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東谷暁による「事件」に対する解釈論

AIバブルはバブルではないとの説がある;ただし間違っていたときの崩壊はさらに巨大なものになる

AIバブルが崩壊するといわれて、もう数年がすぎた。多くのデータがAIへの過剰投資と過剰期待を指摘しているのに、いまだに崩壊の兆が見えてこない。その理由として語られているのは、AIがこれまでのイノベーションとは質が違う、根本的な革命をもたらすからと言われるいっぽうで、たんにまだその時期が来ていないからで、ちょっとした切っ掛けで崩壊が始まるという指摘もある。前者の場合には人類には素晴らしい未来が待っているのだろうが、後者の場合にはこれまで以上の悲惨な不況が来るとの予想がなりたつ。

シュンペーターの関心のひとつが技術革新と景気循環の関係だった


経済誌ジ・エコノミスト11月10日付に掲載された「不況はたしかに希になったが、それが問題を蓄積している」は悲惨な未来を憂慮するもので、資本主義は周期的な不況のたびに強くなるという新自由主義的なニュアンスがないこともない。しかし、これまでの技術革新が理由とされたバブルがすべて崩壊したことを考えれば、いまなぜ崩壊しないかについて考えたうえで、崩壊したときの場合も考えておくのが妥当といえるだろう。

すでに「コモドンの空飛ぶ書斎」のほうに、経済ジャーナリストたちのレポートと考察は紹介しておいた。そこでのポイントは先進諸国の政府が崩壊のさいには補償を準備しているという神話が蔓延し、これまでのケースなら投資家の心理は、すでに変調をきたすのだが、救済があると思っているので、その制約を突破して投資が続いているということである。このジ・エコノミストの分析記事は、それではいったい今何が起こっているのか、いま考えておこうという趣旨のものといってよい。

長期的に見れば右上がりの経済成長が続いている


同誌によれば、世界経済は15年以上にわたって、コロナ禍対策のロックダウンによる縮小を除けば、同時不況に見舞われていないという。アメリカの労働者の3分の1は長期的な景気後退を経験したことがなく、2022年から2024年にかけての世界の実質成長率は平均で約3%、そして今年も約3%が見込まれている。「不況は莫大な人的損失をもたらすから、これは朗報だろう。しかし、落とし穴が存在している」。世界が不況を経験しない時期にはコストが高まり、そして崩壊が到来すると以前よりも悲惨なことになるのである。

これまでも経済学の歴史のなかで、不況は大きなテーマとなってきたが、たとえばヨーゼフ・シュンペーターは、経済が健全な状態を維持するには、時折、ある程度の景気後退が生じるほうがよいと示唆していた。シュンペーターは政治家が意図的に景気後退を起こせと言ったわけではないが、景気後退をすべて予防すべきだとは考えなかった。「不況は、わたしたちが抑制すべき単なる悪」ではなくて、それは「やらねばならないもの」なのである。

労働市場再配分はアメリカがEUの2倍になっている


こうした考えは別に特殊なものではなく、経済が過熱してバブルになるのは当然であって、その後の後退は社会に損害だけをもたらすのではなく、いくつかの利点をもっているとされることは少なくなかった。戦前日本の経済人のなかには、昭和金融恐慌が起こったさいに「だぶついていた市場がこれで締まる」とか、「拡大しすぎていた経済が調整されていく」といった意味のコメントを公然と述べる者もいた。同誌もこうした不況の見方をしている現代の経済学者たちの説をいくつか並べている。

たとえば、「不況によって時代遅れあるいは採算の取れない技術や製品が淘汰される可能性がある」という説に始まって、「不況期に誕生した企業は、より穏やかな時期に誕生した企業よりも業績が優れている」という指摘がある。さらに、「パンデミックの間、ヨーロッパは雇用を守ろうとしたが、アメリカは創造的破壊を奨励したので、アメリカの労働生産性が10%上昇した」という分析なども、不況はあったほうがいいという考え方を支持している。

先進国ではこの数年で家計からの投資が急激に伸びている


ここらへんまでは、ジ・エコノミストの記事はかなり新自由主義的な傾向を示しているような気がしないでもない。ところが、同記事は「シュンペーターの指摘は、少なくとも正しいのかもしれない。しかし、不況がこうした生産性を向上させるような創造的破壊をもたらさないこともある」と指摘して、その代表例として日本の1990年代の不況をあげているのである。「もし、あの不況が起こらなかったら、日本経済はいまよりずっと好調だったろう」。

同記事はアメリカについても2007年から2008年の金融危機以降、再配分が急速に下落したことを述べ、さらに、それが以降も続いたことを指摘している。同記事は触れていないが、日本の不動産バブル崩壊後のような低迷を続けている中国経済の惨状を加えておいてもよいだろう。シュンペーターが見たような、かつての定期的な(比較的小さな)不況が起きたことで、経済が加速できるような状況はなくなったかもしれないが、いまや巨大な不況が生じてしまい、その後の経済を低迷させてしまう危険が高まっているように見える。

小さな政府というのは幻想で、米国もますます巨大化している


「いまや先進国においては、それまでに比べて政府が、さらに経済の安定化に踏み込むようになっている。問題の兆候が少しでも見られると、政府は財布のひもを緩め、『国民皆の救済』と叫ぶ政治的解決に至った。政治家たちは『戦略的に重要な問題』を抱えた企業に、迅速に支援を申し出るようになっている。そして介入を行った後、その支援をやめるのはきわめて遅い。今日、経済は堅調といってよいのに、財政赤字は依然として巨額である」

ジ・エコノミストはこうした問題を、「金融リスク」「財政リスク」「配分リスク」の3つに分けて詳述しているが、要するにいまの先進国の経済はちょっとした危機でも、ためらうことなく政治家たちが騒ぎ出し、結局、政府は細かに支援するようになっている。そして、これも同誌は述べていないことだが、流行の経済学というものが、そうした支援を加速できるような理屈づくりに邁進している印象さえあるほどだ。

「世界経済は驚くほど長い期間にわたり、長期的な景気後退を回避してきた。しかし、経済安定化政策の成功そのものが経済の脆弱性を生み出している。政府が本当に景気後退を阻止しようと決意するならば、経済成長に不可欠な企業や雇用の継続的な入れ替えを許容する決意も同じく必要なのではないのか。さもなければ、システムはますます成果の少ない安定状態を維持するために、ますます多くの財政支援を必要とすることになるだろう。その結果は、よくても停滞に陥ることであり、悪くすれば膨大な金融・財政・配分リスクを抱えることになるはずである」

バブルはほんの一刺しで破裂するかもしれない


こうした懐疑的見解を否定するには、これまで流行し声高に主張された財政支出無限説ではまったく説得力がない。それどころか、実は、財政にはインフレ以外の何の制約もないと唱えることで、結果的には1990年の再来を招くだけであり、同じように2008年への道を歩むだけなのではないのか。両方とも、本当はバブルを正当化する理論など信じていなかった人たちが、そのときのブームに乗って走り続け、ついには降りられなくなっただけなのである。

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