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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ゼレンスキーの「正体」(5)新政権発足の半年後には贈収賄事件で紛糾する

アメリカはさらにウクライナに武器を供与しているが、最近、供与された武器がすべてウクライナ軍に渡っているかを疑う報道もあった。そんなバカなと思う人は多いかもしれないが、ロシアの侵攻が始まる以前には、ウクライナは贈収賄など政治腐敗の多い国と見られてきた。武器の供与においても、あいだに入った人間や組織によっては、不正が生まれているのではないかというわけである。

議員が汚職しているかはウソ発見器でわかる?


ゼレンスキーが大統領に当選した2019年、10月23日付のAP電が次のようなニュースを流した。「ウクライナの大統領は、与党議員の何人かにウソ発見器を使った検査を受けて、自分が拡大しつつある腐敗に巻き込まれていないことを、証明する必要があるとうながした」。まだ、大統領になって数カ月しかたっていないというのに、もう与党「国民の僕」に収賄を疑われる議員が出てきたのた。

もちろん、これはあまりのことなので世界的なニュースとなった。ゼレンスキーは「東部の戦争は終結させる。政治腐敗をなくす。コネによる要職任命はやめる」と主張して、決選投票で73%以上もの支持を得て大統領選に勝利した。しかし、すでに述べたように要職のほとんどは、それまで親しくしていた人間か、あるいは以前の政権において中枢にいたような人間だった。東部の戦争は終わらなかった。そして、政治腐敗がすでに始まったとすれば、選挙中に宣言したことは皆ウソになる。

「ウォロディミル・ゼレンスキーの与党は、地方メディアが報じた国会議員の収賄疑惑に震撼している。まさに不動産企業などから、贈賄を防止する法律が成立するのを阻止するために、一人当たり3万ドル相当の金が、ほかでもない与党の議員たちに渡されていたというのだ」

ゼレンスキー政権発足間もなくウクライナ議会は紛糾した


このときウクライナの「特別反腐敗検察当局」が調査していた議員は14人で、そのうち与党「国民の僕」の議員がなんと11人もいた。この年の8月には、ゼレンスキー周辺のチームが「ビッグ・ブラザー」と名づけた装置によって、与党議員たちが法案に本当に賛成したのかを、ちゃんとモニターすると発表していたこともあり、たちまちスキャンダル化してしまった。

このとき日本を訪問していたゼレンスキーは、かなりあわてて与党の議員たちに、ポリグラフ(ウソ発見器)で検査を受けて、無実であることを証明するように求めると発言した。ジョージ・オーエルの『1984年』に登場する「ビッグ・ブラザー」とは、共産主義国ソ連の人民監視体制を皮肉ったものだというのに、こんな命名をしているセンスもずれているが、与党議員の無実を証明するために、ポリグラフを使うと言い出したゼレンスキーおよび周辺も常識を欠いていた。

結局、問題となっていた法案はすったもんだのあげく廃案となり、むなしさだけが残ったわけだが、贈収賄の疑惑のほうは、マスメディアが競って情報を流したので、「ビッグ・ブラザーもポリグラフもいらなかった」。そして、案の定、逮捕者なしという結果だった。しかし、ゼレンスキー与党の政治的打撃は大きかったといわれる。では、ゼレンスキー自身はどうかといえば、こうしたケチな事件に名前が登場することはなかったが、肝心の「悪徳オリガルヒを格子の向こうに(監獄に送る)」のスローガンは、さっぱり実行されなかった。

「ビッグ・ブラザー」がいれば汚職はない?


