イラン戦争はあきらかに泥沼化してしまった。果てしない沙漠化といってもよい。トランプ大統領とネタニヤフ首相の利害が異なることは最初から分かっていたのに、なぜこうなったのか。その理由についても多くの指摘があるが、いちばん大きかったのはトランプの幼児的万能感による安易な判断だといえる。そして同じくらい大きいのが、トランプの取り巻きたちのお追従的な助言だった。ハーバード大学教授のスティーヴン・ウォルトは、これからさらに出てくる彼らの「5つの言い逃れ」について、前もって釘を刺している。

スティーヴン・ウォルト教授がイラン戦争の責任をただす
米外交誌フォーリン・ポリシー6月9日付で投稿されたウォルトの「劣悪な助言に対する責任を回避する方法」は、もちろん皮肉を込めたタイトルで、イラン戦争についての失敗を回避するために行われる、卑怯で愚劣な「5つの言い逃れ」を列挙している。これは前回の「トランプはもはや自分が間違っていたことを認めるべきだ」(5月28日:このブログで紹介済み)の続編で、決断をした本人がまず間違いを認めるべきだが、助言者たちも率先してそうすべきであるのは言うまでもない。
ウォルト自身も多くの助言を行ってきたが、「間違いが証明されたときの最も正しい対応は、間違いを率直に認めてそこから学ぼうとすることだ。私自身もそうしようと試みてきたが、その率直さと正しさの判断は読者に任せたい」と述べている。わたし(東谷)の判断ではいまも留保していることもあるが、ウォルトは自身が述べているように、かなりの度合いで間違いを認めて教訓を得ようとしているように思う。そのいっぽう、トランプの助言者、および親密な評論家や政治アナリストは、かなりの度合いで責任回避の方法を恥じることなく使ってきたし、これからも使うだろう。ウォルトに言わせるとそれは5つに集約できる。

ルビオ国務長官はイラン爆撃に積極的だった
1)「私のせいではない。私は騙されたのだ」 ミスを犯してそれを認めたくない場合、他人が提供した誤った情報のせいにするのは常套手段である。「典型的だったのがイラク侵攻を支持した理由を、イラクが大量破壊兵器を多数保有しており、核兵器開発に積極的に取り組んでいるといった誤情報に基づいていたと弁解した人たちである。しかし、この弁明はたいがい不誠実といえる。なぜなら、イラクにかんする戦前の情報じたいが、戦争を正当化するために捏造されているという証拠がかなりあったからだ」。
2)「私の素晴らしい計画は正しく実行されなかった」 責任逃れのもうひとつのよくある方法は、自分の提言は正しかったのに、助言を受けた責任者がそれを適切に実行できなかったと主張することである。「この種の言い訳には長い歴史があり、ジョン・F・ケネディの『勝利には千人の父がいるが、敗北はつねに孤児だ』という嘆きの言葉によくあらわれている。実際、ほとんどの敗北の後にはスケープゴート探しが続き、戦争を支持してしまった人びとは、より賢明な指揮官、異なる戦術、あるいは運などについて論じるのである」。

3)「歴史は私の正しさを証明するだろう」 これなど言いっぱなしで歴史のなかに埋没してしまうのがほとんどである。つまり、証明されないどころか、間違いだったことが当然として受け止められ、誰も振りかえられないことになるのだ。「しかし、こうした弁解に人気があるのは、反証がきわめて難しいからである。たとえば、現在のイランの状況が(まったく異なる理由で)アメリカにとって好転したとしても、現在の戦争を支持した人たちは自分の助言の正しさを主張できてしまうからだ」。
4)「私の考えは間違っていなかった。ただ、もっと必死に戦う必要があるだけだ」 戦争がうまくいかなかった場合でも、さらに強硬な姿勢をとってエスカレートさせれば勝っていたということは容易だろう。「これは、ウクライナ侵攻が失敗に終わった際にプーチンが口にしたセリフであり、今回のイランについてもブレッド・スティーブンスなどの強硬派コラムニストが唱えている主張でもある」。この類の主張は経済政策における大胆な新説を繰り返す人びとに頻繁にみられるもので、すでに日本人の多くは飽き飽きしている。

5)「決して文句を言うな。決して説明するな。決して口にするな」 これはもう弁明というものではなく、権力者が失敗は明らかなのに認めたくないときにがなり立てる言葉である。「しかし、現代社会では人びとの記憶力が短いことを考えると、集団健忘症に頼ることで、過ちを犯しやすい評論家や元政府高官は、たとえ自分たちの発言がどんな結果をもたらしたとしても、自分たちの立場を守り、そして影響力を維持できるのである」。これも日本の有力な政治家や評論家たちの常套手段であり、発言者が人気がある人である場合など、その人の間違いが明らかでも賛同者が現れるので、深刻には受け止められないケースすらある。最後にウォルツは言っている。
「私は、いまの多様な意見を自由に発表できる活発な『思想の市場』は、多くの欠陥があるものの、依然として強制された思想統制制度よりも優れていると信じている。そのため、私は様々な人びとが外交政策について真剣に考え、それぞれの考えを提示してくれることを望んでいる。意見を長期的に評価し、誰が正確で有益な助言を提供し、誰が事態を悪化させる傾向があるかを見極めることができれば、このプロセスはより効果的になるだろう」