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東谷暁による「事件」に対する解釈論

圧倒的なアメリカ核優位は不可能だ;スティーヴン・ウォルト教授が「核戦略」について語る

日本であまり盛んでないもののひとつに、核兵器の理論的な議論がある。そんなことはない、日本の保守派はしばしば核兵器を保有すれば、日本も世界の有力国の仲間入りができると主張しているではないかという人もいるだろう。しかし、その場合でもきわめて限られた人たちの、かなり単純化された議論が「世界の常識」として流通し、アメリカで核理論を学んできたと称する人物が、異なる相手ごとに異なる主張をして恥じないといった状況が続いている。たとえば日本が1個でも原爆をもてば、あるいは1基でも核ミサイルをもてば中国には核攻撃されないといった夢のような話が、まことしやかに論じられていたりするのである。


ハーバード大学教授のステーヴン・ウォルトは米外交誌フォーリン・ポリシー6月25日付に「核優位を追求することは意味がない」を投稿して、ひさしぶりに核戦略について論じている。その中心的な論点は、アメリカが圧倒的な核武装をすれば、先制攻撃だけで敵を黙らせることができるという「核優位」の議論が盛んになっているが、それは間違っているだけでなく、きわめて危険な傾向であり、しかも税金の無駄遣いだというのである。

これまでのスタンダードな核理論について多少とも知識がなければ、この「核優位」の議論が間違っているかどうかも分からず、ましてやその議論が世界の軍事にとって危険だという指摘も分からないことになるだろう。そこでウォルトの議論の紹介をするにあたって、まず、ウォルトがスタンダードな議論と考えているものを紹介しながら、日本でアメリカの核理論だとして広まっているものとの相違に触れ、そのうえでウォルトが危険だといっているのは何故なのかについて見てゆきたい。


まず、これまで大国の核武装に対して中位国の核武装が有効だとされる場合、大国あるいは他の核保有国が核による先制攻撃(第一撃)を行ったとしても、核攻撃を受けた国に第二撃によって報復する能力が残っていれば、それほど安易に核保有国は他の核保有国に核攻撃できないというものだった。先制攻撃した側がたとえ攻撃を受ける国の大都市をターゲットにしていても、第二撃が同等あるいはそれ以上の規模の大きな都市を壊滅させる能力があるならば、核抑止が働くということになる。

この議論は、初めドゴール時代のフランスで盛んにおこなわれ、ピエール・ガロアやアンドレ・ボーフルなどによって理論化された。このさいにも当時のソ連とアメリカの核競争を前提とし、フランスのような西側の中位国が核武装をすると、アメリカの負担が軽くなるという議論を盛り込んで、アメリカを納得させようとしている。この中位国の核武装理論は、1970年代にアメリカのネオリアリストであるケネス・ウォルツによって精密な理論に高められたというのが、日本にアメリカの核理論を紹介した人たちの解説である。


しかし、ここで注意しておかねばならないのは、中位国として核武装するさい、それが十分に有効であるためには、たとえ核による先制攻撃を受けても、同じ程度あるいはそれ以上の損害を与える核による第二撃の能力が残っていることである。こうした条件を満たさないレベルの核武装をしても、先制攻撃をする側の核武装国に対して抑止は生まれない。ここで誤解してはならない論点は、有効な第二撃の能力を維持するためには、最初から数量的にある程度のレベルに達していなければならないことである。通俗的談義のように一発の原爆や一基のミサイルでは(あるいは数発や数基でも同じことだろう)、それは達成されないだけでなく、むしろ他国に核攻撃の根拠を与えるだけに終わる危険が生じるだけなのだ。

そしてもうひとつ、すでに嫌になるほど議論されてきたことだが、核保有が分散したほうがよいというウォルツの議論は、かなり抽象的な議論であって、現実問題としては果たして核均衡が生まれて危険度が下がるのか、それとも核拡散だけにおわって危険度が上昇するのかは議論が分かれる。ただし、これはしばしば無視されることだが、ウォルツは核の拡散は「ゆっくり」進まなければならないと述べている。このゆっくりの度合いは語っていないが、核均衡はたとえあったとしても長期的なものなのである。