プリヴァト銀行を使って私財を肥やしたオリガルヒのイホール・コロモイスキーは、逮捕を嫌ってイスラエルなどに滞在していたが、ゼレンスキーが大統領になると帰国していた。これはゼレンスキーが大統領になれば、もはや自分には危険がないと判断したからであることは間違いない。そもそも、ゼレンスキーが有名になったのは、コロモイスキーが事実上のオーナーである「1+1」テレビで、縦横に活躍させてもらったからであり、ゼレンスキーが大統領になることを支援したのは、自分が安全になることは間違いなく、また、他のオリガルヒを圧倒できる(当選しなくとも、牽制にはなる)と考えたからだといわれている。

では、ゼレンスキーは大統領選挙中に確約した「オリガルヒ支配をやめさせる」を実行に移す気はなかったのだろうか。ないことはなかった。それは2021年11月になってから(おそらく支持率が低下したことも関係していたと思われるが)ウクライナ最大のオリガルヒであるリナト・アフメトフに対する攻撃となって表れた。アフメトフはタタール系で実はウクライナ・マフィアの幹部だったとされるが、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領時代には、親ロシア派としてふるまっていた。最近は、資産のかなりの部分がドンバス地方にあったので、それを破壊したロシアを非難している。

アフメトフは元ウクライナ・マフィアといわれる


ゼレンスキーはプレス・コンファレンスで、突如、アフメトフは密かにロシアの支援を受けつつ、クーデターを企んでいると言い出し、集まった記者たちを啞然とさせた。このときアフメトフがロシアと組んでいる証拠を示さなかったが、すでにゼレンスキー政府はインテリジェンス組織によって確証をつかんでいると主張した。あんまり突拍子もなかったので、フィナンシャルタイムズ紙2021年11月19日付も意外の印象を隠せない。ちょっといきなり過ぎないかという感じだ。

「ゼレンスキーは2019年に大統領選に勝利したが、このときウクライナ東部での戦争を終結させ、ウクライナ国内の腐敗の根を断ち切ることを約束していた。第一の約束についてはほとんど進展がみられず、腐敗の解消についても評価はばらばらである。経済の再生への希望にいたってはコロナパンデミックですでに陰ってしまっている」

ウクライナの政治および経済の「腐敗」は根が深い。というのも、この国はいわゆる贈与文化が発達していて、なにかにつけて贈収賄が生じるのは普通のことだからだ。このブログで紹介した社会人類学者タラス・フェディルコが若いときに書いた論文に「『むしろ払います』:ウクライナ官僚機構のなかでの賄賂とインフォーマル行動」という論文があるが、ウクライナにおける賄賂文化について細かに事例を紹介し分析している。

このタイトルにも見られるように、行政においても非公式な措置を促すために、贈収賄が行われるのは珍しくない。公式なルートで実現するのが難しいような案件においては、それが十分に見返りがあると判断するなら、民間人は「むしろ払います」というわけである。フェディルコは人類学者らしく、賄賂や非公式な人間関係(つまりコネ)は、ウクライナにおいては、行政機構を動かす互酬的で潤滑剤的な要素となっていると示唆している。

「お前が大統領なら俺は逮捕されないな」


もちろん、賄賂が必ずしも犯罪とされずに潤滑剤になっているという観察は、かつて日本でもあったし、いまでもそう考えている人がいると思われる。よく知られているのは東南アジアの賄賂文化で、日本人ビジネスマンたちをさんざん悩ませてきた問題でもある。商談が決まりかけると、別の部屋に通されるのは、とくに珍しいことではない。「それで、私の取り分はいくらですか」。日本のマスコミもときどき報じるが、それが解消に向かったという話をきいたことはまだない。

歴史上では意外な例として、古代ギリシャアテネの賄賂がある。民主主義の源流とされるアテネの政治は、贈収賄が「美徳」として組み込まれた文化のなかで生まれて育ったものだった(橋場弦『賄賂とアテナイ民主制』)。時代が下るにつれてそれが「犯罪」とされるようになったという点は、いまの日本を考えてみると面白いかもしれない。しかし、大国のパワーがせめぎ合う位置にあるウクライナにおいては、こうした文化はもはや「美徳」にはなりえないだろう。(つづく)