石破首相が辞任を決めたとのニュースが流れている。私は衆院選に打って出るべきだと思っていたので正直いって失望した。いまや自民党は再び大きな危機を迎えている。ここで「再び」というのは、最近の混乱の話ではなく1993年にあった自民党分裂以来だという意味である。このとき野党が提出した宮沢内閣不信任案に対して、羽田・小沢派など自民党議員39名が賛成し、宮沢内閣は衆議院を解散。不信任には反対した武村正義のグループが新党さきがけを結成し、自民党に残るといっていた羽田・小沢派が新生党を結成して選挙に臨むことになった。どうしてこの分裂を思い出したのかは次に簡単に述べてある。

この分裂以前に起こった事件で大きかったのは1989年のリクルート事件で、85年に田中派を簒奪したかたちとなった竹下登の経世会(結成は87年)が、自民党の中で圧倒的な勢力を振るっていたが、この事件によって竹下内閣は崩壊した。成立した宮沢喜一内閣は自民党内では少数派閥で、経世会によって支持され存続していたが、93年に不信任案が可決され、衆院選挙に打って出ることになったわけである。
すでに述べたように、このとき羽田・小沢派(中心になっていたのはもちろん小沢)が自民党を割って新生党を結成したため、田中角栄の木曜クラブ(72年結成)から数えれば20年以上自民党を仕切ってきた巨大派閥が後退し、それ以降、1996年に橋本龍太郎政権が成立するまで、自民党が中心の政権は作れなかった。

その後、経世会の小渕恵三政権が引き継ぐが、2000年に突如病で倒れ、森喜朗が当時の自民党重鎮による密会で自民党総裁・首相についてからは、旧福田派の清和会が圧倒的な議員数を誇って自民党を牛耳ってきた。その後、麻生太郎政権も成立したが、短期で支持率が著しく低く、民主党に政権を奪われた後に、12年継続したのも清和会の安倍晋三総裁時代だった。
政党政治ではよくあることなのだが、長期政権が続いた後の混乱というのは、有力派閥の後退を生み出す。それは田中派系の経世会の支配が続いた後、自民党の分裂を生み出して結局は政権を失う事態となり、別の派閥の台頭を呼び寄せることになったことにもよく現れている。いま起こっている自民党の内紛も、安倍長期政権を含む清和会の長期支配の後にやってきた混乱と見ることができ、少数与党となった今の自民党の混乱と危機も、こうした新しい時代に向けての胎動と見られないこともないわけである。

いまの自民党は政権を担う政権党としての活力と躍動感を失っている。もちろん野党のほうは衰退と停滞感に覆われているので、彼らのなかから政権を担う勢力が生まれるとは考えられない。自民党は1955年に結成されてから宮沢内閣で政権を失うまで延々と日本の政治を担ってきた。世界の先進諸国からすればまるで長期独裁政党に見えたわけだが、その円熟期となった80年代の研究では、党内の派閥が野党の役割を演じることで、「政権交代」と「民主主義」を維持したと指摘されることは少なくなかった。
では、これから自民党はどうあるべきなのか。私は、自民党は分裂したほうがいいと思っている。旧安倍派の議員のなかには、それはトンデモないことで、野党が全部なくなっても、80年代のように派閥的民主主義でやっていけると主張している人もいる。しかし、現実は逆なのであって、旧安倍派がいま石破政権の命脈を断とうとしているのは、実は、そうすればかつての旧安倍派の支配が復活すると信じているからなのだ。だが、これはもうあり得ない。安倍長期政権によって活力と躍動感を使いつくし、いまや弊害だけが目立つ傲慢人間集団になってしまっている。

したがって、石破政権が素晴らしいというのではないが、私は、石破首相は「前倒し総裁選挙」を回避できなくなったら、強い決断によって衆院選挙に打って出たほうがいいと思っていた。このことで自民党はさらなる敗北を喫すかもしれない。しかし、そのことで自民党は急速に分裂への道を歩むことになるだろう。旧安倍派は参政党や日本維新の会との連携を試みて保守政党になるとよい。そして石破首相は引退することになったら、残りの旧派閥は立憲民主を併合して穏健リベラル政党を形成していけばいい。自民党が分裂することで野党を再編し、活力ある日本の政治を創りだすのである。
当面の可能性としては穏健リベラル政党のほうが政権を獲得する可能性が高いと思うが、保守政党のほうも単なるマッチョイズムや右翼的顕示性を克服すれば、もっと広範な選挙民の支持を得られるチャンスはあると思う。それこそが1990年代初頭に行われた政治改革の目指すものであったはずだが、このときの政治再編構想の甘さもあって、いつのまにか自民党だけが政権党として存続し、そしてその自民党もまったく活力と躍動感を失ってしまった。

もちろん、ここで考えなくてはならないのは、小沢一郎という1990年代の「狂言回し」のような政治家が存在したが、これからの政局を動かすのが小沢一郎タイプで本当によいのかという問題である。小沢は1980年代までの自民党および日本政治を「破壊」することには十分に力を発揮した。しかし、自民党を圧倒する民主党を牽引するところまで行きながら、その政治哲学の不安定さとご都合主義ゆえに、新しい政治の枠組みを「形成」「創造」することはできなかった。
自民党を分裂させるころは「米国のグランドキャニオンには柵はない」の「自己責任」を主張していたのに、民主党を牛耳っているころには「コンクリートから人間へ」の「ヒューマニズム政治」に変わってしまっていた。これが苦闘する政治家としての成長ならば称賛すべきかもしれないが、実際にはそのときどきの破壊行為の結果として、いつの間にかまったく対照的なスタンスに押し流れていってしまったにすぎない。

もし、石破首相が衆議院選に打って出ていれば、その結果にかかわらず、いやでも政界は混乱から再編に突入しただろう。石破首相は辞任してしまうようだが、いずれは政界混乱とその先の再編に辿り着かざるを得ない。それならば石破首相への好悪は別にして、ここで国民の政治に対する強い関心を覚醒させるためにも、衆院選に打って出ることが将来的にはよい結果を生むと思えたのである。
大きな問題は、誰がその変動の中心となるかであった。果たしてそんな政治家がいるのだろうか。本当に力のある政治家が勝ち抜くことができるのだろうか。しかし、政治においては常に危機が人物を生み出すのであって、危機に対応する人物が前もって存在するのではない。これから始まる混乱のなかで、意外な人物が台頭するかもしれない。いまの日本の危機ならば明治の元勲レベルは必要なく、目の前の政治の混乱を収拾できればよい。とはいえ、いまの自民党の危機のレベルは、少なくとも現状維持を超えるリスクに耐える人物を、必要としているように思われる。