先制攻撃の後も報復の第二撃を発射してそれが敵に「耐えられないほどの」被害を与えられるかは、すでに1950年代にランド研究所のアルバート・ウォルステッタ―が議論していて、彼は「恐怖の均衡」が核戦争エスカレートするのを抑止することはなく、この均衡はきわめて「こわれやすいもの」であることを指摘して衝撃をあたえた。冷戦期にはこの考え方が米ソの核競争を促し、「相互確証破壊(MAD)」の理論となるのだが、これも誤解が多い。ジョンソン政権のマクナマラ国防長官たちのMADの力点は、第二撃の有効性を論じるよりも、むしろ僅かな数の核兵器の保有では相互確証破壊は生まれないことにあった。1980年代後半にいたっても、英国生まれで米国籍もあった戦略家コリン・グレイが、実戦上の措置として、ともかくアメリカに核武装の増強を勧めた。ソ連の出方が具体レベルで予想困難だったという要素もあったためと思われる。


また、前出のウォルツの核均衡の議論についても、シカゴ大学教授のミアシャイマーはウォルツのネオリアリズムを評価しながらも、しばしばみられる数学的均衡への傾斜を注記のなかで、市場均衡を説く経済学者ミルトン・フリードマンと並べて批判した。さらに、ウォルツへの強い敬意をもつウォルトすらも、たとえばイランの核保有が核拡散のきっかけとなり、それが核均衡を生み出していくかについては「やってみたくない実験」と述べたことがある(このブログで紹介したことがある)。

今回、ウォルトが論じているのは、核拡散が核均衡を生み出すといった話ではなく、「核攻撃を仕掛けたり、核兵器によって独立を脅かしたりするのを阻止するために必要なのが、いまのところ比較的少数の核兵器によって報復する能力を保持すること」であることを改めて確認することだ。ここでも「比較的少数」という表現は微妙であって、第二撃のさいの報復が耐えられないレベルの破壊をもたらす能力を維持しなければならないことは言うまでもない。そのいっぽうで、「核兵器の性質上、ある程度の能力をもつ敵対国にたいして、完全な優位を達成することはきわめて困難である」ことを再認識すべきだというのである。そしてその認識が、無理に完璧な先制攻撃を計画するさいに投入される膨大な費用を回避する。これはアメリカの経済の問題でもあるわけだ。

「近年、一部の学者は、核能力に優れた国家は、危機において優位に立つ可能性が高いと主張しているが、これらの研究は深刻な概念的・方法論的問題を抱えており、政策の根拠として採用すべきでないだろう。そもそも、核の優位性がそれほど強力な強制力を持っているのなら、なぜロシアは核兵器をちらつかせることで、ウクライナにドンバスを明け渡させることができないのだろう。またなぜアメリカは、核兵器使用の脅威をもちいて、イランに自国の意思を押し付けることができなかったのだろうか」


ここで取り上げている近年の「核優位理論」の一例は、レファレンスのかたちではあるがジョージタウン大学のマシュー・クレニグが刊行した『アメリカの核戦略の論理:なぜ戦略優位が大事なのか』なのだが、この著作はまさに「核優位」のためにアメリカの世界における核戦略上の支配力を増さないかぎり、中国やロシアの野望はやまないという論旨のもので、ある意味で野放図な軍事予算を正当化する新しいMADである。

「しかし、そうした議論にとっては残念ながら、アメリカが信頼できる先制攻撃能力をすでに保有している、あるいは保有できる見込みがあるという主張は疑わしい。むしろ危険だとすら言えるだろう。たとえば他国の核兵器庫への大規模攻撃(ロシアの場合は、数百の標的をほぼ同時に攻撃する必要がある)が、事前のリハーサルもなく、敵に気づかれずに、初めての試みで成功することが想定されている。複雑な軍事作戦に精通している者なら誰でも、成功の可能性がいかに低いか分かっている」

 

【Xでアクセスしたかたへのお詫び】Xでのイントロに「それはイラク戦争でのアメリカの戦略に影響していたかもしれない」とありますが、イラク戦争ではなくイラン戦争です。