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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナをNATOに入れろと言うキッシンジャー;立場を変えた現実主義者の隠れた意図

ウクライナ戦争についてのキッシンジャー発言が話題になっている。これまでの立場を翻して、ウクライナNATOに入れたほうが、ウクライナおよびヨーロッパにとって安全保障を確立しやすいと述べているのだ。イラク戦争のさいにも、それまでは中東の政治体制を変えることには懐疑的だったが、当時のブッシュ政権の「民主化」支持に転じ、さらにその後に、元の立場に戻っている。今回はどうなのか。


経済誌ジ・エコノミスト5月17日号は、2日間の8時間におよぶキッシンジャーへのインタビューを掲載し、アメリカと中国の覇権をかけた衝突が10年以内に起こると予測して世界に衝撃を与えている。と同時にキッシンジャーウクライナについても触れて、ヨーロッパはウクライナNATOに入れたほうが、ウクライナおよびヨーロッパの安全保障にとって有効になると語っている。これは、ロシアによるウクライナ侵攻直後の提言からはさらに踏み込んだ発言、あるいは別の発想に基づくプランといえる。

ヨーロッパはウクライナNATOに入れるのは「危険だ」と考え、ウクライナに対しては武器の供与に限ろうとしてきたが、「これは間違ったやり方」だとキッシンジャーはこのインタビューで語る。「この戦争が終わったときウクライナはヨーロッパに守られた国のひとつとなっているべきで、孤立した状態のままであってはならない」というわけだ。そしてそれはヨーロッパの安全保障にとってもよいことなのだと強調している。


また、ウクライナのゼレンスキー大統領は「きわめて傑出した指導者」であると指摘し、中国の習近平と電話会談したのは、中国はたとえロシアと「無限の友好関係」を語っていても、中国はヨーロッパ外交とは軌を一にしないことを見破っているからだと指摘している。つまり、中国はウクライナの国際的地位においても、別の見方をするだろうと、ゼレンスキーは予測しているというわけである。

なぜ、このような発想の転換キッシンジャーは行い、それを長大なインタビューのかたちで発表したのか。彼は5月27日で100歳を迎え、これがおそらく遺言となることから、ポスト・ウクライナ戦争と米中関係の近未来を提示しておきたいと思っていることがあげられる。そして、それと同時に、1970年代に自らが生み出した、アメリカと中国を軸として構成される「世界秩序」の崩壊を阻止したいということなのかもしれない。


ほぼ9年前に著作『世界秩序』を発表したさい、イラク戦争を支持したことを事実上反省するかたちで、世界のそれぞれの地域の秩序は民主主義的か否かによらずに、それぞれの地域にまかせて、その上に世界全体の秩序を組み上げるという構想を提示していた。この構想をいまもキッシンジャーは維持しているように思われるが、ただし、中国との関係においては、共存を強調することが必要だということなのだろう。

そして、ウクライナ戦争というヨーロッパ東部の混乱については、このインタビューにおいて「ウクライナはメジャーな国になった」という認識を示している。このメジャーという言葉の意味は、大国という意味ではなく、この戦争を通じて自立した国家としての形を整えたということなのだろう。たしかに、国土は疲弊しているが、世界の国々から支援を受け、ウクライナナショナリズムのもとに祖国防衛戦争を遂行して、強くアイデンティティを形成することに成功した(する)と見ているのかもしれない。


ここからは、私の勝手な連想だが、ウクライナのいまの位置づけは、日露戦争を戦っている日本とかなり似ている。もちろん、当時の臆面もない帝国主義という時代背景は異なるが、当時の日本は急激に成長するなかで、近代国家としてのアイデンティティを最終的に確立したのは、日露戦争であった。そして、その過程において大英帝国の支援をうけつつ、また財政的にはユダヤ資本を味方につけ、国際社会のなかで「メジャー」となっていった。

しかし、ウクライナのこれからについていえば、こうした連想がある程度の有効性があるとすれば、実は、近代国家としての日本の勝負は、それ以降が正念場だったことを思い出すべきだろう。欧米を中心とする国際秩序のなかで、現状肯定勢力のなかに入り込んでいくのか、あるいは現状変更勢力となってアジア諸国のリーダーとなっていくのか。日本がよろよろと進んでいったのは、後者への道だった。それが必ずしも悪いとはいわないが、困難の自覚とそれを切り抜ける用意があまりに不十分だった。


キッシンジャーの今回のNATO加盟構想は、ある意味で(あくまである意味で)自然なものといえる。ウクライナは経済や国土の荒廃の半面、周辺諸国に比べて巨大なナショナリズムを伴った軍事大国へと変貌している。それは、ウクライナ戦争後においてどのように表れてくるのか。ウクライナがいまの戦争の延長線上に独自の立場を強調していくことは、必ずしもヨーロッパにとって安定要素とはならない。

それなら、ウクライナNATOに参加させてしまい、「NATOのなかで独自の領土的な決定はできない」(キッシンジャー)という締め具=NATOを与えるという構想ともいえる。ただし、キッシンジャーは「他は放棄させてもセバストポリはロシアに残す」とも述べているのは無視できない点だろう。「ロシアは不満だが、ウクライナも不満」という条件は必要だとしているのである。

キッシンジャーに言わせれば、それは「バランス・オブ・ディスサティスファクション」(不満足の均衡)になるわけで、そうした措置こそ、現実主義者であるキッシンジャーの「世界秩序」維持の要諦であろう。一見、ウクライナへの優しい配慮のように見えて、実は、新しい活力を得た新興国に対する、バランス・オブ・パワーの鉄則の冷徹な適用ということになる。