし脱線するが、フィナンシャルタイムズ紙などは、彼らを「ウクライナでもっとも訓練された連隊」と書いていたが、これは筆がすべったわけではないだろう。このアゾフ連隊はマリウポリの戦いで製鉄工場にたてこもり戦いつづけたが、その間、キーウ政府の方針を堂々と批判して、2014年以降の軍事政策が拙劣だったから、こんなことになっているんだと発言し話題になった。

このとき、欧米のメディアはちゃんと彼らが口にした、政府批判の言葉を報じたのに、日本では「俺たちは最後まで戦う」という言葉だけを報道して、いかにもゼレンスキーに殉教するような集団であるかのように報じたが、とんでもない。彼らはウクライナ愛国者だが、ミンスク合意でロシアに妥協したマイダン派には、ずっと批判的だったのである。その後も欧米のメディアは「腕もたつが口もたつ」と評していたが、こういう微妙なところを伝えてくれないと、ウクライナの複雑な内側が分からないままになる。


さて、フェディルコのインタビューに戻るが、こうしたウクライナナショナリストと親ロシア分離派の戦いは2014年からずっと継続していた。この戦いは歩兵同士の小ぜり争いのような様相をみせたが、もちろん多くの犠牲が出たし、ドンバス地方の治安は下落する。そこで2014年9月には、ウクライナとロシアが停戦協定を結ぶことになり、成立したのがミンスク合意Ⅰだった。これはうまく機能しなかったのですぐに翌年2月にミンスク合意Ⅱを結ぶが、結果としてあまり機能せずに、今年のロシアによる侵攻にいたることになる。

なるだけ簡潔にかいて、一気に読んでもらおうと考えていたのだが、補足的なことを書いているうちにそれなりに長くなってしまった。今回はアゾフ連隊でいったん終わりにし、次はミンスク合意からふたたび始めることにしたい。やはりウクライナ問題というのは、国際政治勢力だけでなく、国内の複雑さを踏まえたうえで、戦争の全体像を見直していかなければ、分かりにくいことだけは確かである。

 

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