ウクライナ軍が急襲的な攻撃を断行して、ハルキウ州の奪還に成功したことは間違いない。しかし、それでロシアを国内から放逐して、戦争に終止符を打つ目途がついたのかといえば、もちろん、そうではない。ウクライナ情勢について、楽観的になることを警告するアメリカの高官による発言が続いている。
ハルキウ州での作戦は、ロシア軍にとって「サプライズ」だったとの報道がある。南部のヘルソン奪還がウクライナ軍の最大の課題だと思われたので、ロシア軍も迷いはあったものの、北東部ハルキウ州の兵力を南部のヘルソン周辺に移動させていた。そこで生まれたスキを突いたのが、ウクライナ軍の奇襲的攻撃だった。
もちろん、ウクライナ軍のパワーアップには、アメリカから送られてきたハイマースなどの強力な武器が大きくかかわっている。ウクライナ軍はいまやロシア軍の射程距離外から、その重要拠点を攻撃できるようになっている。また「義勇軍」に加わっている最新兵器のインストラクターが(米軍のOBだというが、民間軍事会社の関係者である可能性は高い)、かなりの密度でウクライナ兵を訓練して、すでにハイテク武器を十分に使えるようになったとの報道もある。
ft.comより:ハルキウ作戦以前の状態。黄色の部分に注目して下の地図を
しかも、さらにアメリカはハイマースだけでなく、強力な武器を供与しているという指摘がある。たとえば、ハーム(HARM)と呼ばれる対空ミサイルもきわめて強力で、ロシア軍はそのために戦場での制空権を失っているという。このミサイルによってロシア軍は防空システムのレイダーを破壊され、「新しく投入されたミサイルは、ロシアがこれまで維持してきた空における優勢を、じわじわと腐食しつつある」(ジ・エコノミスト9月11日号)。
ft.comより:ハルキウ奪還となった今の状態。黄色の部分を奪還した
こうしてみれば、ハルキウ攻略はウクライナとロシアの戦いにおいて、大きな転換点となって、このままウクライナがロシアを国外に追い出すことに、成功する日も近いのではないかとの予想が生まれてもおかしくない。とくに、ハルキウ州イジュームの奪還は、ロシアの補給路を断つうえで決定的な勝利であり、おそらくロシア軍はドンバスの支配が不可能になったと見ている専門家も少なくない。
にもかかわらず、ハルキウ奪還にわくウクライナ、とくにゼレンスキー大統領の演説に苦り切っているような発言が、アメリカの高官からなされている。フィナンシャル・タイムズ紙9月13日付の記事「たとえロシア兵が撤退しても、ウクライナは『厳しい戦い』に直面していると、アメリカの関係者が発言」は、せっかくのウクライナの戦勝気分に水を差すような記事だが、裏読みを含めて熟読に値するものだと思われる。
ft.comより:ウクライナの戦車
「あるアメリカ軍の幹部は、ウクライナ軍がロシア軍をハルキウから撤退させ、ロシア兵の中には武器を放棄して逃げた者もいたという話があるが、これは『ロシアの命令系統が崩壊し制御が効かなくなった兆候かもしれない』と認めた。しかし、この幹部はウクライナ軍がハルキウ反撃によって急激に優勢になったことはたしかでも、そのことで戦場の全体の構図が根本的に変わったとはいえないと警告した。同じような警告は、アメリカ政府の高官からも発せられている」
この「高官」とはおそらくアントニー・ブリンケン国務長官のことで、ブリンケンはメキシコでの記者会見で、ウクライナが「驚くべき進展」を達成したことは確かだが、これからどうなるかについて語るのは時期尚早だと述べた。「ロシアは依然として大きな兵力をウクライナで展開しており、ウクライナ軍にたいしても、また、一般の市民に対しても、無差別に攻撃を加え続けている」。
すこし勘ぐれば、アメリカとしては、ウクライナを使って徹底的にロシアを叩いて、他国に侵攻するような行為ができないレベルまで(具体的な基準がないので、限度なく)弱化させようとしている(と国防長官が明言している)。これが本心だとすれば、(本心だと思うが)簡単にウクライナを通じての戦争をやめるわけにはいかない。ウクライナが少しくらいの勝利を収めたからといって、アメリカの(遠大な)目標を達成するまでは、停戦の方向に向かってもらっては困るという事情があるのではないか。
ウクライナが優勢になるのはいいにしても、ひとつの戦場で勝ったからといって、あんまり喜ばれても、これから本格化するロシア無力化の邪魔になるという面もある。つまり、アメリカとしては、ウクライナが優位になってはいても、ロシアが消耗戦を続けるざるをえなくなり、勝敗が決着しないレベルに置くことが当面の目標なのだ。
また、フィナンシャル紙も示唆しているが、ゼレンスキーの戦況に関する発言は、具体的であるように聞こえて、実は戦略とか戦術からみて意味のない表現が多い。ハルキウでの反撃が成功しはじめたころ、ゼレンスキーは「30の集落を奪回した」と語ったが、少しすると「1000平方キロメートルを奪還」と述べ、9月11日には「3000平方キロメートル以上を取り戻した」と力説した。
ゼレンスキーの意気は揚がるが
こうした表現は国民の意気高揚のためだと思われるが、奪還面積がそのまま戦略の成功や勝利を意味しているわけではない。しかも、9月12日夜には「6000平方キロメートルを解放した」と誇らし気に語ったのには、驚いた人も多かった。3000平方キロの次の日にはもう2倍になったわけである。これはジ・エコノミスト9月11日付が指摘したことだが、面積の計算法によっては9000平方キロメートルになって、ほぼキプロスの面積に匹敵してしまう。しかし、実は奪還した面積は、ロシアが強奪した面積の50分の1という計算も成り立つとの説もある(ブルームバーグ9月13日付)。ウクライナ軍の優勢を効果的にしようとして、根拠の薄いプロパガンダにのめり込むのは、尊敬を受けるどころか信頼感を傷つけてしまう危険もある。
もちろん、ゼレンスキーとしてはウクライナ国民の意気高揚だけでなく、アメリカを中心とする西側諸国に「実績」を誇示して、武器援助を継続してもらわなければならない。少なくとも、ゼレンスキーにとっては、アメリカの武器供与が途絶えるか急減すれば、せっかく奪還した領土も再び占領されてしまって、国民に対しても面目を失うだけではない。自らの生命も危険にさらされる可能性が急速に高まるという、綱渡りのような戦争なのである。
ゼレンスキーはいまも綱渡り的な戦争を続けている
いまのところ、アメリカ軍の幹部や国務長官が述べていることは、さまざまな思惑があるにせよ、客観的にかなり正しいだろう。しかし、だからといって彼らが、なんとか停戦に持ち込もうという発想をもっているわけではない。13万数千人を新たにウクライナに投入しようとしているプーチンが、ハルキウを取り戻されただけで全面撤退するはずもなく、600億ドルのウクライナ援助を決めて、さらに130億ドルの追加をしようとしているバイデンも、停戦の労を取ろうという気はさらさらない。そもそもバイデンは初めからこの戦争の当事者だ。いまの時点で確かなことは、戦争の当事者たちがさらに動きのとれない隘路にはまりこんだという事実だけである。