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東谷暁による「事件」に対する解釈論

アフガニスタン撤退の失敗;ほんとうの原因はどこにあったのか

アフガニスタンからの撤退で、バイデン大統領が失敗をしたことは明らかだ。では、何が失敗だったのか、そして、その背景にあったのは何か。いま同時進行で起こっている現実と、失敗について論じられた分析から、これからの中東と世界について、ほんの少しだけ考えてみよう。

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バイデン政権にたいする批判や慨嘆は多い。世界で渦巻いているといってよい。たとえば、英紙ザ・テレグラフ8月28日付では「バイデンはアメリカが生み出したカオスに対し、何も聞いておらす、何も言えず、何も見えていない」との記事を掲載した。確かに、そう言いたくなる気持ちも分かるが、もう少し背景にも踏み込んでおく必要があるだろう。

 英経済誌ジ・エコノミストは、このアフガン問題について、何人もの国際政治学者や歴史家たちにこコメントを語らせた「アメリカン・パワーの未来」シリーズを掲載している。すでに10人くらいになっているが、ここでは日本でもよく知られている4人の見解を簡単に紹介してみたい。

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まず、フランシス・フクヤマだが、彼は今回のアフガン撤退そのものが、アメリカ時代の終わりを象徴する事件にはならないと述べ、アメリカがこれからも世界のリーダーとしてやっていくには、まず国内の政治的分断を何とかすべきだと指摘している。

 周知のようにフクヤマは、1990年に冷戦が終わったさい、ネオコンの立場から「歴史の終わり」を書いて世界に衝撃をあたえた。哲学者ヘーゲルが述べていたように、世界史とは「自由」が実現していくプロセスであり、自由を掲げてきたアメリカが社会主義を標榜してきたソ連に勝利したことは、「歴史の終わり」といってよい出来事だというのである。

 その後、自由だけの社会は脆弱であり、冷戦後の世界では「信頼」を確立して、「やる気」を醸成できる社会が、資本主義を発展させると補正した。しかし、2001年から2003年にかけてアメリカがアフガン戦争とイラク戦争を繰り広げたのに絶望し、『岐路に立つアメリカ』を書いてネオコンから離脱し、「現実的なウイルソン主義」に転じて、最近はアメリカの政治に関心を移していた。

 その意味では、アフガン問題を内政から論じるのは当然といえるが、アメリカ国内の政治的分断は、そのままアメリカが世界に対してもつ「ソフト・パワー」を減殺してしまっているという。いうまでもなく「ソフト・パワー」とは国際政治学ジョセフ・ナイが1990年に唱えた概念で、具体的にはアメリカの政治イデオロギーを途上国に移植することで、アメリカ中心の世界秩序を作り出そうとする戦略である。

 フクヤマがある意味でバイデン大統領に同情的なのは、アメリカがこれから中国とロシアに全力をあげて対決していくには、いずれにせよアフガンから撤退せざるを得なかったと考えているからである。実は、同じことをオバマ大統領も考えていたので、「中東から環太平洋に軸を移す」と主張した。TPPなどもその一環とされていたわけだが、オバマは結局のところこの軸の移動に成功していなかったとフクヤマは指摘している。

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アフガン撤退での混乱があったとしても、アメリカは地政学的なパワーが大きいので、すぐに世界のリーダーとしての地位を失うことはないと論じているのが、ロバート・カプランである。彼は日本では『地政学の逆襲』で知られているように、地政学(正確にいえば彼の場合、国際政治において地理的な条件を重視する立場)を強調する。

 「地理的条件は、アメリカがなぜ多くの戦争で計算違いや失態を演じても回復できたのかを説明するのを助けてくれる。それはちょっとしたエラーで大事にいたってしまう、規模の小さな国や地理的条件がみすぼらしい国とは大きく異なる。いま指摘されているような、アメリカの衰退というのは、やや大げさな話というしかない」

 カプランはアメリカに比べて、中国やロシアは国土は巨大だが、必ずしも地政学的に恵まれているとはいえないと述べている。たとえば、中国は国境ぞいの地域や辺境に民族的かつ宗教的に支配するのに難しい反政府勢力が盤踞しており、また、ロシアの場合も国境に自然の防御となる要素が少なく、そのため歴史を通じて外国勢力の侵入が繰り返されてきたという。

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英国生まれでハーバード大学教授の歴史家ニアル・ファーガソンは、ロスチャイルド家の歴史などで注目されたが、その後、『帝国』や『コロッサス』などで大英帝国アメリカ帝国との比較史を展開するようになる。イラク戦争直後に刊行した『コロッサス』では、アメリカを「不承不承の帝国」と呼んで、アメリカは帝国なのに帝国として役割をはたしていないと指摘し、派遣している軍隊が少ないことを疑問視していた。

