米国ペロシ下院議長による台湾訪問の直後、中国は弾道ミサイルを11発も発射して、台湾と日本を威嚇した。ペロシ議長の行動の当否は措くとして、これで中国と米国・台湾との緊張関係は「新しい時代」に入ったと報じられている。この「新しい時代」とはどういう時代なのか。そして日本は、どこまで「巻き込まれて」いるのか。
発射されたミサイルはよく知られた中距離弾道ミサイル「東風」で、今回の「重要軍事演習」がペロシ訪台に抗議・警告したものであることは明らかだ。いま考えておきたいのは、それが戦略上どれほどの「意義」をもつことになるかである。しばしば指摘されているのが、「1996年の台湾海峡危機を超えるものとなっている」という意味で「新しい時代に入った」との議論があるいっぽうで、「台湾の問題は常態化される」という指摘も多いことだ。
正確には「第三次台湾海峡危機」と呼ばれる1996年の「軍事演習」では、中国は基隆沖海域にミサイルを撃ち込んだ。これは同年に行われた台湾総統選挙が、独立志向の強い李登輝の当選と予想されるなかで、中国人民解放軍が威嚇したわけである。このときは、米国海軍が空母2隻を含む機動部隊を派遣したことで、ほどなく威嚇行動は抑えられた。いっぽう今回は空母ロナルド・レーガンを派遣したものの、中国の攻撃的姿勢はあいかわらず続いている。
アメリカのシンクタンクCSISの中国担当ジュード・ブランシェットは、8月4日に同シンクタンクのサイトにかなり長めの「第四次台湾海峡危機に向かうのか」を投稿した。台湾問題において何かあれば、中国がかなりの威嚇行為に出る段階に入ったという意味で「新しい時代に入った」のであり、「これがこれからのニューノーマル(新常態)となる」と述べたので、日本の新聞にも「常態化」と説明するものがあった。常態化といわれると、平常に戻るような印象を与えるが、実際にはまったく別の段階に入るということだ。
つまり、これまではアメリカが「一つの中国」を尊重すると言い続け、たまに逸脱する行動(ギングリッジ下院議員が訪台するなど)があっても、中国がミサイルを連射するような威嚇行動にまでは至らなかった。しかし、これからは緊張の高まりを恐れずに、中国人民解放軍がアグレッシブな威嚇を行うことになるというわけである。これはもちろん中国が26年前に比べて、軍事力も経済力もはるかに大きくなったことを背景としているが、ウクライナ戦争におけるロシアの侵攻と、それに対するアメリカおよび西側諸国の対応を見たうえでの、ひとつの判断だといえる。
では、中国はほどなくして何かをきっかけに、台湾侵攻を断行するのだろうか。それは多くの要素がからまっていて簡単にはいえないが、アメリカなどで行われる研究機関のシミュレーション「ウォーゲーム」にも、いまのウクライナ情勢は微妙に反映しているように思われる。英経済誌ジ・エコノミスト8月4日号は「中国が台湾上空にミサイルを飛ばした」を掲載し、そのなかで今年5月にシンクタンクの新米国安全保障センターが行った、新しいシミュレーションを取り上げている。
このシミュレーションよれば、「中国は台湾に軍隊を上陸させることは可能だが、ただちに全面勝利を得られないだけでなく、山岳地帯をトラバースして首都の台北に侵攻することもできないだろう。この紛争シミュレーションは2027年に設定されているが、ずるずると長引く戦争になってしまう」という。。
同誌が取り上げているもうひとつの研究は、台湾の2人の専門家によるものだ。「台湾に侵攻するには数十万人の軍隊を動かし、3000万トンの軍事物資と500万トンの石油が必要となる。1日にざっといって100万キログラムの燃料を燃やすことになる。中国人民解放軍はいまのところ、不十分な空輸力と海運力、戦闘継続のためのインフラの脆弱性、そして兵站システムの未熟さなどによって、行動がかなり制約されているといってよい」。
少し前までの戦争シミュレーションや台湾海峡研究では、中国人民解放軍は台湾侵攻を開始すると同時にアメリカ軍への牽制を行って、その間に台湾周辺の島々を攻略し、そうした島々を拠点として台湾上陸を断行するというものが多かった。中国側にはその準備ができていて、アメリカ軍との開戦にいたる前に、台湾は攻略されてしまう予想が普通だった。もちろん、いまの時代、ウォーゲームの発表や研究の公表じたいがインテリジェンス(諜報)活動の一環だから、急に中国軍が弱くなったようなシミュレーションを、ただちに信じるわけにはいかない。ただし、こうした傾向が生まれたのは、ウクライナ戦争の長期化という現実が、大きな影響を与えていることは間違いない。
さて、日本では11発のミサイルのうち、5発までもがEEZ(排他的経済水域)内に打ち込まれたというのに、政府もマスコミもいたって平穏なのはどうしたことだろう。もちろん、国民にも「あ、またか」と思っている人が多いようだ。どうも「もはや新しい段階に入ったのだ」という警告が、あまり効いていないらしい。しかし、欧米のメディアは日本の反応をさかんに報じていた。それは当然だろう。台湾侵攻にいたれば(たとえその前段階でも)、米国と台湾の「友好国」である日本の都市には、中国の中距離ミサイルが次々と飛んできて、日本の西南にある島々の自衛隊や住民は臨戦態勢に引きずり込まれる。前述のような中国が負担するのと同じほどの費用が、米国だけでなく日本にも否応なく降りかかってくる。
中国の放った11発のミサイルは、皮肉なことに台湾侵攻がやや遠のいたという議論を生み出しているわけだが、もちろん、これは注意深く取り扱わなくてはならない。前出ジ・エコノミスト電子版8月5日号の「習近平にとって台湾海峡危機はもうひとつのテスト」は、おそらくこの秋の中国共産党大会で、三度めのリーダーに選ばれることになるだろうと述べながら、かならずしも強い指導力を発揮できなくなる可能性もあることを示唆している。
そうなる可能性がある根拠として、いま中国が多くの問題を抱えていることをあげて、しかも、その問題は、ほとんど習近平がもたらしたものであることを強調している。問題とは、経済が不調に陥っていること、コロナ対策がうまくいっていないこと、ウクライナ問題で孤立を深めていることなどだが、「共同富裕」という経済政策、「ゼロコロナ」という安全対策、「ロシア支援」という国際政治は、どれも習近平が強引に進めたものだった。
こうした「失点」がいくつもあるかぎり、「たとえ共産党大会で総書記に再々選されても、地方の指導者たちには支持されなくなっていく可能性がある」。そして、私たちはここからが注意のしどころだが、大いなる権力をふるった独裁者が、いちかばちかの勝負にでるのは、その権力を失いかけたときである。ここで独裁者の乱心ともいえる決断の歴史すべてを回顧する気はないが、ほかでもない毛沢東の晩年を思い出しただけで十分だろう。新たな戦争という絶対的な独裁の条件を、無理やり作り出すのが習近平でないことを祈るしかない。