いまや東京オリンピックは「たけなわ」といってよいが、同時にコロナ対策で惚け顔の菅首相を報道で見るのは、しらけるとは言わないものの、まことにもって残念というべきだろう。しかし、ここまで強引にオリンピックをやって、さらなる感染におののきながら都民が暮らす東京にとって、いったいどれくらいのメリットがあるのだろうか。
日本の協賛型マスコミはそこらへんを伝えてくれないが、海外のシニックな報道機関はすでに、その結果を予測している。ここでは英経済誌ジ・エコノミスト7月22日号の「オリンピックって主催都市には損じゃないの?」という記事を中心に、米経済紙ウォールストリート・ジャーナルの「東京五輪の信じられない値段と歴史上の位置づけ」などで補足しつつ、どれくらいの費用がかかり、そしてどれくらい儲かる(損する)のかを見てみよう。
まず、概要からいうと、2013年時点での予算は75億ドルという話だったが、2019年までにはこれが126億ドルに跳ね上がっていた。日本政府の会計検査院も「実際のコストは2倍になることを認めている」という。もちろん、これにコロナ対策費が加算されるが、それが28億ドルというのが、ジ・エコノミスト誌の報道である。
ウォールストリート紙によれば、「東京五輪は、史上最高の費用がかかる大会になることが確実視されている」とのことで、126億ドル+28億ドル=154億ドルという予測金額は、これまでの最高額だったロンドン五輪をすでに110億4000万ドル上回った。「コンパクトな大会にする」という話はどうなったなどと、いまさら言うほうがバカだろう。
これに対して、どれくらいのリターンがあるのかといえば、2017年の試算では「十分に費用を賄うことができる」ことになっていた。まず、オリンピック用のインフラを建設することで1270億ドルの追加需要が見込め、大会が始まれば試合会場での消費(チケット、食べ物、飲み物など)が生まれることになっていた(この数値は、もちろん開催都市の会計に売上としてそのまま入るわけではない)。
しかも、無理なインフラ建設にはつきものの、「他の事業を停止させてしまう」という弊害があり、試合会場での消費は無観客開催が決まったことで、「ほとんど期待できなくなった」。ウォールストリート紙によれば、チケット代の約8億ドルが消えたという。こうした収入の皮算用では「最初から漠然とした過大評価」が横行していたが、コロナ禍によって、最終的に息の根を止められたかたちとなっているというわけである。
そもそも、オリンピックというものが、開催都市にとって儲かるようにできていると思うほうがおかしいことは、これまでの様々な調査研究が示してきた。2016年にアメリカで発表されたヴィクター・マセソンたちの学術論文によれば、「ほとんどの場合において、オリンピックは開催都市にとってゼニ失い」以外のなにものでもないのだ。
また、2020年のオックスフォード大学で試みられたベント・フライヨルグたちの研究によれば、コスト超過は平均して172%におよぶという。たとえば、80億ドルかかるとされていたオリンピックが120億ドルだったら、それはコスト超過50%ということになるから、この172%がいかに大きなものか分かるだろう。ウォールストリート紙によれば、モントリオール五輪などは、この数値がなんと720%で、同市は返済に3年かかったという。つまり、東京オリンピックにしても、最初から持ち出しになることは、ほとんど分かっていたことになる。
では、なんでオリンピックを招致などしたのだろうか。これは簡単な話で、開催すれば東京都は大損しても、一部の企業や人間たちには大儲けになるからだ。インフラを引き受ける建設会社、人材派遣会社、その周辺の企業、大会開催で潤うさまざまな消費材供給会社、そして、権力を行使できる政治家たちのフトコロなどである。すでに、「やめられないのは、オリンピックはヤクだから」との指摘を紹介しておいたが、これは何もOECDの「ぼったくり男爵」たちのことだけではないのだ。
こんな悪質な世界規模の「ぼったくりマシーン」を継続させていることに対しては、もう、昔から疑問視する人たちが多かった。これまでも、代替案はたくさんあったが、ここではジ・エコノミストの最後の部分だけを引用するにとどめる。「最近ではこんなスポーツ大会に名乗りを上げる都市はめっきり減っている。今回の東京の経験は、インフラ建設のお祭り騒ぎがもう必要でない先進国の場合、この傾向をますます加速させることになるだろう。オリンピックをやりたい都市は無くなるかもしれない」。