トランプ大統領の関税政策では、アメリカ国内の製造業の復活が大きな目標として掲げられている。直観的にいってこれはほとんどナンセンスなのだが、グローバリズムからの脱却だとか、プアーホワイトの救済だとかいって評価する日本人もいる。しかし、ものつくり産業の現実はもっと冷酷なものであって、これらはただの言葉遊びといってよい。もう少し奥ゆかしい言葉を使えば単なる思い違いにすぎない。分かりやすい言葉を探すのではなく、いくつかの観点から分析してみることが必要なのだ。

ちょうどよい記事が英経済誌ジ・エコノミスト4月28日号に掲載されている。「MAGAの製造業への夢は単に迷惑なだけ」という意味のタイトルで、労働力、製造工場建設、工場の老化の3点から、短いが適切な指摘をしている。これはアメリカの大統領とその取り巻きたちの呆れたナンセンスを告発しているだけではない。日本にいまもある「ものつくり」神話に対する警告になっていることも、ここで紹介する意義を大きくしている。
「1940年代後半、ヨーロッパと日本の工業生産力が壊滅的な打撃からまだ立ち直っていなかったころ、アメリカの製造業生産高は世界の半分以上を占め、多くの国ぐにがアメリカの製造物に大きく依存していた。しかし、昨年のアメリカの製造業の生産は世界の10分の1よりも低く、モノの輸入額が輸出額の1兆2000億ドルを上回り、この国の大統領はことのほかご不満であらせられるらしい」

トランプは巨大なアメリカ市場を関税の壁で守ることによって、多くの製造業に生産拠点をアメリカに移転させ、この国を再び製造業でも偉大にしたいと考えているらしい。それに呼応して、たとえば製薬会社のイーライリリーや重電気機器のシュナイダーエレクトリックなどが、トランプの要求に応じる計画を発表した。また、4月28日にはIBMがメインフレームと量子コンピューターの生産をアメリカで行うための投資をすると発表している。
そのいっぽう、飲料・菓子製造のペプシコや酒類製造のディアジオなどが、トランプの関税政策が利益を圧迫するとして警告している。同誌は「トランプ大統領は企業がアメリカに工場を移転することが、いまやどれほど難しいかを過小評価しており、自分の打ち出した政策が,さまざまな形で裏目に出る可能性があることを理解していない」と具体的な例を挙げてかなり強い調子で批判している。

第一に、トランプとその取り巻きたちは、労働力供給についてあまりに甘い見通ししかない。あるいは、まったく考えていないのではないのかと同誌は指摘している。現在、アメリカの製造業労働者の平均賃金は、中国の2倍以上、ベトナムの6倍近く(おそらくドル換算で)。しかし、それでもなお、充分な数の労働者を国内の製造業に惹きつけてはいない。製造業経営者に対して行われた統計局の調査では、回答者の5人に1人が、労働力不足が工場のフル稼働を不可能にしているという。
アメリカでの製造を計画している外資系企業は、溶接工、電気技師、機械オペレーターなどの熟練工の不足を嘆いている。台湾の代表的半導体メーカーのCEOは、「アリゾナ州での半導体生産計画が、同州の労働力不足によって制約されている」とコメントした。いっぽう、トランプ政権の商務長官は「iPhoneを作るための何百万人という軍隊が、まもなくアメリカに戻ってくるだろう」と発言している。アメリカなら作業はロボットで自動化できるからというのが、その放言の根拠らしい。

アメリカの製造現場はロボットがかなり少ない
しかし、アメリカの製造業におけるロボットの台数はお寒い限りだということを、この長官どのはご存じないらしい。2023年にアメリカの製造業労働者1万人あたりの産業ロボット数はわずか295台。これは2020年の255台からは進展があったが、中国の1万人あたり470台、韓国の1012台と比べるとはるかに少ない(図1)。商務長官の発言とは裏腹に、アップルなどは現在アメリカ向けのiPhoneをインドで組み立てる計画であるという。
第二に、アメリカで工場を建てることの難しさが、トランプ政権がイメージするアメリカ製造業の復活にとっての厚い壁となっている。アメリカでは工場建設への年間支出が、過去4年間で倍増している。これはバイデン政権が半導体メーカーや環境技術メーカーに様々な補助金を出したため、必要な資金が急上昇しているからだ。たとえば、ヨーロッパの化学メーカーであるソルベイは、半導体製造に必要な過酸化水素をアリゾナ州で製造する予定だったが、工場建設が高くつくことから計画を停止している。
その分野に流れ込む資金が多くなって、その割に生産が増加しなければ、労働生産性は下落していく。この点、アメリカの建設業は窮地に陥っている。シカゴ大学の研究者たちによれば、労働者1人あたりの生産で測った建設業界の労働生産性は、1960年代のピーク時から5分の2まで低下してしまった(図2)。その原因として、過剰な規制、工場建設反対運動の広がり、仕事を期限内で完了させるインセンティヴの欠落などを挙げているが、それに加えて、近年、労働力不足も大きな問題となっているという。