 今回のコメントでは、冒頭でチャーチル海軍大臣を務めた体験が書かれてある『第一次世界大戦回顧録』から次の文章を引用している。「大衆は無知のままにとどめおかれ、政治的リーダーたちは選挙の票が欲しいために本当のことを伝えない。……好ましくないことに直面することを拒否し、国家の真の利益はそっちのけで、人気が出ることと選挙での成功を求める」。

 このチャーチルの文章は、ファーガソンによれば、大戦間の英国社会をよく表しており、同時に、いまのアメリカ帝国とよく似ているという。もちろん、まったく同じだというわけではなく、帝国が成長して最盛期を迎え、やがて衰退していくさいの局面が似ているというわけである。

 まず、大英帝国第一次世界大戦期にスペイン風邪が蔓延して、90万人といわれる戦死者だけでなく、その人の数におとらぬほどの病死者をだしていた。この点も現在と似ているわけである。大戦間にはヨーロッパにおいてはナチス・ドイツの台頭によって、国際政治もつねに危機に瀕しており、やがて第二次世界大戦へと向かっていった。

 経済問題もかなり似ている。大英帝国戦間期に巨大な財政赤字に悩まされていただけでなく、ソ連が急速に経済おいても巨大化しており、資本主義国への脅威となっていた。同じようにアメリカ帝国の場合も、いまや中華帝国といってよい勢力が経済規模を急速に拡大して、GDPにおいてアメリカ経済を超えようとしている。ソ連が最盛期においてもアメリカ経済の44%だったのに比べて、すでに購買力ではアメリカ経済を超えてしまった中国経済が脅威でないわけがない。

 そして、中国はすでに軍事的にもアメリカの巨大な脅威となっている。「もし、アメリカが抑止に失敗し、中国が奇襲攻撃でもかけようものなら、アメリカは長くて厳しい戦争に突入することになる。これは大英帝国スエズ運河を巡って開始した1914年から1939年までの戦争状態に匹敵するものだろう」。アメリカはいま、アフガン撤退などよりずっと大きな危機に向かっているのだという。

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最後は元国務長官ヘンリー・キッシンジャーだが、もともとは国際政治学者でウィーン体制を指導したメッテルニヒの研究者として出発した。政治学の著作としては『外交』や『中国について』などが知られている。七〇年代初頭から、まだ健在だったソ連を牽制するため、国際的に孤立していた中国との国交を秘密裏に回復した立役者である。

 2003年のイラク戦争のときには、それまで否定的だったイラク攻撃を支持して驚かしたが、『世界秩序』では危険すぎる戦争として批判した。アフガン戦争でいったんはカブールから退去したタリバンが復活したことについては、アフガン戦争の目的が、同時多発テロアメリカを攻撃した、アルカイダの掃討だったことを思い出すべきだという。

 いったんタリバンはカブールから退去したが、それはアフガン中に拡散しただけだった。ところが、アメリカはアフガンに親米政府を立ててしまったので、「アメリカは戦略的な焦点を失ってしまった」。その後、このアフガン政府を支援して同国の近代化を図ったが、それはアフガン人にとってなじみのないものであり、まったく成功しなかった。

 「というのも、アフガニスタンはこれまで近代国家だったことなどなかったからだ。国民であるという意識は、共通の政治的権威に対しての忠誠心と中央志向が前提となっている。アフガンには多くの要素はあるものの、この前提だけはなかった。アフガニスタンで近代的な民主主義国家をつくろうとすれば、何十年もかかることになるだろう。しかも、その行為はこの国の地理的かつ民族的なエッセンスをずたずたにすることを意味した」

 こうした指摘を聞いて、ただちに「人権、とくに女性のそれが尊重されないなら、秩序があっても意味がない」と思う人がいるかもしれない。しかし、それは西洋社会においても何百年もかけて育成されたものであり、急激な近代化をとげた日本でも、いまの状態になるまで百数十年かかっていることを思い出しておくべきだろう。

 「さらに、アメリカはタリバンを封じ込めることはできても、掃討することはできない。その結果、持ち込まれた政治形態はそれまでのアフガン社会の政治的コミットメントを弱めることはあっても、強めることはなかった。そして、新しい政府は腐敗の温床となっていったのである」

 アフガン戦争後、アメリカの支援が始まったが、当時、その経緯をみていた私(東谷)の仲間で笑い話になったのは、アメリカの金融機関のビジネスマンたちが、すぐにアフガンにでかけ、銀行をつくろうとしたことだった。それまで、近代経済が存在していないところに、現代の金融ビジネスは不可能だろう。そうした行為がすべて金儲けのためだとは言わないが、冷戦後のアメリカ人の行動には、この類の奇妙なことが多かったように思う。キッシンジャーは小論を次のように結論づけている。

 「アメリカはその政治的能力と歴史的価値感のために、国際的な秩序の中心的存在から逃げるわけにはいかない。そうであるため、結局、撤退するしかなくなるのである。アメリカは、そこそこの期間内で、こうした苦役のはての失敗を挽回できるような、ドラマチックな戦略的行為など存在しないということに、気がつかなくてはならない」