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東谷暁による「事件」に対する解釈論

インフレ安定はトランプ関税が成功した証拠?;米国と世界への悪影響はこれから広がる

8月12日にアメリカの統計局から7月の消費者物価インフレ率についての発表があり、予測の2.8%に対して2,7%と、前月と同じ数値だったので米国内に安堵感が広がり株価が上昇した。日本でも翌日にはこれまでの最高値をつけて、あたかも世界中が好景気に沸き立っているかのような雰囲気が充満している。しかし、食品とエネルギーを除いたコア・インフレ率(日本ではコア・コアと呼ばれている)は3.1%で、これからのインフレ急進を示唆していると見るエコノミストもいる。いまや微妙な時期であることからしても、いまのインフレ率の意味を論じるさいの「根拠」に注目しておくことが必要だろう。


米経済紙ウォールストリート紙8月12日付は「7月のインフレーションは2.7%で横ばい」とタイトルをつけて「トランプ政権が関税を引き上げていくつかの商品の価格には跳ね返ったが、インフレ率は横ばいなので翌月の連邦制度理事会の金利引き下げに圧力がかかっている」と報じた。また、英経済紙フィナンシャルタイムズも8月13日付で「トランプ関税にもかかわらずインフレ率が2.7%にとどまったので火曜日には株価がまた高値を更新した」との記事を掲載。「統計局のインフレ率発表の後にS&P500は11%の伸び、ハイテクが多いナスダックは1.4%の急伸を見せた」と述べている。

株価についていえば、次の新しいFRB議長の名前をちらつかせながら、政策金利の引き下げを要求しているトランプの思惑が達成されれば、そのときの株価は上昇するから、プロとアマの区別なく株式投資をしている人たちには朗報となるだろう。しかし、そこには次の大きなリスクが横たわっている。根拠なき熱狂の後には、常に、情報量の少ない投資家にとっての地獄が待っているのだ。まず思い出しておきたいのは、トランプが正式に世界に向けて課税を開始したのは8月7日で、本当のトランプ関税の「効果」を知るのは8月の物価を見なければならないということである。

WSJより:7月の消費者物価指数は2.7%の上昇で横ばいだった


プロの投資家でいまのところ潤っている者は、すでにトランプは世界各国への課税は行なっており、関税のパーセントは変わったが、効果を見るには7月だけでもう十分だというかもしれない。すでにトランプ関税が行われていたことは間違いない。しかし、その間、各国の政府も企業も、正式な関税引き上げ開始をにらみながら、いまの局面を抜け出せばどうにかなるのではないかとの予想にすがり、さまざまなトランプ関税回避策を行ってきた。それが7月のインフレ率の横ばいに現れているのではないと考える必要がある。

たとえば、フィナンシャル紙7月6日付には「トランプの貿易政策が世界にどのような影響を与えているか」では、さまざまな対策が考えられ、そのうちの可能な方法がつぎつぎに取られていたことがリポートされている。これまでよくあったのはアメリカに輸出していた製品に高い関税をかけられた際には、アメリカと関税において「友好的」であった近隣諸国に生産地を移転させることだった。しかし、今回の場合にはメキシコやカナダにも高い関税が課されるのだから、この方法は使えなかった。

WSJより:上半分が価格上昇、下半分が価格下落したもの


そこで当面の短期的な方法としては、アメリカの港湾にある保税倉庫(ボーンデッド・ウエアハウス)を利用することだった。この保税倉庫ならば最長5年間保管しておいて、市場に出荷された時点で関税を払うことができる。そのためアメリカの港湾にある保税倉庫の使用料がたちまち上昇して、普通の倉庫の4倍にまで高騰したという。これはけっして根本的な解決にはならないが、状況しだいでは一時的に急上昇した関税を回避できる。

