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東谷暁による「事件」に対する解釈論

イーロン・マスクは新しいのか古いのか;ビジネス成功の秘密をのぞく

イーロン・マスクツイッターを買収し、矢継ぎ早にその改造を始めてから、多くの議論が行われている。その中でも興味深いのは、マスクのマネージメントは新しいのか古いのかということである。これまでマスクがかかわってきた事業は、すべて最先端のビジネスなのに、彼が示している経営者としてのタイプは、やたらと古臭い19世紀的で悪辣な資本家に似ているからだ。


経済誌ジ・エコノミスト11月7日号も「イーロン・マスクによるマネジメント思考への挑戦」という記事を掲載している。「もしツイッターで成功したら、MBA(のカリキュラム)は一新しなければならない」とのリードを入れている。しかし、これは本当だろうか。結論を言ってしまえば、ジ・エコノミストの記者と経営陣が、MBA保持者やエリートコースの卒業生なので、自分たちとのあまりの違いに呆れているというのが真相ではないだろうか。しかし、それはそれでマスクの経営を考えるうえで充分に役に立つ。

冒頭で同記事はいくつかのマスクに対する疑問を提示している。第一が、世界で第一の金持ちが公的議論をする重要な場を支配しているのは正しいのかという「政治問題」。第二が、買収から数日内に多くの労働者を解雇してしまうのは合法なのかという「法律問題」。第三が、ツイッターの経営を広告収入から使用料金にシフトさせて利益があがるのかという「戦略問題」。こうしたどれも解決が難しい問題があるというのに、マスクはどれに関しても「時代の波」に逆らうような「泳ぎ方」をしていると同記事はいうのである。

たとえば同記事があげる例として、まず、テスラでの労働時間についてのマネジメントがある。マスクはリモートワークを嫌っており、今年の早い時期に被雇用者に「1週間に40時間は会社で仕事をすること」と言い渡した。これなどは同記事によれば「きわめて古いタイプのボス」そのものであり、さらにマスクはこのことについて「どこか違う場所で働いたふりをしている」こともありうるのだと、ツイッターしたことがあるのだという。


また、すでにこのブログの他のところでも書いたことだが、マスクはツイッター社員の半分に解雇を申し渡すさいに、社員として残ってもらう者には社内メールで雇用継続を知らせ、辞めてもらいたい者に対しては社内メールを封鎖して個人メールに解雇の通知をした。「法律的にはどうあれ、彼のやりかたはブルータル(残酷)だった」と同記事は指摘している。

すでに、独自の経営法でも雇用については、彼がトップの他会社でのやりかたを、批判するものが少なくなかった。たとえば、テスラなどでも社員に対して同情を見せるということなど皆無で、ひたすら壮大な目標を与える(たとえば、電気自動車を世界の標準にしようとか、火星に植民地を作ろうとかの)ことに終始してきた。ツイッターの将来像もいまのところ同じで、「デジタル・タウン・スクエア」といった漠然とした概念しか提示されてないといってよい。

ジ・エコノミストがマスクに対して疑問をいだく根拠のひとつとして、同誌はハーバード大学ビジネススクールで行われた、同スクール出身のCEOアンケートをあげている。このアンケートによれば、「一部のCEOは直感的なアプローチをとるといっているが、他の多くのCEOはきわめて普通のアプローチであることが分かった」という。経営法としては「構造的なプロセス(さまざまな要素を考慮するということだろう)を経たほうが、企業はより大きくより速く成長する」のであり、さらに「判断はゆっくり行う」ことも分かったという。

The Economistより:本人は乗りこなすつもりだろう


こうして見ると、イーロン・マスクという世界一金持ちな経営者は、ハーバード大学ビジネススクールの卒業生たちとは、まったく別のやり方を採用していると言わざるを得ない。しかも、同誌記事はピーター・ドラッガーの「経営者は企業内と企業外をつなぐ役割がある」という言葉を引用して、この点においてもマスクが経営学の常識からいかに遠いかを印象付けようとしている。

しかし、経営史をひもとけば、わがままで冷酷に見えるが、経営者としては偉大な人物に出会うのはそれほど稀ではない。それまでの経営の「常識」を破壊してイノベーションを実現したという意味でなら、ビル・ゲイツやジェフ・ベゾフだって実は「かなり風変りな人」であったのだ。ハーバード大学ビジネスクスールドラッカー説との比較は無意味ではないが、実は、特記すべき大きなビジネス上の飛躍を行なった経営者というのは、アカデミックな経営学などに従った者ではないのである。


イノベーションの概念を始めて提示したのは、1912年刊のヨーゼフ・シュンペーター著『経済発展の理論』だが、彼は経済上のイノベーションとは単なる新技術の発明ではなく、さまざまな要素に新しい結びつき(ノイエ・コンビニツィオーン)を与えたことによって生じると論じた。そして、この新結合を生み出すのがアントルプルヌール(企業家、あるいは起業家)なのだと強調した。

したがって、シュンペーターはアントルプルヌールを牽引者として評価したが、よく読んでみると彼は起業家は性格的に嫌いだったことが分かる。「この役割には必ずしも教養はいらない」「彼らは倫理性の高さを示すことはまれである」などなど、人間としての厚みや道徳性において、必ずしも優れた人が起業家になるとは限らない。それどころか、そうでないほうが多いということを述べているのである。

これはよく考えれば分かることで、イノベーションはそれまでの常識を破壊することによって生じるが、そこには社会倫理的な要素も含まれている。したがって、従来の倫理にこだわる教養があって道徳的なタイプの人間が、荒々しくイノベーションを遂行していくというのは、むしろ難しいことになってしまうのである。こんなことは、おそらく高度な教養あるジ・エコノミストの記者は知っているはずなのだが、(そして、少しだけほのめかしている部分もあるが)イーロン・マスクを論じるときには忘れてしまったことにするのだろう。


イーロン・マスクは途中まで技術開発を目指す人間として活躍したが、いったん資金を得てからは買収や経営参加によって、新結合であるイノベーションを実現させてきた。しかし、そうした人間がデモクラティックで同情心に満ちた存在であるというのは、ほとんど奇跡に近いかもしれない。もちろん、いま彼が取り組んでいるツイッターも、また、中国との関係において試練を迎えているテスラも、さらに新しい結合を実現しなくてはならない。

それが大学のこれまでの教科書にある内容で、はたして可能かどうかは論じるまでもない。経営学の教科書とは、それを応用して新しいビジネスを起こす典範ではなく、まったく逆に、これまでイノベーションを起こしてきた、荒々しい常識破りを正当化する覚書にすぎない。既成のものを破壊する、まがまがしい血気に、新しいも古いもない。その力の前に政治も法律も戦略も変わる(あるいは、変えようとする)。したがって、新しい覚書が加わるという意味でなら、マスクが今後も成功を続けたとき、ケーススタディツイッター買収の正当化も加わるわけで、「MBAのカリキュラムが変わる」というのは正しいだろう。