HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

核戦争の演習を始めたNATOとロシア;エスカレートするのか、コミュニケーションなのか?

ロシアとNATO核兵器をめぐる駆け引きは続いている。10月17日からはベルギーでNATOによる核戦争の訓練が始まり、ロシアでは10月末ころに核兵器の演習が行われるという。そんなことをすれば、お互いに刺激し合って核攻撃によるエスカレーションに発展するのではないかと憂慮する人もいるが、こうした訓練や演習がまさにエスカレーションによる核戦争を抑止するという説もある。


1990年だったからもう32年も前になるが、私はそのころ雑誌の編集者で、ある日、カメラマンをともなって福岡に日帰りの取材にでかけた。取材が終わったあと空港で一杯やりながら「冷戦が終わりそうだが、そうなると局地戦は多くなるかもしれないな」と言うと、カメラマンが急に激高して「そんなことをいう人間がいるから、戦争がいつまでも終わらないんだ」と怒鳴った。それまで仲良く談笑していたので驚いたものだった。

タブーの匂いがする話については、「口にするからなくならない」という、きわめて呪術的な感覚を持つ人は少なくない。戦争についても、ぺらぺらと口にするから存続してしまうのだと思う人は、やはりいまでもかなり存在する。ことに核兵器については、反対するのならともかく、核戦争についてあれこれ論じるなんてとんでもない、という人が多いのは今も変わらない。


経済誌ジ・エコノミスト10月17日号は「差し迫ったロシアによる核攻撃をいかにして探るのか」という記事を掲載している。経済誌だから不自然だとか内容のレベルが低いだろうと思う人は間違っている。英経済紙フィナンシャルタイムズや米経済紙ウォールストリート紙なども頻繁に核戦争について取り上げ、特にウクライナ戦争が始まってからは、かなり専門的なことも扱うようになっている。戦争や核兵器は、実は、世界経済に大きな影響を与えるから当然なのだが、今回のジ・エコノミストの記事は短いがなかなか興味深い。

すでに冒頭で触れたように、アメリカを含むNATOは10月17日からベルギーで「ステッドファースト・ヌーン」と呼ばれる定例の核戦争の訓練を実施しており、同盟国14か国が参加して60機の軍用機が飛び交い、そのなかにはアメリカから飛来したB52爆撃機も含まれるという。関係者は「これは定例で、繰り返されてきた訓練であって、ウクライナ戦争とは関係ない」と言っているらしいが、誰もそんなことを信じる者はいない。ロシアのほうも「グロム」と呼ばれる核兵器の演習を準備しており、ウクライナ戦争のさなか、お互いに核戦争が起こることを想定して、先制攻撃や反撃の実地訓練をやっているわけである。


仮想敵を想定した訓練が、本当の戦争を引きおこす危険があるというのは、必ずしも間違ってはいない。たとえば、2021年にはアメリカを中心とするNATOが、バイデン米大統領の肝入りで、ロシアを仮想敵として喉元の黒海で大がかりな海上軍事訓練を行い、英国の軍艦などはロシアの領海を侵して砲撃されている。これがウクライナ侵攻に直接つながったかは不明だが、国境侵犯に神経質なロシアを刺激して、原因あるいは口実のひとつになったことは間違いがない。

NATOのイエンス・ストルテンベルグ事務総長は、いまのような状況でステッドファースト・ヌーンを実施することについて、「中止することはNATOが弱い印象を与えてしまうから」だと述べているという。これに対して、アメリカのシンクタンクに所属するハンス・クリステンセンは「これこそ教科書に書いてあるエスカレーションの見本」であって、「お互いに自分たちが真剣であることを示しあって、その結果としてどちらも衝突から降りられなくなってしまう」と憂慮している。

では、どのような「エスカレーション」が想定されているのだろうか。すでに何度も書いたように、もし、ロシアが核兵器を使うとすれば、核に勝負をかける巨大な破壊力の「戦略核」ではなく、戦局を転換するための破壊力が小規模な「戦術核」を用いることになるだろうというのが、専門家たちのほぼ共通した見解である。ジ・エコノミストは、ロシアはこうした戦術核を2000発保持しており、100発しかないNATOとは大きな違いだという。

