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東谷暁による「事件」に対する解釈論

核戦争を誘発する「ウクライナでの火遊び」;政治学者ミアシャイマーは警告する

ウクライナ戦争は南部での膠着状態のせいもあり、長期的な「千日手」に陥っていくのではないかとの予想が多くなっている。しかし、依然としてロシアが核兵器の使用にいたる危険があると警告しているのが、米政治学ミアシャイマーである。いったいどのような状況にいたれば、そうした事態が生まれるのだろうか。


2014年にロシアがクリミア併合を断行したとき、こうした事態に至ったのはアメリカを中心とする西側に大きな責任があると指摘し、ウクライナを「緩衝国家」にすべきだと主張して論争を巻き起こしたのが、ジョン・ミアシャイマーだった。今回のロシアによるウクライナ侵攻のさいにも、西側のNATO拡大を批判して核戦争の危険を指摘した。

こう述べると勘違いする人もいるだろうが、ミアシャイマーはロシア派だからNATO拡大に反対してきたわけではない。大国の論理を持つプーチンのロシアは、西側の国境が自国に接近し食い込んでくることに耐えられないので、戦争という手段に訴えてもそれを阻止するだろうと見ていた。そして、そのことは彼以前にも指摘されていたことだったのに、「幻想のような理想主義」でNATOを拡大した、アメリカの外交を批判したのである。

ミアシャイマーの議論は、すでにこのブログでも「ウクライナ危機の責任は西側にある;ジョン・ミアシャイマーの冷徹な分析」で紹介した。こんどは外交誌フォーリンアフェアーズ電子版8月17日付に「ウクライナでの火遊び」を寄稿して、長期的な千日手に入ったと思われているが、実は、核戦争の危険性は高まっていると指摘している。ここでは、その危険性が高まる条件に焦点をあてて紹介しておきたい。

同論文でミアシャイマーが強調しているのは、戦争が停滞しているのにロシア、ウクライナアメリカの戦争目標が現実的なものから乖離して、ますます高くなっていることだ。たとえば、ロシアはウクライナ侵攻の前までは停戦協定「ミンスク2」の履行を要求し、クリミアの併合とドンバス地方での自主選挙をいちおうの目標としていた。ところが、侵攻後は必ずしも思い通りの戦いをしたわけではないのに、新しい占領地域が増えたことから、いまやそうした部分における支配も主張するようになっている。

また、ウクライナはロシア軍との戦いのなかで「ロシア軍の国内からの撃退」を掲げることによって、ミンスク2以上の国土回復を主張せざるをえなくなっている。さらに、アメリカにいたっては新しいNATOの加盟国も生まれたこともあって、ウクライナ全土の保全を当然とするだけでなく、国防相の発言に見られるように「ロシアが再び他国を侵略できないレベルまで国力を低下させる」という目標を持つにいたっている。

こうなってしまうと、外交によってこの戦争の停戦をはかるというのは「はるか彼方」にいってしまったといってよい。それどころか、ロシアもウクライナも引くに引けないどころか、むしろ積極的な戦いに前のめりになっているのだ。そして、アメリカは、もしウクライナが壊滅の危機に瀕すれば、直接ロシアと戦うことも辞さない姿勢を見せるようになっている。そこでミアシャイマーが想定している、核戦争を触発する条件は次の3つの場合が考えられるという。


第一は、アメリカとNATOが直接ウクライナ戦争に参戦したときである。「ロシアのリーダーたちは、ロシアのサバイバルが危機に瀕していると考えて、この危機的状況から自国を救うために、核兵器を使うという強いインセンティブを持つようになるだろう」。それは以前から指摘されているように、ロシアという大国がもっている体質に根差しているのだ。

第二は、ウクライナが自らの力で戦場の膠着状態を大きく転換し、アメリカの直接の参戦なしに、ロシアを撃破したとき。ウクライナ軍がロシア軍を国内から追い払う事態となれば、「ロシアはまちがいなく核兵器による反撃を試みる」とミアシャイマーは述べている。

