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東谷暁による「事件」に対する解釈論

「素顔」のないプリゴジンの正体;傭兵隊ワグネルの創始者は何者か?

バフムトでのウクライナ軍反撃が続くなかで、傭兵隊ワグネルの創始者プリゴジンについての報道が際立ってきた。彼はウクライナ軍とも取引をしているとか、いや、それは彼を失脚させるためのプロパガンダとか、プリゴジンはもう捨て鉢になっているとかの「報道」がかまびすしい。ここで奇妙なこの人物の「素顔なき素顔」に迫ってみよう。


いまのところ話題の中心は、米紙ワシントン・ポストが占めてきた。5月13日付では「ゼレンスキーは周囲にロシア領内への攻撃を提案している」と報じたかと思うと、同月14日付で「ワグナーの頭目ウクライナにロシア軍の配置を提供しようとした」との記事を掲載し、これに対してAFP通信がプリゴジンはメッセージサイトのテレグラムに「ばかげている」と投稿したと報道して、ワシントン・ポスト紙もこの投稿を取り上げている。

また、ニューズウイーク日本版によれば、プリゴジンは「ロシア軍機4機を撃墜したのはロシア軍」と示唆したそうで、ウクライナの報道官はすかさず「撃墜したのはロシアの防空システムだったこともありうる」と発言している。プリゴジンの発言は、こうなるとロシア軍への裏切りというしかなく、暗殺と毒殺の実行力で知られている、ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)がなぜ暗殺しないのか、不思議に思えるほどだ(その理由のひとつについては後出)。


日本ではプリゴジンは「プーチンの料理人」ということになっており、自分が経営するレストランにプーチンを招いて親しくなり、ウクライナ侵攻のころからワグネルを経営拡大して、軍事においても一定の権力を握ったことになっている。しかし、自分に親しげに近づいてきて、あれこれうるさくがなり立てるプリゴジンのことを、プーチンは「けつバイオリン」と呼んでいるとの報道もあり(独紙フランクフルター・アルゲマイネ)、いまいち、この人物像がわからない。

しかも、どうもプリゴジンにはちゃんとした軍歴はなく、ロシア経済界でもオリガルヒたちほどの富をもってはいない。そのくせプーチンの「寵愛」を獲得し、軍服を着てワグネルの前で演説して見せているのは、「大勢の戦死者を出しながらバフムトを制してきたワグネルは俺の軍隊だぞ」との巧みなパフォーマンスということもできる。しかし、プーチンとの個人的な関係とワグネルのオーナーだというだけで、こんなことができるのだろうか。


こうした異例な「出世」の秘密は措くとして、複雑怪奇なロシアの軍部との関係については、英経済誌ジ・エコノミスト5月11日号に掲載された「なぜワグナーのボスはロシアの軍部リーダーたちともめているのか」を見ておくことにしよう。まず、驚くべきことには、軍の中枢部とは完全といってもよいような対立関係にあることだ。

たとえば、ロシア国防相のセルゲイ・ショイグおよびロシア国防軍トップのヴァレリィ・ゲラシモフとはまったく不仲であり、バフムトの攻防をめぐっては、この2人をやり玉に挙げて「もっと弾薬を送ってくれなければ、ワグネルは撤退するぞ」と威嚇したのはよく知られている。しかし、「今回のプリゴジンの爆発的な怒りは、彼とロシア軍制服組との延々と続くエピソードのひとつにすぎない」。

ジ・エコノミストは、こうしたプリゴジンの大胆不敵、あるいは傲岸不遜なふるまいを紹介しながら、ロシア軍部のこれまでの人事や内部対立に話を転じていく。ロシア軍のトップクラスの人事については、プーチン大統領はそれほど強い関心は示していなかった。しかし、ウクライナ侵攻を始めてキーウ占領に失敗すると、とたんに、軍幹部の能力が気になりだしたのだ。


それも当然だろう、数週間でキーウを占領できることになっていたのに、肝心の戦車が縦隊で狭い道を進軍しているうちに、先頭の1基が携帯武器に破壊されると、長い戦車の列は渋滞してしまったので、世界中が唖然とした。何か特別な戦術でもあるのだろうかと思った専門家もいた。しかし、単に米製の携帯武器があれほどの量、供与されているとは予想しておらず、ロシア戦車は「びっくり箱効果」で次々と砲塔がすっとんでいったのである。

