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東谷暁による「事件」に対する解釈論

AIは本当にサービスを向上させるのか?;労働者を分断して職場の雰囲気を悪くするとの説もある

AIがもっとビジネスに導入されるようになると、失業者が大勢生まれるという説は常識のように流布している。しかし、それ以前にAIが導入された労働現場がどうなるのかについて、まず考えたほうが現実的だろう。仕事がなくなるというよりは、従事して満足が得られる仕事と、忍耐ばかりの仕事に分かれるというのが、いまのところ各種研究が示唆している近未来像である。


「7月19日は事務サービス業者がヒーローとなり、パソコンのサポート業者がスーパースターとなった。サイバー・セキュリティ企業のCrowdStrikeによる定期的ソフトアップデートが原因で、世界中のオフィスや病院、空港でコンピューターが停止した。ほとんどのホワイトカラーは、ログインしないと何もできないことを思い知らされた。IT部門の人たちは助けを求めている同僚や立ち往生している乗客の救助に向かった。彼らの仕事はストレスに満ちたものだったが、同時にそれはやりがいのあるものでもあった」

こんな書き出して始めているのは英経済誌ジ・エコノミスト7月25日号に掲載された「マシーンがあなたの仕事を奪うことはないかもしれないが、仕事が嫌なものになる可能性はある」とのコラムである。クラウドストライクのアップデートにともなうフリーズ事件がオフィスに生み出した光景こそが、これからAIがもっと普及した場合に起こる事態を教えてくれているというわけである。つまり、AIを修理・操作できるものは忙しくなっても生きがいを感じ、修理・操作してもらうしかないものはルーティン的な業務に追いやられて、退屈な仕事をこなすだけになるというのである。


もちろん、同誌のコラムニストは多くの根拠を並べている。アメリFRBで議論されたさいに論文を提示したキャサリーン・リムたちによれば、転職をしたアメリカの労働者たちは、転職の理由として、給料や福利厚生の条件より、仕事そのものへの関心を挙げているという。また、ミレーナ・ニコロヴァたちの共同研究では、ロボット(これは鉄腕アトム型ではなく、自動制御付きのシステムの意味)を導入したオフィスにおいては、年齢、性別、熟練度、仕事の種類にかかわらず、全体的に仕事についての達成感が低下しているのだという。

ニコロヴァたちの研究では、たしかにロボットは物理的には仕事の量を減らしてくれる。しかし、人間にふられている仕事の数が減っていくと、仕事の多様性や生産過程についての理解が損なわれていくというのである。読者には「そんなことないだろ」という人もいるかもしれない。もし、同じ給料を維持してくれるなら、ロボットでもAIでも導入して、仕事は少なくしてくれれば、楽になっていいはずだというわけだ。しかし、どうもそうではないようなのだ。


同コラムニストが例として挙げているのは、病院の薬局で起こった実話である。その病院では薬局(この場合は街の薬屋さんではなく、膨大な薬を治療のためにストックして適切に現場に供給している部門。念のため)に薬剤供給のためのロボットを導入して、薬の供給を効率化した。その結果、そこで働いている人たちはどう感じるようになったか。薬剤師たちは以前よりも薬の出し入れにかけていた時間が縮小し、その分、患者たちへのコンサルティングにあてる時間が増え、満足感が増えた。いっぽう、薬剤師の仕事を助けるアシスタントたちは、システムに薬を搬入する作業だけに仕事が縮小してしまい、みじめな気持ちになっているという。

このコラムは、「だからといってAIが仕事の質にどのような影響を与えているかを言うには時期尚早だろう」と、いちおう断っている。ただし、ジョージア大学のポク・マン・タンたちの研究によれば、AIアシスタント(もちろん人間ではない)とだけやり取りしている労働者は孤独感を覚えており、もっと社会的なコンタクトを渇望しているという話を加えている。つまり、労働環境のなかに他の人間がいるかどうかは、働きがいにとってかなり大きい要素なのだ。


「新しいテクノロジーの導入を雇用者との協力でやるか、上からの強制で押し切るか、また、雇用者たちの競争心を煽るか、それとも無くするかという問題はけっこう大きい。こうした問題を頭から無視する経営者は、かなりのものを失うことになるだろう」

新しい技術の導入が職場の労働者たちにどういう影響を与えるか、という問題は、近代工業生産が始まって以来、ずっと大きな問題だった。テーラーシステムの流れ作業は、一見、合理的だから、生産性を格段に向上させると思っていたら、チャップリンの映画にも出てくるように、労働者の心に害を与えてしまい、かえって生産性を落とす危険性もでてきた。そこまでいかなくても、人間を機械に見立ててしまう、非人間的な労働環境であったことは間違いないだろう。

最近はスーパーのレジでさまざまな試みがなされ、ほとんどのスーパーでセルフレジが普通になってしまった。しかし、最初のころなどには、消費者がどうすればいいか分からず、まごつく風景がひんぱんに見られた。しかも、アドバイスをする人員をかなり用意していたので、これで本当に効率的なレジになるのだろうかと、いぶかしく思った利用者も多かっただろう。その段階を過ぎて何とか定着すると、こんどは人員を多少は減らすことが可能になったが、これまで働いていた人たちはどこに行ってしまったのか心配になる。

ジ・エコノミストより


深夜に開店しているスーパーなどは、ほとんどがセルフレジだけになってしまって、高齢者が初めて使うのには、あまりにも複雑なので立ち尽くしてしまう場合が多い。そうすると店員がやってきて、いちいち教えてくれるのだが、こうしたインストラクション(教育)をしても、高齢の度合いによっては覚えきれない。次からはこのスーパーには来なくなってしまうだろう。それでもビジネスとして利益が上がっていればいいのかもしれないが、わざわざセルフレジ・システムの高いシステム設計代と機械類リース料を覚悟でセルフレジに切り替えるほどの効果があったのか、疑問に思うことすらある(もちろん、あるから全面移行しているのだろうが、それにしても大した利益拡大の効果はないのではないか)。

ちょっと、関係ない話が多くなったようだが、しかし、新しい技術の導入のさいには、似たような「回り道」が起こることがしばしばある。そのたびに、その隙間を埋めているのは、ほかでもない消費者であって、サービス供給側ではないのだ。AIといえば天下御免のキーワードになっているから、AIを導入しますといえば、サービスが向上するような錯覚に陥るが、消費者の負担を増やすだけというのが本当ではないのだろうか。