ウクライナ戦争で顕著になったのは、西洋がすでに世界政治から後退していることだ。それはエマニュエル・トッドが最近『西洋の敗北』で人口動態学や文化人類学などの知見を総動員して論じたことだった。ところで、この「西洋」にはアメリカが入っていないのだろうか。もちろん西洋とはアメリカを中心とした西側勢力のことで、何より敗北しているのはアメリカなのだ。ところが、トランプ政権支持者から見るとアメリカはいよいよ本領発揮で、ヨーロッパがだめなのはアメリカのいうことをきかなくなったからということになるらしい。
英経済紙ウォールストリート・ジャーナル1月7日付に投稿されたウォルター・ラッセル・ミードの「ポスト・ヨーロッパに備える国ぐに」は、トランプがアメリカを本当に偉大にすると信じており、その事実に背を向けているヨーロッパ大陸の国ぐには、世界から後退することになるという論旨で、ちょっと意外だった。というか、政治権力のなかを泳いでいる政治学者というのは、ここまで馬鹿になれるものかと驚嘆した。
ミードは一時、民主党系の外交問題評議会で活躍しており、2001年の『スペシャル・プロヴィデンス』ではアメリカ大統領の類型を提示して話題になり、2004年の『権力、テロ、平和』ではジョセフ・ナイの「ソフトパワー」をスティッキィパワー(政治的粘着力)だと指摘して、アメリカの対従属国イデオロギー政策を露わにした。また、2007年には『神と黄金』(寺下滝郎による翻訳あり)によってアメリカ政治の宗教性と金権性の奇妙なアマルガムを剔抉して、そのアメリカ分析の冴えを見せてくれていたはずである。
「ドナルド・トランプが彼の華々しいホワイト・ハウスへの復帰を準備するなか、ヨーロッパにおけるアメリカの同盟国は、不愉快な現実に気が付き始めている。トランプ大統領の第二期目においては、アメリカはこれまでの数十年の間で見ても、ヨーロッパの中核的な同盟国に対して最も強圧的になるだろう。そしてトランプの第二期は第一期に比べてさらに混乱と対立が激しくなるだろう」
ミードによればそれはヨーロッパ諸国や日本が衰退の一途をたどり、これまでのような貢献ができなくなっているからだというのだが、それはそれで正しいと思う。ミードによればヨーロッパ諸国にいたっては、日本が例外的に覚醒しつつあるのとは異なり、自分たちの衰退に気が付かず、国際政治の現実を見誤っていて、トランプに従わないために、ますます経済、政治、戦略において四苦八苦しているというわけである。ただし、日本が覚醒しつつあると言ってくれているのは有難いが本当ではないし、そもそも肝心のアメリカについての評価がただの錯覚なのだ。
ミードによれば、経済的には、ヨーロッパはアメリカが主導しているデジタル時代の試練に耐えることができず、破滅的な気候政策(反温暖化のことらしい)を主張しているだけで、何もできない。政治的には、ヨーロッパを再び偉大にすることに成功していない。戦略的にも中東の混乱、ロシアの侵略、中国の略奪的経済政策に、ほとんど無能をさらけだしている。もう、ヨーロッパ大陸は頼みにならないというわけだ。
「ヨーロッパは歴史における役割を放棄してしまった。トランプ次期政権は多くのヨーロッパ諸国に欠落している戦略的明快さを備えている日本のようなパートナーと協力しなければならない。イスラエル、インド、アラブ首長国連邦、サウジアラビアなどは、ヨーロッパの旧友人たちよりも時代の兆候を正確に読み取っている。ペロン主義の熱狂から目覚めたアルゼンチンは西半球に重要な機会を創りだしているし、インドネシア、フィリピン、ベトナム、タイはアメリカにとってヨーロッパの国ぐになどよりずっと重要になっている」
イラク戦争のさいのネオコンも同然で、もうほとんどトランプ第二期政権への根拠のない妄想的期待を語っているとしか思えないが、それが、かつて鋭い分析をしてみせた政治学者の末路かと思うと哀れである。まず、いまのアメリカ経済は早晩、それこそ夢から覚めてしまうだろう。つまり、バブルの饗宴は終わりになる。ヨーロッパが役立たずになったといって悪罵を投げつけるのは勝手だが、後退しつつ少しだけ貢献するというのが、「西洋の没落」以来のスタンスであることも理解しなくてはならない。「ヨーロッパがユーラシアの小さな岬」であることは、ずっと前から分かっていたではないか。
そして、なによりも混乱と対立を大きくしているのは、ミードが崇拝しているらしい(これも驚きなのだが)トランプ次期大統領なのであって、現実には他の国はやがてやってくる彼のみじめな末路をおっかなびっくり遠巻きにして、見守っているだけなのだ。強がったら逆に弱さが露呈するのは政治でも政治学でも同じことで、トランプという政治家もミードという政治学者も、何らかの理由で(それはここでは言わないでおこう)本当の現実を見ることがまるで出来ないのである。