第三は、ウクライナでの戦争が長期の「千日手」にはまりこみ、そのため外交的手段も有効でなくなり、モスクワにとって戦費の負担がきわめて大きくなってしまった場合。「死に物狂いで自国に有利なかたちで戦争を終えようと思えば、プーチンは核使用というエスカレートも、かまわないと思うようになるかもしれない」。

こうした議論が成立するのは、いわゆる現実主義の国際政治学で前提とされている「理論」や「合理性」が、後退してしまうと考えたときだろう。したがって、しばしば自分はリアリストだと自称する人にも、核兵器を実際に使うということはあり得ないなどと論じることがあるのだ。

しかし、ミアシャイマーはリアリストの一人ではあるが、常に数学的論理のような合理性が、国際政治のなかで成立するという考えには明確に反対してきた(『大国の悲劇』の註のなかで、経済学者のフリードマンとともに、政治学者のウォルツにみられる「理論」については懐疑を呈している)。この論文のなかでも、戦争について次のように述べている。

「こうした核兵器については楽観主義がある。事実、従来の考え方をする論者は、ウクライナにおいてエスカレーションに陥る危険性については、多くの場合、低く見積もるのが普通である。しかし、そもそも、戦争というものには、それ自体のロジックが存在する。そしてその独自の論理が予想を困難にするのである」

国際政治学におけるリアリストの中には、こうした「戦争それ自体の論理」という考え方を排除したがる人は多い。ときには、クラウゼヴィッツを引用して「戦争は政治の延長」なんだから、あくまで合理的な判断が優先すると語る人もいる。しかし、戦争の歴史に通じた戦略家たちは「戦争は政治を超える」とか「戦略が政治に浸透する」などと述べて、ある局面では非合理といえる判断が優越する現象を認めてきた。いや、それが普通のことなのだ。

ミアシャイマーの憂慮は、いまのような状況のなかでは、正面から受け止められない危険がある。しかし、そのことを受け入れつつも、彼はこの論文を次のように締めくくっている。「壊滅的なエスカレーションだけは避けるように、両陣営の指導者たちが戦争をマネージすることを願うことはできよう。しかしながら、犠牲として差し出される数千万人にとって、状況は決して心地よいものではない」。

 

【追記:9月8日】

ワシントンポスト紙9月7日付は「ウクライナ軍のトップは『限定的』核戦争は排除できないと語った」との記事を掲載した。「ウクライナ軍の総司令官が水曜日(7日)ロシアとウクライナとの戦争は『限定的』核戦争を排除できないと語ったが、これは世界の破滅を含んでいる」というわけだ。

「ある条件のもとでは、ロシアが戦略核を使うという核使用の直接的な脅威が存在する。それは世界の主導的な諸国家が限定核紛争に巻き込まれる事態を、完全に排除することはできないということだ。そうなれば第三次世界大戦の可能性はすでに見えているといってよい」と、ウクライナ軍総司令官のヴァレリィ・ザルジニィが国営メディアのウクルインフォルムに寄稿した論文で述べているという。

ウクライナ戦争について論じるさい、核戦争や戦略的核兵器使用の可能性を述べるのは、ウクライナ軍の戦意を委縮させ、ロシアの脅威を強調するので好ましくないという議論もある。つまり、「敵に塩をおくる行為」だというわけだ。それはウクライナ人の研究者やウクライナの支援者が、繰り返し指摘してきた。しかし、ウクライナ軍のトップが限定的核戦争と戦略的核兵器について言及したというのだから、その危険性がよほど大きくなっていると受け止めるのが自然だろう。あるいは、サルジィ総司令官は、そう発言したほうが、作戦上有利だと考えているということかもしれない。

日本での共同通信による報道では、先にザルジニィ総司令官がクリミアへのミサイル攻撃について自国軍によるものだと認めたことを報じ、その後に戦術的核兵器の使用可能性を指摘したとされている。実際の順序はウクライナ語が分からなければ知りえないが、ことの重大さとニュース的価値からいえば、核使用の可能性のほうが断然大きな問題だ。クリミアへのミサイル攻撃については、これまでウクライナ政府が認めなかっただけで、ほとんどの人がアメリカ製のミサイルによる攻撃だと推測していた。

 

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