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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ゼレンスキーの「正体」(3)ロシア系テレビで出発したウクライナ大統領の苦悩

7月17日、ゼレンスキー大統領が、国家保安局トップと検事総長を更迭したとのニュースが世界を駆け回った。それぞれの部署のメンバーが、ロシア軍が占領した地域でウクライナを裏切り、ロシア側に情報を流したというのだ。とくに、国家保安局(USB)のトップはゼレンスキーがテレビで活躍していたころからの仲間で、その親しい友人をバッサリ切ったということだが、その背景を見てみよう。


ゼレンスキーが自ら発表した事実によれば、すでに60人のスタッフが「ロシア軍の占領地域(ケルソン)に居残り、我々を裏切って敵方に情報を提供している」ことが明らかになっているという。さらには「651の犯罪的な行為によって、我が国を裏切り、敵方に情報提供している疑いがある」とのことである。フィナンシャルタイムズ紙7月18日付によると、ゼレンスキーは次のように憤慨している。

「こうしたウクライナ国家の安全保障の基盤に対する犯罪の連鎖と、ウクライナ保安局にあるロシア秘密情報部とのリンクは、諸機関のメンバーの敬意を払うべきトップたちに対する、深刻な疑問を提示するものである」

特に今回の措置において注目されたのは、保安局長官のイワン・バカノフの更迭で、バカノフは、ゼレンスキーがテレビ番組プロダクション「95街区」を経営しているころからの「盟友」といってよい。ゼレンスキーが大統領に当選すると、保安局トップに抜擢され、それまでまったく経験がないのに(当然だろう)、汚職によって広がる腐敗やロシアの情報機関による工作から、組織を防衛する任務を引き受けることになった。

youtube.comより


この保安局はすくなくとも3万人の職員を擁する、ウクライナ軍の情報部門であり、素人には運営が難しすぎるのは明らかだ。ゼレンスキーは憂慮する側近たちや西側の情報関係者たちから繰り返し警告され、バカノフの更迭を考えるようになっていたといわれる。しかし、それにしても、アメリカでいえば国家安全保障局に相当する機関である。いくら苦労を共にしてきた仲間だからとはいえ、そんな地位に任命してしまったゼレンスキーがまちがっているのではないだろうか。

実は、ゼレンスキーが大統領選で繰り返し主張したことのひとつに「政府要人の人事から親戚や友だちは排除する」というのがあった。逆にいえば、前大統領のプロシェンコはもとより、それまでウクライナ大統領が任命する政府要人には、親戚関係者や友達人脈が多いことは普通だったということだ。したがって、ゼレンスキーが友だちや親戚は排除と主張したとき、国民は本当にそうなら素晴らしいことだと思っただろう。

wsj.comより

 

しかし、ゼレンスキーは73%を超える支持を獲得して大統領に当選すると、選挙戦の間に言っていたことなど忘れたかのように、彼の友人やコネのある人物たちで回りを固めていった。「選挙から1カ月もすると、ゼレンスキーは幼馴染で仕事のパートナーである、イワン・バカノフをウクライナの保安局のナンバー2に据え、さらにはトップにしてしまった。その後も、多くの取り巻きが要人に任命された。ざっといえば、ゼレンスキーは選挙公約などはまったく守らなかったのだ」(ルーデンコ『ゼレンスキー ある伝記』)

もうひとつ、ロシアとの関係で念頭に置いておくべき事実がある。ゼレンスキーの母語ウクライナ語ではなくロシア語であったことは、他のところでも指摘しておいた。さらに、ゼレンスキーがテレビ番組プロダクション「95街区」で作っていた番組のジョークのネタというのも、必ずしもウクライナの「マイダン派」つまり親欧米派というわけではなかったことである。

wsj.comより


受けたジョークには「エボナイト棒とウールの服」という小話があり、これは親欧米派のマイダン派のデモが、親ロシア派であるチェルネンコ政権により、弾圧される話が前提になっている。「チェルネンコ政府の機動隊はエボナイト棒でマイダン派を叩く、それに対してマイダン派はウールの服を着ればいい。そうすれば、両方の摩擦のたびに、いま不足している国民のための電気ができる」というものだ。

あんまり可笑しくはないが、エボナイト棒をウールで擦ると、パチパチと電気の火花が飛ぶ理科実験を、デモ隊と機動隊でやったらいいというオチで、両方をバカにして笑いのめしているわけである。緊張のあるテーマで注目させ、弛緩させて爆笑をとったのだろう。マイダン革命のさいには多くの負傷者や死者が出たし、結局、チェルネンコ大統領は国外脱出せざるを得なくなった。ゼレンスキーやバカノフは後に「自分たちはマイダン派だった」というようになるが、これは選挙でマイダン派からも強い支持を得たからに他ならない。


そもそも、ゼレンスキーがテレビのショー番組で最初に活躍するようになったのは、ロシア系のテレビでのことだった。そのころはロシア系しかなかったのだ。ロシア語でジョークをいい、政治的なネタについては回避するか、あるいはすべての出来事を笑いに変える、というスタンスでのし上がった。そうした彼にとって、実は、プーチンウクライナに本格的な侵攻をする以前までは、ロシアは絶対的な敵ではありえなかった。

ゼレンスキーがいまになってロシアとの情報問題に神経質になっているのは、彼の「親戚と友達」とは、ロシア人脈とドンバスのロシア系勢力と繋がっている者が多いからではないだろうか。そしておそらく、ウクライナが戦場になり、国内にアメリカを中心とする西側勢力が入ってくることによって、NATOの情報機関にとっては、ゼレンスキーのロシア系人脈に対する懸念が生じているわけである。

 

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