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東谷暁による「事件」に対する解釈論

英国トラス政権はすでに死んでいる;財政政策が市場を大混乱に陥れた本当の理由

英国のトラス政権が打ち出した経済政策が、すでに発表した時点で混乱を生み出している。ことにクワーテング財務相が発表した大胆な減税案は、喜ばれるどころかポンドが暴落、国債利回り急伸で金融市場に「ノー」を突きつけられただけでなく、IMFが警告を発し、英国銀行が無制限の市場介入も辞さないと言い出すしまつだ。


この数日のあいだに、多くのメディアがクワーテング財務相の減税案を批判したが、それよりなにより、英国の通貨が対ドルで暴落し、英国債の利回りが急伸する(つまり、叩き売られた)という異常事態となった。英経済誌ジ・エコノミスト9月28日号は社説で「いかにして国家が運営できなくなるか」などというタイトルを掲げただけでなく、サブタイトルが「トラスの新政権はすでに水中で死んでいる」というのだから尋常でない。

The Economistより:ポンドは暴落、国債利回りは急騰


同誌が挙げる「トラス政権はもう数カ月もたない」とする理由は、第一に「トラス政権の財政は経済成長を促すどころかダメにするから」だという。さらに、第二に「経済成長のための政治的安定性の枠組み」を備えていない。第三に「トラスの政治的能力には疑問がある」。そして第四に「クワーテング財務相が経済成長のための政治を汚辱にまみれさせてしまった」からだというのだ。

ジ・エコノミストは辛辣で皮肉が多い雑誌だが、ここまで言うのはちょっと珍しい。しかも、怒りのあまりか、トラス政権が続かないという4つの理由も、同じことを繰り返しているだけなのだ。要するに「減税案を提示したが、その財源の根拠がまったくない」ということに尽きる。政府の政策が中央銀行とどれほど矛盾しているかは、ウォールストリート紙9月27日付の「英銀とトラス政権の激突の落とし所を探る」が詳しく検討している。

ft.comより:長期国債の利回りがこれまでになく乱高下した


念のために述べておくが、財源の根拠がない財政支出を唱えているからといって、クワーテングがMMTの信奉者で「政府支出は財源がなくてもできる」といっているわけではない。さまざまな分析や論評をみると、もっと古い、ブードゥー(呪術)経済学といわれた「ラッファー経済学」に依存しているらしい。

ジ・エコノミストで振り返ると、9月22日号に掲載された「トラスのお気に入りのレーガノミックスは機能しない」が、その背景を述べている。また、フィナンシャル紙9月27日付でコラムニストのジャナン・ガネシュが「英国はアメリカではない。アメリカでは共和党の議員がときどき減税すると将来の財政支出は減ると言い出す。しかし、それはドルだからできる」と述べている。しかし、もう少し深く見てみよう。

前出のラッファー経済学というのは、アメリカの南カリフォルニア大学のアーサー・ラッファーが、喫茶店でコースターに山なりの曲線(ラッファー曲線と言われるようになる)を描きつつ説明したという。税金をあげていっても、あるところまでは企業は頑張るが、それを過ぎると事業から撤退してしまう。そこで、すでに曲線のピークを越えてしまった経済では、税金を減らすと企業が再びやる気になって、逆に税収が増えるのだという。

The Economistより:いつも明るい2人だった


もちろん、きわめて危うい理論であり、データ的に実証もされていなかった。事実、レーガン政権は第一期に減税したが、税収はちゃんと減って、第二期には増税せざるを得なくなった。この理論の欠点は素人目にもわかるが、その経済が曲線のピーク(我慢の限界)を過ぎていることを、どうやったら分かるのかということだ。その後、ときどきこの理論が復活して、減税の根拠となるが、そのことで景気が上向いたと証明されたことはない。

しかし、レーガノミクスは成功したではないかという人がいまもいるが、たしかに景気が少し上向いている。ただし、これはレーガンソ連を圧倒するために「スターウォーズ」と呼ばれた軍事技術の拡充を図るために、防衛予算をたっぷりとつかったお陰で、膨大な軍需産業とその周辺が潤ったのである。つまり、いわゆる「戦時ケインズ主義」の見本のような事態が生まれたわけで、けっしてラッファー経済学が成功したわけでも、この経済学を含むサプライサイド経済学が功を奏したわけでもなかった。

こうした古色蒼然たるインチキ経済学が背後で復活しているのは、もちろん英国経済が窮状にあるからで、10%を超えるインフレを抱えながら、景気刺激策をあみだそうと思えば、1980年代の栄光のレーガノミクスを、引っ張り出したのも分からないではない。しかし、インフレを抑えようとして英国銀行が金利を上げているときに、怪しげな呪文をとなえて、政府が450億ポンドもの財政支出をぶち上げられたら、同銀行総裁もあきれ怒るのが当たり前だろう。

さて、財政支出と金融引締め策の矛盾した組み合わせを論評しながら、日本の岸田政権も「おなじ過ちに陥らないとも限らない」と指摘している日本のエコノミストがいた。しかし、これはちょっと違うのではないだろうか。少なくともいくつかの「場合分け」が必要ではないだろうか。黒田日銀はあいかわらずインフレターゲット策を続けている。これだけでも英国とは逆なのだ。これに対して岸田政権はインフレ対策として世帯当たり5万円の補助金を出すそうである。

The Economistより:もうすでに2人は水の中にいるそうだ


もし、財政支出は実は景気を刺激しないというマンデル=フレミング効果を考慮すれば、岸田政権は国内の需要を拡大することはできない。いっぽう、同効果があまり働かなければ需要を喚起し、インフレを加速することになり、黒田日銀に塩をおくったことになる。これは日本政府が国際金利にどれくらい影響力を行使できるか、また、日本経済がいまどれくらい景気が悪いか良いか(これはマンデル=フレミング理論ではないが)によってかなり変わってくる。

しかし、この種の世帯当たり5万円の購買力拡大策が、国内の需要を大きく左右するだろうか。すでに、コロナ禍の真っ最中に実施された、一人当たり10万円の補助金は、かなりの部分が貯蓄に向けられたことが分かっている。ということは、この5万円は国内の需要をそれほど拡大するとは思えない。もちろん、日本国民の心理がコロナ禍の最中とは変わっていて、消費意欲が掻き立てられれば、日本はますますインフレを加速することになる可能性はある。

 

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