日米首脳会談については、さまざまな評価があるが、ざっといって思ったよりも穏やかに終わったという印象が強い。もちろん、第一回目の石破・トランプ会談が終わっただけで、問題がすべて解決したわけではけっしてない。これからの経緯を見守っていかなければならないわけで、石破政権としては、第一波は切り抜けたというところだろう。そのなかでこの会談のUSスチール買収問題の落としどころについて、準備を中心的に行ったのは林芳正官房長官だという説が注目されている。

何よりも林主導説を証明しているように見えるのが、会談が終わってからの林官房長官のコメントで、日本の報道機関も彼のコメントを報道しているが、ロイターの2月11日配信は「林は日本とアメリカの間に、アメリカおよび世界中に求められる多くの投資と高品質の生産物を通じて、ウイン・ウインの関係が確立されるだろうと語っている」と報じた。想像できるようにロイターは、今回の日米首脳会談の評価が高く、この記事のタイトルは「日本製鉄は『大胆に』買収案を見直していると、日本政府の官房長官は述べている」なのである。
林官房長官の「ウイン・ウイン策」について、もっとも多く語っているのは2月10日夕刻のNHKニュース「同行記者解説 日米首脳会談 USスチールを巡る舞台裏は」で、「日米首脳会談に向けて林官房長官のもとに各省庁の担当者を集めて設けられた戦略チームでは『民間企業の話とはいえ、これだけ大きな交渉ごとを首脳会談でしっかり話すことができなければ今後の経済協力関係や投資環境の整備に影響が出かねない』という声が強まった」とリポートしている。

「そして、経済産業省が日本製鉄側とも事前に協議を重ねた結果、石破大臣が『単なる買収ではなく投資であり、USスチールはアメリカの企業であり続ける』と説明する方針が固まった」ということである。「一連の経緯について政権幹部の1人は『USスチールの件も含め、林官房長官のチームがさまざまな観点で検討した内容が会談に生かされた』と振り」かえっているという。
もちろん、トランプの許容量がどれくらいかという点については、彼の性格を考えれば予測しがたいので、この方針だけで突入したわけではないだろう。いくつかの場合分けのなかでのA案、B案、C案などのひとつだったと思われる。そのひとつが、トランプ側の思惑に合致するものがあったということだろう。そして、それを林官房長官が中心のチームが準備しておいたという話は、なるほどと思わせるものがある。

これまでも、困難な局面で問題を整理して、そのなかから可能な選択肢を見出す能力については、林官房長官の評価はきわめて高かった。少し前の話になるが、福島第一原発事故のさいに、政権にあった民主党と「今後の方針」について交渉した自民党側の議員は塩崎恭久だった。しかし、本人が書いているように、もっぱら誰に調整を頼ったかといえば林芳正だったのである。問題が問題であったにもかかわらず、自民党の案が中心になったといわれ、その整理の速さと交渉の力は、強い印象を関係者に残している。
また、林官房長官の米国についての深い洞察についても、彼がハーバード大学のケネディ行政学院を出ていることだけでなく、とびぬけた英語の達人であることなども、そのレベルを知る手がかりになるだろう。東京大学にある比較文化の研究センター長を務めたある学者(当然、本人も何か国語も話せる語学の達人)が、「日本の政治家と英語圏で席を同じくしてアメリカ人と接して、一番英語が達者だと思ったのは林君だった」と感嘆を込めながら語るのを聞いたことがある。

そして、もうひとつ付け加えると、すでに林官房長官は日本製鉄のUSスチール買収が政治的に阻止されたときのことを考えて、昨年の秋頃から準備をしていた形跡もある。ブルームバーグ2024年9月6日付は、林官房長官の前日における興味深い姿勢の変化を報じている。バイデン大統領が阻止に動いていることについて、同月5日午前の段階では「日米相互の投資拡大を含めた経済関係の一層の強化や経済安全保障分野での協力は双方にとって不可欠」と指摘するのにとどめたのに、同日の午後になるとブルームバーグのインタビューに対しては一歩踏み込んで「(買収の)交渉は継続中で結果は分からないが、選挙の年であっても、双方がお互いの利益と自由な投資の拡大に同意できることを望んでいる」と英語で答えたという。

ここで林芳正をほめちぎって、次の首相は林に決まりとか言いたいのではまったくない。ある意味では逆で、今回の林官房長官および彼のチームが達成したのは、本来、買収と投資はまったく異なるものなのに、それを積極的な選択であるかのように石破首相にいわせ、また、おそらく根回しもあったと思われるが、トランプにも納得させてしまったということに他ならない。これは考えようによっては、外交的勝利に見せかけた「強い者には巻かれろ」を地で行くものだということである。
もちろん、中位国あるいは劣勢国においての外交というのは、こうした「高度」なレトリックからできていて、実質的には相手に従っているのに、パフォーマンスによって勝利のように見せてしまうことが不可欠なのだ。もちろん、これから正気にもどった(あるいは狂気にもどった)トランプが、「やっぱりあれは乗せられていた、全部やりなおしだ~!」と言い出すかもしれない。これは日本は輸出額が小さいのでそれほどの損でないとの話もあるが、トランプはすでにアルミと鉄鋼には例外なく25%の関税をかけると主張しているではないか。

そしてまた、林次期首相の問題についても、こうした調整力というのは、政権の中心よりも、中心からほんの少し離れたところで発揮されやすいということは自明のことだろう。ということは、林官房長官という政治家は、実は、あまりに調整力あるいは知的チームの統率力が強いので、首相には向かないかもしれないという心配が出てきて当然なのだ。事実、自民党のなかでも周辺でも、林芳正のネゴシエーター、プランナーとしての力量を認めながらも、首相としてはどうかと首をかしげる人は少なくない。頭のよい人だから、そんなことは百も承知かもしれないが、いずれまた総裁選に出てくるだろう。しかし、そこで勝つには別の要素が必要になる。