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東谷暁による「事件」に対する解釈論

プーチンは世界制覇を目指しているという説の危うさ;スティーヴン・ウォルト教授が論じる「ウクライナ戦争後のロシア」

プーチンは世界支配を目指しているという話ほど、根拠がないだけでなく危険なものもない。ロシアがウクライナに戦争を仕掛けたことは確かでも、ヨーロッパ支配の一段階だという説や世界全体を征服する野望の一端であるというのは、歴史的に見れば独裁的な人間や国家の野放図でご都合主義的な拡大解釈にすぎない。


今回もハーバード大学教授スティーヴン・ウォルトのエッセイを材料にして考えてみよう。外交誌フォーリン・ポリシー電子版4月2日付に掲載された「ロシアが次に何をするか、本当は誰も知らない」は、ウクライナ戦争だけでなく世界秩序と戦争についてのリアリストの見識を凝縮しているような論文である。

プーチンウクライナ戦争に勝ったらどうなるか。この問いに対しては世界中の多くの政治家や指揮者が「ロシアの征服はウクライナではとどまらない」と声高に述べている。アメリカのオースティン国防長官も、ペトレイアス元CIA長官も、ハートレー米外交官も、ストルテンブルグNATO事務総長も、多くのリベラル派マスコミも、そしてもちろんウクライナのゼレンスキー大統領も同じことを述べている。


しかし、ウォルトに言わせればそれこそが危険なのだ。「ウォルター・リップマンが述べたように『すべての人が同じように考えているとき、本当は誰もよく考えていない』のである。もちろん、ウクライナ戦争がロシアの勝利で終わった後でプーチンがどうするか、私は知らないし、知っているのはプーチンだけであり、プーチン自身もひょっとしたら知らないかもしれないのである」

ウォルト自身のウクライナについての考えは明快である。彼は「ウクライナへの支援は続けることが好ましいし、NATOのヨーロッパ諸国が通常兵力を組織して抑止力を発揮するのを見たいと思っている」。しかし、プーチンやロシアについて勝手なイメージを膨らませてロシア撃滅を叫ぶのは、これからの対ロシア政策においても、また、世界の政治においても有害だというのである。


例によってウォルトはポイントを4つ立てて、自らの考えを展開している。第一が「プーチンが無制限な野望を持っているという説は、部分的にはリベラル派のすべての独裁者は本来的に攻撃的であり、抑止することは難しいという説と似通っている。その論理は、『すべて独裁者は拡張主義である。プーチンは独裁者である。したがって、プーチンは拡張主義者である』という単純な三段論法でしかない」。

ウォルトが何を言いたいかといえば、ほとんどの三段論法に見られるように、そこには経験が含まれていない。つまり、多くの独裁者の実例を検討する以前に、最初の大前提で独断を入れてしまい、それが正しいと信じ込んでいる。ウォルトに言わせればナポレオンやヒトラーはこうした大前提に当てはまるが、毛沢東などはチベットを併合しただけであり、ビスマルクにいたってはドイツ統一を果たした後にむしろ現状維持に移行した。

第二は、「ロシアはいまウクライナでの戦争が終わった後に、次の戦争を始めるための準備をしていない。アメリカの情報機関によればすでにウクライナで30万人以上の死者および負傷者を出しており、数千の軍用車両を失い、何十もの軍艦や航空機を喪失している」。この状態で次の戦争を始めるのは、いまのロシアにとって物理的に無理だろうし、プーチンも新しい戦争などしたくないだろうと思うのが自然である。


第三は、「プーチンウクライナに戦争を仕掛けた理由が、ウクライナが西側に加わりNATOに入ることを阻止するためだったとすれば、平和条約のなかにそのことが明記されればプーチンは満足できるかもしれない」。そして、ウォルトはリアリストらしい観点を付け加えている。「国家が戦争をするのは、強欲からではなくて恐怖からなのであり、ロシアの恐怖が低下すれば、戦争へのインセンティブは低減する」。

第四は、「プーチンが際限のない攻撃性をもっていて、完全に撃滅しないと戦争を続けていくという主張は、戦争を終わらせようという努力の邪魔になり、ウクライナにとってもさらなるダメージをもたらすことになる」。そもそも、プーチンを完全に打破するというのは、いったい何を意味しているのだろうか。たとえば、ウクライナがすべての領土を回復するということを意味するのなら、たとえ好ましいとしても、いまやほとんど不可能ではないのかとウォルトは示唆している。


加えて、ウォルトは、自分が言いたいのは「私はプーチンが何をしようとしているのか知っている」とか「プーチンは慈悲深いから、現状維持に甘んじる」とか言いたいのではないとダメ押ししている。「そうではなくて、私はプーチンの意図をすべて知っているとか、単なる揣摩臆測に基づいて勝手な予測をすることに反対すると言いたいのである」。少なくとも今回に関して、何がプーチンを戦争へと駆り立てたかくらいは検討すべきだが、多くの議論はいきなり独裁者に対する誤ったイメージから出発するのである。

「我々はプーチンが何をするか分からないのだから、NATOのヨーロッパ諸国は防衛力を高め、さまざまな弱点を修正すべきだろう。そして、それと同時に、アメリカとNATOはロシアが自国の安全保障について考慮する正当性を認めるべきだろう(もちろん、それはすべての国家にとっても同様で、ロシアもまたその正当性をもっている)」


最後の部分は意外に思う人も多いかもしれない。あの野蛮や好戦国家に正当性などあるはずはないと憤る人もいることだろう。しかし、近代ヨーロッパにおける戦争は、まさに自国の安全保障の延長戦上にあり、それはすべての国家に認められているというのが共通の認識だった。それが大きく変わるのが、アメリカが主導した第一次世界大戦後のベルサイユ条約以後のことで、アメリカはこのとき「正戦論」を持ち込んだ。

つまり、戦争には正しい戦争があるという思想だったが、果たしてアメリカの戦争はすべて正しいと言えたかは、歴史を振り返れば明らかだろう。ウォルトのリアリストとしての戦争観念は、むしろ19世紀のヨーロッパに近いといえるかもしれない。この世界には「正戦」と呼ばれるものはないのであり、アメリカのリベラル派を中心に正戦論を前提とするからこそ、独裁者の単純なイメージが必要となり、そして単純な推論で間違うのである。