それより前の話になるが、これもフィナンシャル紙5月4日付の「中国の輸出業者はトランプ関税を回避するため、第三国で洗浄している」がさまざまな対策を紹介している。そのうちのひとつに、中国の企業が輸出した製品に、他の国からの輸出品であることを証明する書類をつけてアメリカに届けるという手口があった。もちろん、この書類はアメリカに中国より関税が低い国のものを違法を犯して使うわけで、ひとつ間違えばその国も被害を受けることになるので、頼まれた他国の港湾関係者も必ずしも乗り気でなかった。

WSJより:食品とエネルギーを除いた物価指数は3.1%上昇した


おそらく今でも行われているのは、高関税によって利益が下がっても、価格を下げて売上を維持するという方法だろう。これは高関税そのものは受け入れるが、輸入元の企業と協力してアメリカ国内での価格は据え置き、その利益のマイナス分を輸出元が払うという方法である。ともかく売上個数・件数を維持して将来につなぎ、当面の利益のかなりを捨てるということである。もちろん、協力的な輸入元であれば、その何割かを引き受けてくれるケースもあるようだ。こうした対策がアメリカへの輸出を行っている企業の間に広がれば、当然のことながらアメリカの物価を押し上げることにはならない。

いずれの場合も短期的な措置で、それが長期になったら輸出元も輸入元も耐えられなくなるだろう。しかし、たとえばこれが数か月だったら、なんとかやりくりできるかもしれない。すこし説明が長くなったが、アメリカにおける7月のインフレ率というのは、こうした涙ぐましい努力の集積的な反映であって、必ずしもトランプ関税がアメリカに有益無害ではないし、これまで「スティール(盗み)」をしていた諸国への正しい罰則となったからではないのである。

いくらでも嘘を生み出す大統領は「絶対無」の存在か?


さて、そこで経済学はどのように推論してきたかを見てみよう。アメリカの経済学者たちの発言として日本で報じられたもののほとんどが「アメリカが行う関税措置はアメリカをインフレにしてアメリカ国民に損害を与える」というものだった。しかし、いくらトランプが経済学に無知だとしても、まったく無根拠にトランプ関税を発動していると考えるのは、やはり短絡的だろう。「アメリカの関税措置はアメリカに少しのリスクを与えるだけでアメリカに有利なものになる」とする「理論」が、少数の学者たちの説であっても存在すると考えたほうがいいだろう。

他のところで触れたが、トランプが尊敬するというレーガン大統領は、南カリフォルニア大学のアーサー・ラッファー教授の説を採用して減税した。ラッファーは単純な曲線を描いて説明したが、それはいまも「ラッファー曲線」と呼ばれて、アメリカ経済学史の汚点とされている。この曲線を使って思考すると「税金を安くしたほうが税収は増える局面があり、アメリカは実はその局面にある」というものだった。そこでレーガン大統領は減税に踏み切ったが、案の定、税収は激減して、第二期のさいには増税せざるを得なくなった。

EUとの合意では文書を作成したが、不一致や齟齬は多かった


このラッファー曲線に比べれば、アメリカが関税によって貿易を好転させることができるという説は、実は、かなりまともな経済学者によっても唱えられてきた。それは「大国であるアメリカが関税をかければ、その製品は世界市場で価格が下落するので、アメリカの貿易は好転する」というものである。この説は有力で、本格的な批判は1936年にアバ・ラーナーという経済学者が「関税をかけることによって価格が上昇してアメリカにとって不利になる可能性がある」と述べたことから、この批判は「ラーナーの逆説」と呼ばれている。ということは、このころは関税はアメリカを利するとされていたわけだ。

こういうと「そんなはずはない、いま有名なアメリカの経済学者たちのほとんどが、関税はアメリカの物価を上昇させると言っているではないか」と反論するだろう。たしかに、有名なノーベル経済学賞受賞者ポール・クルーグマン(彼の専門は国際経済である)なども、「トランプ関税はアメリカが損をする馬鹿げた政策だ」と断じてやまない。しかし、ラーナーの逆説は当時「逆説」と呼ばれたように、アメリカが関税をかけることはおかしなことでも何でもなかった。なぜならアメリカは世界でも知られた高関税の国だったからである。