プーチン大統領は、まず、アレクサンドル・ドヴォルニコフ将軍を更迭したが、もちろん、これでロシア軍が強くなったわけではなかった。この要職には昨年5月にゲナディ・ツィドコが就任し、さらに10月にはセルゲイ・スロヴィキンが着任し、そして今年の1月にゲラシモフが就いたというわけである。で、ロシア軍は強くなっただろうか。これからが「本当の戦争」なのだから、まだ何ともいえないが、どうやら強くなったとは思われない。

こうした将軍の取り換えは、ロシア軍内の派閥抗争があるので、かえってすみやかに進んでしまったという側面がある。単純化してしまえば、日銀総裁には日銀出身と財務省出身を交互につけるという「不文律」があると、けっこうみな納得するのだが、突然、海外でも国内でもそれほど知られていない学者が就くとなると、あれこれ揉めてしまうという現象は、まあ、日本でもロシアでも同じとは言わないが似ているだろう。


ジ・エコノミストが言いたいのは、こうしたロシア軍そのものの権力構造が、あいまいで脆弱だったので、人事はすみやかに見えるが、何のことはない実質のともなわない首の挿げ替えだけが進行していくので、そこに軍とはまった関係のない、プーチンとの私的関係だけで民間軍事会社経営のプリゴジンが台頭するスキが生まれたというわけである。

ちなみに、同誌には次のような記述があって、彼の不思議な権力の説明のひとつになっている。「プリゴジンは、服役していた犯罪者だったが、いまや公人として振る舞い、GRU(ロシア軍参謀本部情報総局)の司令官たちと、共同工作を通じて近い関係にある」。戦前の日本でも見られたが、軍が表に出られない秘密工作を請け負う「機関」が必要で、ワグネルは「プリゴジン機関」といった機能をもっていたと思われる。

ちなみに、民間軍事会社、最近は欧米のジャーナリズムがロシアのケースだけを「傭兵」と表記するようになっているが、この傭兵はロシア国内でもワグネルだけではない。そのなかでワグネルが他に比べてずぬけた存在感を持ったのは、プーチンや情報部との深い関係もあったが、ワグネルがバフムトで主導的な役割を担うようになり、しかも、ロシア側2万人といわれる戦死者の約半分を担ったという「実績」が、大きくものを言ったわけである。


では、ワグネルおよびプリゴジンのこれからはどうなるのだろうか。ここからは推測も入るが、バフムトがウクライナ軍によって奪還されても、あるいはいまの状態が続いても、全面的な「大規模反攻」が展開すれば、彼らの存在意義は急激に下がっていくだろう。このバフムトが大規模反攻の主戦場とはなりえないという、ほぼ妥当な説を採用すれば、この戦場は前哨戦あるいは陽動作戦の一部にすぎず、これからワグネルとプリゴジンの価値は下落していくと思われる。

いまプリゴジンが焦っているように見えるのは、まさに自分および手塩にかけて育てた(手塩といってよいかは疑問もあるが)ワグネルは「すてごま」あるいは「徒花」になりつつあるのだ。そうした見方からすれば、プリゴジンがバフムトが主戦場でなくなることを最も恐れている人間である。そして、それが分かっていて武器弾薬の供給を減らし始めたロシア軍トップたちへの、プリゴジンの憎しみは募るわけである。

もうひとつ、付け加えておくと、ワシントン・ポストが次々と発表するリークされた「機密文書」に基づくということになっている「事実」は、果たして検証を経たものか、いちおう疑っておく必要がある。もともと、同紙はバイデン政権に近いが、次々にスクープ(?)されている内容は、いまのバフムトの状況と、ウクライナの大規模反攻とのタイミングに合わせたものばかりだが、この世の中、そんなに都合よく機密事項が次々と検証されうるものだろうか。

そもそも、あの21歳の州兵ジャック・テシェイラはどうなったのだろうか? いったいどのような事件だったのか、そして、この州兵君、本当はどんな青年だったのか。まったく出てこなくなっているのは、これまた偶然ではないと思われる。私はまったくプーチン支持でもトランプ崇拝者でもない。しかし、ワシントン・ポストだけでなく他のメディアも注意しながら見ていないと、単なるバイデン政府が作り上げた構図のなかで、これからの戦争を見ることになるだろう。