第三に、さまざまなインフラが老化していることが工場建設を妨害している。まず、アメリカの既存の工場そのものが老朽化しているのに、工場を短期間に建て直す建設能力がなくなっていることが問題になっている。また、電力網の老朽化は深刻で、その多くは1960年代から70年代に建設されたもので、耐用年数が終わったか終わりに近づいているものがほとんどだという。さらに、交通網も同様で橋の3分の1は交換か修理が必要となっている状態で、東アジアのサプライチェーンを結ぶ洗練された交通網とは雲泥の差となっている。
「トランプはこれらの問題を解決するどころか、アメリカ国内の製造業をさらに困難にすることになりそうだ。移民を取り締まり、不法入国者を強制送還しようとする彼の試みは、工場と建設現場の両方で労働力不足を悪化させる恐れがある。また、彼の関税政策は、製造業施設の建設に必要な鉄鋼から、そこで稼働する機械に至るまで、あらゆるもののコストを上昇させている。さらに、原材料や部品の輸入コストも上昇させている。アメリカの製造業で使用される中間投入財の3分の1は、海外から輸入されているのである」

こうした状況にありながら、アメリカがいまもハイテクや医療分野において、世界をリードできたのは、実は、世界のサプライチェーンにおいて中心的な役割を担い続けたことによるのだと、ジ・エコノミストは述べている。ところが、トランプはそのアメリカにとっての生命線といってよい貿易網を寸断している。「トランプはアメリカと世界との貿易関係を危険にさらすことで、製造業に必要なすべてを危険にさらしている。単に過去に戻ることを切望するのではなく、大統領はアメリカが未来を設計していくことを産業自体に委ねるべきではないのだろうか」。

以上がジ・エコノミストの記事の紹介だが、意外に思う人も多いのではないかと思う。たしかに、アメリカは製造業においてドイツや日本に後れをとった時代もあったが、その後、世界のサプライチェーンの中心となることで、情報管理において製造業を再びリードしていると考えていた人は多かったに違いない。しかし、最近、意外な視点から、アメリカの製造業がサプライチェーンの情報を統合していることは確かでも、急速なモノの供給ができないことが明らかにされた。フランスの人類学者エマニュエル・トッドが『西洋の敗北』のなかで、アメリカは武器をウクライナに急速に供給する能力がなくなっていると指摘したのである。
ウクライナに回す軍需品が不足して、それをすでに配備した同盟国から引き揚げて回す事態になったことは、軍事のプロにとっては既知のことだった。欧米メディアのウクライナ報道でもしばしば見られた。しかし、それを製造業の劣化としてトッドがとらえたことで、サプライチェーンで繋がる世界の「ものつくり」が、何らかの想定外のショックを受けた場合、即座に対応する能力があまりないことに気づかされたわけである。そしていま、皮肉なことにアメリカの製造業は国内だけでなく、サプライチェーンに異変があったとき、その脆弱な現実を世界にさらすことになることも明らかとなった。

しかし、これを製造業から金融やハイテクに移行したアメリカの弱さとだけとらえては、せっかくの機会を無にすることになる。アメリカの製造業がショックに弱いだけでなく、日本の製造業さらには経済そのものも、政治的ショックにきわめて脆弱だったことに気付かされることになったからである。それ以前にも、日本の製造業が称賛された時代は過去になったことを示唆する出来事はいくつも起きていたい。シャープが台湾の企業に買収され、東芝が海外のファンドに翻弄され、そして日産がまるで無国籍のCEOに収奪されていたことが、すでに明らかになっている。これらの企業はすべて日本のなかでも「高い技術力」を誇った製造業の雄だった。
これらの買収や経営の窮状は、日本の経済マスコミでは「不祥事」で説明されることが多かった。経営陣が会計上の違法を行ったとか、権力を独占した社長あるいは会長が将来性のない分野に投資を続けたとか、ともかく属人的な失策として糾弾されるわけである。しかし、こうしたスキャンダル的な扱いでは、いま直面しているアメリカ製造業の何度目かの危機も理解できないし、同様に日本の長期にわたる「ものつくり」の危機も回避できないだろう。いまのアメリカの製造業の状況から日本が得られるものは多いと思われる。そしておそらく、政治的条件がまったく異なるものへと変化して、いまのアメリカと同じような試練が日本の製造業を襲うことも決して妄想ではなくなっている。