世界中に混乱をまき散らして、米国にも損害を与えている


ただし、アメリカが自国に利益をもたらす関税をかけることができるのは、あくまで「大国」であるからで、いまの経済学の教科書にも貿易にかかわる問題で「大国」か「小国」かの違いによって結果がまったく逆になることは記述されている。関税においても、世界における対象となる製品に対する購入量が圧倒的であれば(価格支配力があれば)、アメリカの関税が世界市場で価格下落を生み出すことによって、アメリカは最終的に大きな利益とトランプの満足を得られるかもしれない。(ちなみに、小国が関税を掛ける場合は自国の産業を保護するためが多く、それも他のファクターをかなり犠牲にし、当面の利益を捨ててのことである。)

ただし、この価格の下落がこんどはアメリカにとって損をする可能性もあることも考えておかねばならない。大国であるアメリカがある製品に対して、インパクトのある関税をかけることで、市場がオーバーシュート(過剰反応)してしまい、過度にその製品価格が下落してしまうケースがある。この場合にはアメリカ国内で作られる同等の製品より、輸入品が関税を課した価格より安くなってしまい、アメリカ産業に損害を与えることはありうる。これは論文(1949)を書いたロイド・メッツラーの名から「メッツラーの逆説」と呼ばれる。

突然トランプ関税が登場したが、昔の米国よりは低関税だ

 

したがって、アメリカが関税をかけたら即アメリカの損というのは短絡であるけれども、おそらくアメリカの経済学者のおおくは、さまざま場合分けをしたうえで、その製品についての価格支配力を考慮し、トランプ関税はアメリカに損をもたらすと論じているのだろう(たぶん)。いっぽう、トランプの取り巻きである経済学者やエコノミストたちは、ちゃんとした場合分けをしないで、そのときの勢いで「トランプ様の言う通りです」と持ち上げてしまい、いまのような世界に混乱をもたらす愚案を、実行に移してしまったのに違いない(たぶん)。

最後に、前出のクルーグマンが8月7日にnpr(ナショナル・パブリック・ラジオ)でのインタビューで語った概要を紹介しておこう。クルーグマンは「関税は基本的に選択的売上税であって、トランプが何といおうと輸入国の国民が払う」と繰り返し強調している。そして、注目すべきことは「この(ヨーロッパや日本との)合意というものは、トランプが空想の産物にすぎない」と断じていることだ。つまり、何かアメリカにいいことがあるようにトランプは語っているが、それはほとんど現実化されないということだ。そして、もうひとつ注目すべきことは、この関税が生み出す(インフレと不況が同時進行する)スタグフレーションについて、次のように述べている点だろう。


「おそらくスタグフレーションが起こっても、それは軽傷ですむでしょう。合理的な数字から見て、インフレ率は4%に近づく可能性があります。したがって、経済は間違いなく減速に向かっているのですが、実際に景気後退(2期連続のマイナス成長)になるかどうかは定かでないのですが、それほど深刻な状況になるとは思えない。ただし、選択的売上税である関税は、収入が上位1%の人たちより、下位30%から40%の層にはるかに思い負担になる。つまり低所得者層向けの製品がより大きな打撃を受けることになると思います」

ちょっと甘い気がするが、これがアメリカ経済についての判断だということを忘れるべきではないだろう。そしてすでに、英経済誌ジ・エコノミストが指摘するように、住宅ローンの金利があがって、長く続いたアメリカの住宅ブームも終わりつつある。いっぽうアメリカにターゲットにされ翻弄された国は、トヨタなどがすでに発表しているように、かなりの被害を受けることになるだろう。いずれにせよ、トランプ関税については、それぞれの製品について、さまざまな場合分けを十分に行って決めた貿易政策だとは、とても信じられるものではない。トランプと取り巻きたちが多少とも考えていれば、世界の経済に不安定感が急激に広がり、東欧や中東でますます戦火が燃え上がっているはずがない。もちろん政治は結果が大事なので、8月、9月のインフレ率と世界の貿易を注視し、繰り返し検証してみるべきだろう。