ウクライナとロシアの戦いは激しく陰惨な戦場だけのものではない。その背後では情報戦と謀略が繰り返され、ときには戦場以上に大きな影響を生み出している。ロシアの狡猾さは指摘されているが、しかし、ウクライナも罠の戦争で引けを取ってはいないのだ。いや、そのレベルは西側同盟国すらも騙されるほどだと言われる。
英紙ザ・タイムズ4月1日付はマーク・ガレオッティの「ロシア・ウクライナ戦争:表通りでの戦いと同様に心理の戦いも激しい」を掲載している。ガレオッティはロシア研究家で多くの著作があり、昨年秋には『プーチンの戦争:チェチェンからウクライナまで』を刊行し、この春に日本でも翻訳が出ている。彼の著作の面白さは、該博なロシアに関する知識に基づく、さまざまな局面の「裏読み」にある。
このタイムズに寄稿した記事も、その一端を開陳していて興味ぶかい。とくに歴史上の戦争については、情報戦や謀略戦の話が大好きなのに、進行中の戦争となると人道主義的報道だけになってしまう日本においては、ぜひ知っておきたい「裏読み」がたくさん盛り込まれている。まず、先日、話題になったロシアによるベラルーシへの戦術核配備について、彼の読みを簡単に紹介しておこう。
ガレオッティによれば、プーチンはベラルーシで建設中の核兵器施設が、7月1日に完成するといっているが、そんなことはあり得ないという。「この種の施設は建設に数年はかかり、とても数カ月ではできない。しかも、プーチンが戦術核をベラルーシに実際に供与しなければ、なんの戦略的効果も生まれないはずだが、プーチンは本当は供与する気がないのかもしれないのだ」。
では、ベラルーシはプーチンに騙されているのだろうか。必ずしもそうではないとゲロッティは考えている。ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は、たしかにロシアが自国内に核装備することを承認したが、それはプーチンがベラルーシにウクライナ侵攻を強制しなかったお礼ではない。ルカシェンコはロシアが本気で核兵器を使用するのはずっと先のことだと分かっているが、ベラルーシは核配備(宣言)の威嚇効果で、自国の軍隊を熾烈な前線に投入せずに済むかもしれないからなのだ。
では、プーチンはなぜ、すぐに使用できない戦術核の供与を世界に向かって宣言したのか。実際に核兵器を使ってしまえば、それがどのような形であっても、西側諸国を刺激して何らかの軍事的反攻を受けるだろう。いっぽう、可能な代替案である「国家総動員」を行なった場合にはどうなるか。このときには国内の反発が大きく、政情不安すら起こりかねない。そこでプーチンは極端な措置は今のところ避けて、西側を抑止しウクライナを威嚇する、戦術核の配備宣言を行ったというわけである。
いっぽう、ウクライナ側の情報操作および策略の戦いはどうだろうか。「キーウはプロパガンダと心理的策略において、ロシアにひけをとるどころか、しばしば上回っている」というのがゲロッティの評価だ。彼のロシア情報によれば、ロシア側がウクライナ軍の配備を把握できないように、前線で戦闘を続けながら、しばしば配置換えを行なっているという。また、幽霊部隊や架空司令部がロシア軍の傍聴を翻弄して、作戦を崩壊させる事態は頻繁に起こっているらしい。
たとえば、ウクライナの都市メリトポリをめぐる攪乱作戦がその好例だった。ロシア側はウクライナ軍がメリトポリを奪還するために一斉攻撃するという情報を掴んだが、これは実は、他の地域での一斉攻撃のための陽動作戦だった。ところが、ロシア側は巧妙に繰り返されるウクライナ軍側の情報に完全に攪乱され、他の地域で別の一斉攻撃が始まるまで気がつかなかったという。
同じことが大々的に行われたのがハルキウをめぐる攻防戦で、ウクライナ側は奇襲的な攻撃を成功させて、同市を奪還したことはよく知られている。このときも偽情報が巧妙に流されたせいで、ロシア軍は別の地域(南部だったといわれる)に兵力を回してしまい、結果として、いとも簡単にハルキウは奪還されてしまった。
「英国国防省の分析官は、ウクライナの情報のフェイクや変化についていくのは大変で『私が情報収集でトラブルを経験するのは、敵対しているロシアの情報ではなく、われらの同盟国であるウクライナの情報のほうが多いのです』と語っているほどだ」
いまのウクライナ戦争の状況はきわめて微妙だが、しかし、これからの春の攻勢がロシアを撃ち破り、その結果として和平会談に漕ぎつけられると、ウクライナ側では望んでいるようだ。しかし、そんなことはまったくありえない。そのことは、プーチンのスポークスマンであるディミトリィ・ペスコフが、新年会で次のように明言していることからも分かるという。「この戦いは、ずっと、ずっと長く続くだろう」。ということは、これからも情報と策略の戦いは続くことになり、同時に、戦場での苦闘と悲惨も終わらない。
「いまのような衛星映像や回線盗聴が発達した時代においても、騙し合いや心理戦といった古代から続く武器がきわめて重要なのだ。それは、戦場で使われているような武器よりも、潜在的なパワーは大きいのである」