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東谷暁による「事件」に対する解釈論

醜い平和でも受け入れるべきか;グレアム・アリソンがゼレンスキーに提言

いまやトランプ米大統領のペースでウクライナ戦争の停戦への交渉が進められている。ウクライナのゼレンスキー大統領の存在感は、ますます薄くなっているように見える。それではゼレンスキー大統領はホワイトハウスでの屈辱をものともせずに、自分が信じる理想的な平和を追求すべきなのだろうか。『決断の本質』や『戦争の運命』で知られるグレアム・アリソンは、たとえ醜い平和であってもゼレンスキーは受け入れるべきだと語っている。


グレアム・アリソンはキューバ危機を立体的に分析した『決断の本質』で注目され、近年は『戦争の運命』で国際社会の宿命ともいえる「ツキジデスの罠」を論じて米中衝突の危険性を論じた。そのアリソンが米外交誌フォーリン・ポリシーに「ウクライナは醜い平和を受け入れるべきだ」を寄稿している。内容はタイトル通りで、ゼレンスキーは理想的な平和を追求することをやめて、まずはロシアとの停戦に向かうべきだと説いている。

最初にアリソンが紹介しているのが、ロシアがウクライナに全面侵攻して9カ月後に、元アメリ統合参謀本部議長のマーク・ミリーが講演で語った「戦争の結果は戦場で決まるのであり、政治家が作り上げる物語によって決まるのではない」という警告である。ミリーは、当時ゼレンスキーが主張していた「ロシアが奪った領土をすべて奪還する」という戦争目的を否定し、ウクライナは「軍事的手段では勝利はおそらく達成できない」と指摘していた。ウクライナにとって最善の策は「交渉の好機をつかむこと」だとまで断言していたのである。


もちろん、リアリストと呼ばれるミアシャイマーやウォルトの説に親しんでいる人にとっては、当時ですら、必ずしも目新しい主張というわけではなかった。また、世界の勢力が衝突する地域を冷静に観察し、そこで起こる地域紛争の本質を見抜いていけば、それがロシアとアメリカの代理戦争であることも分かったに違いない。ゼレンスキーがウクライナ戦争を飾る英雄のように見えても、戦いの構図は実はロシアとアメリカの駆け引きによって大きく動いていくのだ。

アリソンはミリーの軍人らしいリアリズムを紹介しながら、もうひとつ、彼の述べていることがクラウゼヴィッツの『戦争論』の有名な一節を思い出させるといいだす。その一節とはいうまでもなく「戦争は他の手段による政治の継続である」という部分なのだが、正直、戦争における戦場の現実を強調しているミリーの言葉は、政治の優位を語るクラウゼヴィッツよりも、『戦争の歴史』という本(日本では『戦略の歴史』と訳され誤解を受けているが)のなかで「戦争は政治以上のものである」(つまり、戦争が政治を超える局面がある)と述べたジョン・キーガンに近いと思われるのだが、まあ、ここではいいことにしよう。


ともかく、アリソンはウクライナ戦争を理念や理想から捉えるのではなく、現実に起こって継続している戦争そのものを正面から見るべきことを説いているのだ。したがって、その戦争が何を目的にしているのか、そしてその手段は十分なのかを考察しなくてはならない。そして、ウクライナにも実はそうした冷静な軍人がいたことを強調している。いうまでもなく、いくつもの戦場で勝利をおさめながら、ゼレンスキーと対立したため英国大使にされたヴァレリー・ザルジヌイ司令官である。ザルジヌイは繰り返し戦争の現実を報告してゼレンスキーを説得し、戦争の戦略を変えさせようとしたが、ゼレンスキーは理想の勝利を掲げることをやめなかった。

そこでザルジヌイは2023年11月に、英経済誌ジ・エコノミストで自分の考えを世界に向けて語り、そのなかでウクライナ戦争は「膠着状態」に陥り、しかも、それはロシアにずっと有利になったと語った。「戦争はいまや新たな段階に移行している。それは第一次世界大戦のように、われわれ軍人が陣地戦とよぶ消耗戦の段階だ。これはロシアに有利であり、最終的にはウクライナ軍およびウクライナ国を脅かすことになる」。ウクライナ戦争は、こうした戦争というものを知っている人間たちが予告したとおりになってしまった。


アリソンはゼレンスキーが現実を真剣に受け止めることを願って、7つの提言をしているので、それを簡単に紹介しておこう。第1に「ゼレンスキーは、交渉の席でいま最も重要なプレーヤーはトランプであり、そのトランプの考えが変わる可能性は低いことを理解しなくてはならない」。第2に、「ゼレンスキーは、ウクライナが大国と約1400マイルの国境を接しているという地理的事実を受け入れるべきだ」。第3に「ウクライナにとって、今の戦争に代わる選択肢は、ゼレンスキーが夢見る公正で永続的な平和ではない。長期停戦で殺戮を終わらせるか、朝鮮戦争のような休戦協定をむすぶかである」。

第4に「プーチンが休戦を利用して再軍備を図るのを防ぐために、当面、ゼレンスキーはNATO加盟を忘れるべきだ」。第5に「ゼレンスキーは、自分が獲得できる安全保障上の約束についてもっと現実的になるべきだ」。この項目に関して、アリソンが特に協調しているのは、たとえば英国のスターマー首相がウクライナに軍隊を派遣する条件として「アメリカがこの軍隊を支援すること」を挙げていることだ。第6に「ゼレンスキーとトランプが一致しているのは、平和あるいは非戦争状態は長期であるべきだということである」。第7に「ウクライナにとって将来への希望はヨーロッパとの関係にある。それは10~20年の長期に追求するもので、その間にヨーロッパが地域勢力として台頭することが条件となる」。


ここには時間軸を入れることで、当面の課題を強調しているが、実現が難しいものも含まれる。たとえば、第4のNATO加盟の問題だが、これは当面だけにとどまらず、半永久的なものになる可能性がある。また、第6のゼレンスキーとトランプとの利害関係の一致だが、トランプはこの和平を自分の業績としてアメリカ国民に誇りたいだけで、ゼレンスキーが主張している恒久的平和が素晴しいからではないことは明らかだ。

アリソンとリアリストとの違いについて述べておくと、リアリストはロシアという大国の性質上、これからもずっとウクライナが西側に接近することを、激しく阻止しようとすると見るだろう。いっぽうアリソンはヨーロッパの地位向上によって、それが変わると見ているようなところがある。しかし、これなども、いっぽうでロシアと1400マイルの国境で接していると述べていながら、問題の解決がウクライナとヨーロッパとの関係しだいで状況が好転するというのは、やや詰めが甘いような気がする。より根本的なのはロシアとの国境であって、これはロシアとウクライナという国家が存在するかぎり消えてなくならないだろう。