HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

世界の多極化に逆行するバイデン政権;リアリストの見たアメリカの迷走する世界戦略

ウクライナ戦争は続いているが、すでに世界の大国は「戦後」に向かって動き始めている。そしてそれは「多極化」を加速する可能性が高い。しかし、奇妙なことにアメリカでは「一極化」への夢が再燃している。ウクライナ戦争でロシアを軍事的に弱体化させ、経済戦争で中国を叩けばこの夢がかなうと、バイデン米大統領はいまも相変わらず妄想しているのだ。


いわゆる米国リアリストのひとり、スティーヴン・ワルト(ハーバード大学教授)は、いまのアメリカはあまりにも多極化することを恐れていると指摘している。米外交誌フォーリン・ポリシー電子版3月7日に掲載された「アメリカは多極的世界をあまりにも恐れている」は、やや控えめのタイトルをつけて、内容としてはまっこうからバイデン政権の外交姿勢を厳しく批判している。

バイデンだけではない、ウクライナ戦争が終わると1990年代初頭のような、アメリカ一極が復活すると思い込んだ議論をしている、見当はずれの評論家は日本にも多い。ただそれが、プーチン撃破とウクライナ民主主義擁護という形で表れているから、分かりにくいだけなのだ。ウクライナ戦争が終わった時点を想像してみよう。そのとき、アメリカを中心とする民主的で平和な世界が出現しているのだろうか。もちろん、そんなことはありえない。


まず、ワルトの論文にしたがって考えてみよう。ワルトにいわせれば、「我われがいくつかの大きな勢力からなる世界に向かっているのに、バイデン政権はアメリカ合衆国が競合する勢力に直面しなかった時代のノスタルジーに浸っているように見える」。そのため、(ウクライナ戦争では)ロシアが将来的に問題を起こさなくなるまで弱体化することを目指し、また、中国のハイテク情報アクセスによる上昇を阻止しようとしつつ、そのいっぽうではアメリ半導体産業に補助を与えているのである。

ワルトによれば(そして、リアリスト的な政治家や政治学者も同様だが)、「たとえ、いまのバイデン政権の試みが成功したとしても」、これから世界はだいたい次の2つのいずれかに変貌していく可能性が高い。ひとつが、アメリカと中国からなる2極の世界。もうひとつが、中国、ロシア、インド(さらに可能性としてはブラジル、日本、ドイツも加わる)などの国々と同等ではあるが、なおもアメリカが中心的な地位を占めている多極的な世界である。


ここでワルトはリアリストの政治学者たちについて、少し説明をしている。たとえば、クラシック・リアリストとされるハンス・モーゲンソーは、多極的世界のほうが選択肢が生まれやすいので安定すると考えていた。それにたいして、ネオ・リアリストに分類されるケネス・ウォルツやジョン・ミアシャイマーの場合、2極構造のほうが戦略構想の失敗が少ないと論じてきた。(説明しておくと、これはクラシックとネオとの間には発想に違いがあるからで、前者が人間には権力への意志とも呼ぶべき「性向」あるいは「心理」があると考えるのに対し、後者は世界政治という「構造」が対立する勢力への攻撃性と恐怖を生み出すと考える)。

では、ワルトはどうかといえば、おそらく後者の発想に近いと思われるのだが、この論文では多極性が進行して2極構造になっても多極構造になっても、いずれにしてもアメリカにとっては負担が軽くなるし、理想主義的な一極支配の幻想のなかで生まれる失敗はしないですむと述べている。たとえば、9・11同時多発テロがきっかけになったアフガン戦争やイラク戦争は、結局、アメリカの失敗に終わったが、それはアメリカがあくまで理想主義的な一極構造の維持にこだわったからだとワルトは見ている。いまやイラク戦争開始から20年が過ぎたが、「しかし、アメリカはこうした経験からはあまり学ばなかったのだ」。


もちろん、2極構造になっても多極構造でも、新たな問題が生じることを忘れてはならない。「間違えてはいけないのは、アメリカにとって、また、世界全体にとって、多極的な未来が何の問題もない状態だというわけではないことである。ユーラシア大陸では強国同士のつばぜり合いから、戦略上の計算違いや戦争が起こるだろうし、また、テクノロジーが急進する時代には、おそらく核武装に踏み切る国も増えていく」。

ここまでワルトは「アメリカにとって」という前提で述べていたのだが、アメリカにとって負担が減り、選択肢が増えたとしても、他の国の負担が増え、選択肢が狭まることはあり得る。それどころか、アメリカが負担していたものを、他の国が引き受ける必要が生まれると考えたほうが自然である。これまで少ない負担、すくない不安でいられた国は、その分を何ものかと引き換えに背負わねばならない。


とくに、日本の場合には、常にアメリカが背後に控えているという状態からの離脱を意味し、ワルトは日本やドイツが核武装を決断することも、高い確率でありうることを示唆している。このワルトの論文は、彼の(理想を掲げて巨大な不幸を生み出すのではなく、現実を踏まえて少しでもよりよい状態を目指すという)リアリストとしてのスタンスを簡潔にまとめたものといえるが、それはあくまで「アメリカにとって」という点が説得の根幹である。日本人がこれを読む場合には、「日本にとって」という条件を加えなければならない。しかし、その場合でも「多極化への動き」は、すでにバイデン政権にも止められないと思われる。

アメリカの政治リーダーたちは、理想主義的なレトリックを振り回す陰で、(実は存在している)リアリスト的な傾向を見せないようにしてきた。彼らはバランス・オブ・パワー(勢力均衡)の政治に長けていたのだ。世界の多極化が回帰するにつれて、この勢力均衡がいかになされてきたかを、アメリカのいまの政治家たちが思い出す必要がある」というのがワルトの結論である。

いま、中国の習近平がロシアのプーチンを訪問しているが、勢力均衡の政治を行なっているのは、むしろ彼らなのである。バイデン政権はウクライナを平和と民主主義の象徴にしたてあげて、ロシアの軍事的パワーを削ぐという戦略に傾斜することによって、世界の安定形成者という役割を捨ててしまった。実は、(ワルトはあえて述べていないが)リアリストの目でみれば、世界の平和を阻止しているのはバイデンであり、おどろくべきことに、それらしい役割を演じようとしているのは習近平なのである。