 

The Economistより:丸の大きさが破壊力。右下の小さい丸が戦術核


同誌は核兵器の知識として初歩的だと判断したのか、なぜ、このような「不均衡」が生まれたのか解説していないが、ざっといえばアメリカを中心とする西側が武器のハイテク化を進めのに、ロシアは追いつけなくなったために、戦術核で補うという選択をしたからだ。ちなみに、あるジャーナリストが、ロシアの戦術核は広島型原爆の50倍の威力があると書いていたが、これは何かの間違いで、そんなに大型では戦術核になりえない。あくまで戦場での戦術のために使われるのであって、戦術核は逆に小さく、広島型リトルボーイ)の3分の1程度とされる(上図参照)。

さて、話を戻すが、この戦術核をロシアはどのように配備しているのだろうか。興味深いことに、ロシアは「戦術核の弾頭を運ぶ軍用機やミサイルからは離れた、数十の兵器庫に収納していて、こうした配備の仕方から判断して、今は(先制攻撃ではなく)防衛目的であると思われる」というのである。ということはプーチン大統領が自国の戦術核を先制攻撃に使うときには、核弾頭の運搬が必要なわけで、こうした作業が始まるかどうかを観察していれば、ある程度は判断できると専門家は指摘しているという。

しかし、こうした見方は必ずしも正しいとは言えないと反論する専門家もいる。核弾頭を運搬するさいには、特別の列車かローリー車が使われるのでそれを見ればいいというが、ロシアは逆にその思い込みを利用して、普通の列車やトラックで運んでしまって裏をかくということもありうるというのだ。また、兵器庫から直接移動させるのではなく、たとえば、森林のなかに隠すという可能性もあるので、核弾頭の移動だけに着目するのは「ちょっとした賭けになってしまう」と述べているという。

ここまで読んできて、なぜ核弾頭の位置や個数が、西側に分かっているのか、それはおかしいと思う人がいるかもしれない。しかし、それは冷戦期からすでにさまざまな核兵器に関する条約によって、米ソがスパイをしあって概要を知っていることを前提とするようになったからで、威力や弾頭数は厳密な秘密事項ではなくなった。最近、アメリカ側が困ったのは、プーチンがそれまでの約束を守らずに戦術核を急速に拡大したことで、アメリカはスパイ衛星や情報網で詳細にチェックして確認していると思われる。ちなみに、核兵器に関する取り決めである「新START」では、ミサイル、爆撃機、潜水艦に装備できる核弾頭の数は、双方とも1550までと決められている。


こうして見てくれば、NATO側の定期訓練もロシアの演習も、自国の戦意を示すとともに、核兵器をある程度さらして威嚇するのは、ある意味でひとつのコミュニケーションでもあることが分かる。もちろん、それはお互いの生存がかかった、きわどい行為ではあるが、何も分からないままに核戦争をやるよりは、ずっとましだということで成立している微妙な関係なのである。戦術核についても、ロシアがどこまで本気で、いったい何を求めているのかを、もうすこし詰めてみることも必要だろう。

たとえば、カーネギー国際平和基金のジェームズ・アクトンは、先ほどのロシアが核弾頭の移動を隠蔽するという説は、プーチンの核攻撃宣言の狙いからすると、ちょっとおかしいと指摘している。「プーチンはロシアが核の使用の準備しているのだと、われわれに伝えたいのだと推測される。ということは、プーチン核兵器を実際に使いたいのではなくて、使うと脅して西側から妥協を引き出そうとしていることになるだろう」。

もちろん、この説は注目に値するものだ。ただし、プーチンがいまも合理的で冷静であることを前提としている。「戦争に独自のロジック」が働いて、そのことで最高権力者が合理的でも、また冷静でもなくなった例はいくらでもある。最近のはなはだしい例をあげれば、信頼できる証拠もないのにイラクに攻め込んだ、ブッシュの戦争がその典型といえるだろう。