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東谷暁による「事件」に対する解釈論

新しい中東が生まれつつあると言えない理由;スティーヴン・ウォルト教授の「深い憂慮」

この数年の間にいくつもの戦争が行われた中東は、はたしていま新しい時代を迎えていると言えるのだろうか。国際政治学者スティーヴン・ウォルトは多くの事件があったことは確かだが、その根底的状況は変わっていないという。ウォルトは出世作である『同盟の起源』を、緻密な中東情勢の分析を基に書きあげた。そのウォルトがこの地域については「変われば変わるほど、何も変わらない」という警句が当てはまるというのだ。ウォルトが見てきた中東の「変化と不変」を読み取ってみよう。

 

ハーバード大学教授のスティーヴン・ウォルトは、米外交誌フォーリン・ポリシー電子版7月26日付に「新しい中東を見れば、古い中東が見えてくる」を投稿している。リードの「この地域のすべてが変化してきたが、何も違いは生まれていない」に明らかなように、中東政治の専門家でもあるウォルトからすると、この数年の変化は多かったが、基本的な構造は変わっていないと言うわけである。

確かにこの数年の事件は大きなものが多くあった。たとえばイスラエルとの抗争によってハマスヒズボライラク反攻勢力、アサド政権、フーシなど、中東の「反乱の枢軸」といわれた秩序壊乱諸勢力が後退した。また、エジプトやイラクなどのかつての勢力の中心が、サウジアラビアアラビア海沿岸の豊かな産油国へと移行した。さらに、ロシアが維持していたこの地域における存在感が、関係が深かったシリヤのアサド政権が崩壊し、同国がウクライナ戦争を始めることですっかり薄くなった。そして、アメリカの存在感が再び大きくなっている。


そのいっぽうでは次々と新しく見える事態が出来している。まず、イスラエルガザ地区に対する暴虐ぶりによって、アメリカの政党および世界全体にイスラエルに対する政治的支援を疑わせることになった。「ニューパブリック」の調査によれば、アメリカ国民の60%がイスラエルのガザ侵攻を支持していないし、ある世論調査でも53%がイスラエルに良い印象をもっていない。また別の世論調査によれば、24カ国のうち20カ国がイスラエルに悪い印象を抱くようになっている。

「こうした現実を踏まえれば、いま中東という地域に潜在的な新しい変化の兆しが見えていると信じる人がいることを理解できるかもしれない。たしかに、いくつかの重要な要素が変化していることについては、私も疑いを持たない。しかし、それでは『新しい中東』が生まれようとしているかとなれば、私はそうとは思えないのである」

foregn politicsより;テルアビブ市内に掲げられたトランプとの関係を誇示する看板


ウォルトが新しい中東に懐疑的になる理由として、まず、中東地域はあいかわらず無秩序的であり、いくつもの極が並立しており、そして秩序を打ち立てることができる支配的あるいはヘゲモニックな勢力が存在していないことがあげられる。そして、アメリカがいまもここに居座っていることも大きいという。アメリカの指導者たちはこれまでも中東からアジアに戦略的な軸足を移行させようとしてきたが、そのたびごとに中東で何かが起こり、移行の試みはほとんど達成することができないでいる。

そして何よりも不幸なことに、こうした無秩序こそ、イスラム過激派がくり返し登場する、またとない条件となっているのだとウォルトは述べている。「わたしたちがこの数年の間に起こった事件に対して、新しいテロリズムが生じなかったとすれば、それはちょっとした奇跡といえるだろう」。そしてまた、イスラエルには圧倒的にイスラムの人口が多いこの地域に秩序を打ち立てるパワーも信頼もない。ウォルトにいわせれば「ここにこそ中東が根本的に変化しない理由がある」ことになるのである。


したがって、パレスチナ問題についても、いまや政治的解決に近づいているなどということはできないし、他の問題についても同じような惨状にあるといえる。たとえば、2023年以来すでにガザ地区ヨルダン川西岸地域では6万人を超える死者がでているが、いまでも同じくらいの数のパレスチナ人とユダヤ人が、これらの地域にイスラエルに支配されて住んでいる。そして、パレスチナ人には政治的権利もなく、発言力もなく、彼らの国家を設立する見通しも立っていない。

「ということは、実は、結局のところ、中東は深層にいたるまで、バラバラの政治集団に別れたままなのだ。そこでは勢力のある政治勢力が他の集団を支配しつづけ、他の集団の権利も、発言もすべて否定し、彼らの存在自体を認める気持ちも持ち合わせていない」。このような状態が続くかぎり、「新しい」中東と言われるものは「古い」中東と何ら変わりがない。「このことをしっかりと心に刻んで、ある歌の一節『騙されてはならない』を口ずさむだけしかないのである」。


ウォルトの論旨からは少し離れるが、中東地域がなぜ近代化において遅れをとっているのかという問題はさまざまに論じられてきた。冷戦時代はアメリカとソ連とが、戦略上この地域の近代化をわざと遅らせてきたとの説があった。また『イスラム社会』を書いた文化人類学者のゲルナーは、中東においては改革が伝統的価値への回帰とされるために近代化に結びつかないとの説を展開した。さらに、人口学者のトッドによれば女性の識字率が問題で、これが高くなれば近代化へと進むはずだとしている。加えてイスラム教が現実の生活に食い込んでいることが、いわゆる近代化を阻止しているとの見方は有力である。

ウォルトに戻ろう。このウォルトの論文には、もちろん積極的な解決策が提示されていないわけではない。ただし、それは中東が「新しく」なるための条件が整っていなければ不可能なのだ。「安定した地域的秩序が成立するには実際の勢力と権威との間にバランスがなければならない。そして権威が成立するには、正義、公正、そして政治的権利が与えられていなければならない」。パレスチナ問題ひとつ取っても、ウォルトの憂慮は大きい。