ウクライナの越境攻撃は果たして成功だったのか。これはまだ判断をすべき時期に来ていない。なぜなら、ひとつの大きな目的とされている、ロシアとの停戦交渉のさいに、自国領土の確保のための交渉材料として使われる状況にはないからだ。しかし、いまやアメリカのスタンスは不安定になり、もしトランプが大統領に返り咲けばアメリカの支援は終り、そうでなくとも、アメリカは戦争の拡大には反対で、ロシアが核兵器を使う状況にはしたくない。ゼレンスキー大統領は「レッド・ライン」を超えてしまったのではないのか。

英経済紙フィナンシャル・タイムズ8月26日付にギデオン・ラックマンの「ウクライナは米露のレッド・ラインを超えてしまった」が掲載されている。ラックマンは同紙の軍事・安全保障についてのコラムニストで、常にではないが、言いにくいことを敢えて書くタイプの筆者だ。その彼が、いま成功したと称賛されているウクライナのいわゆる「越境」攻撃は、アメリカおよびロシア双方のレッド・ライン、つまり我慢の限界を超えたのではないかというのである。
ラックマンはまず「そもそも」の話から始めている。アメリカはウクライナに巨額の資金と大量の武器弾薬を援助してきた。しかし、そこには一定の限界が設定されており、たとえば供与した武器がロシア領内で使用されることは許さず、長距離ミサイルのシステムを与える場合でも、わざわざ改造して射程距離を短くしてから渡したりしてきた。それはなぜかといえば、アメリカはこのウクライナ戦争に2つの目的を設定しており、その2つのうち重要な目的に抵触することは避けようとしてきたからである。

「そもそもこの紛争の始まりにおいて、ジョー・バイデン大統領は自らの政府の目的を2つ設定した。第一の目的が、ウクライナを支援すること。しかし、第二の目的は、第三次世界大戦を回避することだった。仮にいずれかを選ばざるとえなくなったときには、アメリカは迷うことなく第二の目的のほうを選択することになっていた」
ウクライナにとってロシアとの戦争の目的は、自国のサバイバルそのものであり、ロシアとの戦争においてアメリカが直接ロシアと戦うこともありうると考えてきた。「いっぽう、デヴィッド・ザンガーが最近の著作で述べたように、バイデンは自分が行っている支援によって、ゼレンスキーがアメリカを第三次世界大戦に巻き込もうとしているとすら示唆したことがあったという」。

バイデンとゼレンスキーに大きな裂け目があるだけではない。ウクライナを支援しているヨーロッパ諸国の間でも、最初から姿勢に温度差があり、そしていまやじわじわとその裂け目は大きくなっているとラックマンは見ている。同じヨーロッパであっても、たとえばロシアと国境を接しているようなエストニアやポーランドなどは、ウクライナへの支援をさらに強化して、優秀な武器をもっと投入すべきだと考えている。いっぽう、ドイツのような国の場合には、そうした行動はもっとゆっくり進めるべきだと態度で示している。
注目してよいのは、今回のウクライナによる越境攻撃は、まえもってアメリカには通知されていなかったという事実である。これもいろいろ言われていて、アメリカには知らせておいたが、通知はなかったことにしているとか、逆に、アメリカ主導で行われたという説もある。ラックマンの見るところ、その真実はいまの段階では知りがたいが、これまでのように「成功すれば後から承認して、失敗でもそれなりに支援する」ということになるのかもしれない。しかし、今回の越境攻撃はロシアの核兵器について考えると大きな危機を含んでいる。

ロシアが核兵器を使う可能性を示唆して、その恐怖によってアメリカをはじめとする西側諸国を牽制していることはすでに行われている。では、その限界はどこにあるのだろうか。つまり、ロシアにとっての「レッド・ライン」はどのような状況なのだろうか。それは今回のような越境攻撃が、ロシアの軍事戦略を変えねばらないほどの衝撃を与えたときではないのだろうか。ロシアがレッド・ラインがどの程度のものか発表するわけもないが、アメリカ側としてはいちおう推測しておかねばならない。それはアメリカがいま回避している直接の軍事衝突であり、そして、それが深刻な核戦争の脅威となることだろう。

「何人かの西側分析家たちは、クルスク侵攻がプーチンによる核の脅威という嘘を暴露したと信じている。セントアンドリュース大学のフィリップ・オブライエンは『これまでもロシアへの軍事進攻が核使用にとってのレッド・ラインだとされてきた。しかし、ウクライナは進軍してしまって、国境も超えてしまったではないか』と述べている」。つまり、ロシアの核兵器使用のレッド・ラインは、国境の侵害だというのは嘘だったというわけだが、ラックマンは疑っている。曖昧だがそれなりに含蓄のある締めくくりを読んでおこう。
「アメリカはいまも最後のレッド・ラインが平穏に突破されたとは信じていない。バイデン大統領のアドバイザーたちは『もし、プーチンが自分の体制が完全に危機に陥ったと思うときがあるとすれば、それはロシアが核兵器に訴えるときだろう』と言い続けている。ウクライナは自分たちの同盟国というのはウクライナの勝利を喜ばないようだと言っているが、それは一理あることなのである」