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東谷暁による「事件」に対する解釈論

バイデン大統領が息子の罪を恩赦にした衝撃;中世の王様きどりとの批判もでてきた

アメリカのバイデン大統領が息子ハンターの罪を恩赦にしたことは、アメリカ社会に大きな衝撃となっている。おかしな話で、バイデンはトランプが大統領になったら、法が無視される社会となると警告していたはずなのに、自分がそれに相当する行為を平然と行って、まさに晩節を汚している。これはあくまで大統領権限なのだといったところで、自らの肉親に例外的とされる恩赦を与えるということが、いかに法制度の破壊となるか、もう考えられないのだ。


さまざまなかたちでの報道がなされているが、興味深かったのは英経済誌ジ・エコノミスト12月2日に掲載された社説「ジョー・バイデンは息子に恩赦を与えるという中世的権力を乱用した」で、いかにも英国風に、バイデンが用いた例外的な恩赦の法制度を、7世紀のウェセックス王国にまで遡って、バイデンを中世の王なみの法律感覚だとあてこすっている。もちろん、いまのアメリカの法制度においては、バイデン大統領は罪を犯していないが、それは中世的な、しかも7世紀の王のようだというわけである。

しかも、バイデン大統領もまた弁護士出身の大統領であり、亡くなった長男はデラウエア州の司法長官まで務めたという法律家一族である。こんど恩赦を受けたハンターはできの悪い次男で、あれこれ問題ばかり起こしてきた。今回、恩赦の対象となっているのは銃の不法所持なのだが、それ以外にもウクライナでのビジネスでは収賄が疑われ、得られた収入を誤魔化し、また薬物依存症であることは広く知られている。そもそも、自分が薬物依存症なのにそのことを言わずに銃を購入したことが有罪とされたわけである。

 

ウクライナでの犯罪的行為については、トランプが大統領だったときにウクライナを訪れて、ゼレンスキー大統領にハンターの犯罪を調査するように要求したといわれるが、ゼレンスキーは言を左右して、その約束をせずに逃げ切った。バイデンが大統領に当選したさいには、ゼレンスキーの賭けは勝ったといわれたものだが、いまふたたびトランプが大統領に復帰してしまったため、まるでウクライナ国内の権利を譲渡するような「勝利計画」なるものをトランプに奉っているわけである。

さて、ジ・エコノミストの記事に戻るが、中世の王なみの法感覚と批判するいっぽうで、もうひとつの怒りは、バイデンがトランプを批判するさいに用いた、犯罪者であることを強調するレトリックである。民主党系の検事たちが、つぎつぎとトランプの犯罪的行為を蒸し返して大統領選を民主党に有利にしようとしてきたことは明らかで、それらもトランプが大統領に復帰したことで、裁判はすべてストップしてしまい、担当した検事たちはみな辞職しつつある。


こうした検事たちの、違法ではないがいかがわしい、選挙キャンペーン中にいくつもの裁判を繰り返したあざとさは、アメリカ国民の心ある者だけでなく、世界の常識をそなえた者たちをもうんざりさせていた。そのいかがわしい行動をやめさせることなく、それを積極的に利用して自分が大統領に再選しようとしたが、それでも見込みがないとされて、途中で降板させられたのがバイデンだった。たしかにトランプはほとんど犯罪者だが、バイデンだって違法あるいは不道徳ぎりぎりのことを正義と称している、いかがわしい人物だったというしかない。そのいかがわしい人物が、不道徳の最終の仕上げとして自分の息子に異常ともいえる態度で恩赦を与えている。

このアメリカという国は、19世紀の前半に訪れたフランス貴族トクヴィルによって「法律家の国」として描かれたが、それには2つの意味があったといえる。ひとつは法的正義がヨーロッパに比べてはるかに高い価値をもっているという意味。もうひとつは、法律家がもつ硬直性がところどころに感じられ大人になり切れていない国民という意味。それから百数十年たって、アメリカはこの2つとも解消したといえるかもしれない。正義の強調は敵対する相手を叩くための道具となり、そして、硬直性は克服されたが、それが行き過ぎて法を悪用するのにあまりに柔軟になってしまった。


ジ・エコノミストに戻ろう。同誌は次のようにこの社説を締めくくっている。「バイデンは自分の属する政党に、代わりの大統領候補を選ぶ時間を与えられなくなってから選挙から離脱してしまった人物であり、また、彼はトランプが正義を守る法制度をいとも簡単に破壊するとして警告を発した。しかし、そのいっぽうで息子の脱制や銃不当所持の罪に対して恩赦を与えてしまったのだ。これは恥ずかしい法制度の乱用というしかない。そして不幸なことにアメリカにとってこれは単なる序曲でしかないのだ」。