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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ロシア軍の本当のレベルはどのくらい?;状況や気分に左右されない評価が必要だ

ルハンシク州セベロドネツクの半分を回復したと、ウクライナ側が発表したかと思うと、翌日にはロシア側が同州を97%を制圧したと発表する。いったい、どっちが本当なのか分からなくなる。戦争だから両方とも「大本営発表」なのだろうか。ウクライナ東部の戦いはどうなっているのか。そして、いまさかんに報道されている、ロシア軍が実はきわめて弱い軍隊だったという説は、どこまで本当なのだろうか。


米国の軍事研究機関CNAのロシア専門家マイケル・コフマンは、ロシア軍が当初の目的を達成できなかったことは確かだが、これまでの戦いから「ロシア軍は弱い」と思い込むと、とんでもないことになると警告している。英経済誌ジ・エコノミスト6月7日号に寄稿したコフマンの論文「NATOウクライナでのロシア軍の失態から、間違った教訓を引き出すべきではない」は、西側諸国メディアや評論家が陥りやすい錯誤を指摘している。

プーチン大統領ウクライナ侵攻には、大きな誤算があったことはたしかだ。しかし、NATOの一部にあるような、これまでの戦いだけから過剰に教訓を引き出すやり方は、長期的なヨーロッパの安全保障を見間違う危険がある。ロシアはすでに戦略的な敵対者でなくなったわけでも、また、単なる見かけだけの張り子のトラでもない。この数日のウクライナ東部でのロシア軍は、精彩を欠いていて、遅々として進まないが、それなりの成果を生んでいる」


この記事が掲載されたのが6月7日、ロシア側のルハンシクの97%を制圧したという発表が報じられ、ウクライナ側がこれを否定しなかった日であったことは、やはり、何らかの意味があるだろう。コフマンはかつて、2020年のロシア軍によるシリア爆撃を、ロシアの軍事に新しい局面が来たと論評した軍事専門家である。それはロシア軍を高く評価するというよりは、むしろ、ロシア軍の現実を過小評価しないという点において、一貫していたと言うべきだろう。

「軍事専門家の世界は、まるで振り子のように左右に動く、ニュアンスが支配する政治談議には距離を取ろうとする。もし、かつてのロシア軍があまりに過大評価されていたとすれば、いまは逆に過小評価されようとしている。しかし、現実というものは、その両端のまんなかにあるといってよい」

ウクライナ侵攻を開始した当初、ロシア軍は不可能な戦略を押し付けられ、達成不可能な目標を追いかけさせられた。兵士たちは戦争の目的について、ほとんど何も知らされていなかったし、その準備もしていなかったとコフマンはいう。いわば軍事の失態以前に政治の錯誤が存在した。しかし、いまのドンバスでの戦いでロシア軍は、これまで訓練されたやり方で戦闘し、その戦いのための組織化も行われているので、それなりに作戦を遂行するのが可能になっていると指摘する。

今の状態では、ロシア軍がNATOと戦うのは困難であるだけでなく、他の国の軍隊との戦いでも必ずしも有利に展開できるとは思えない。しかし、だからといって、NATOの一部のように、ロシア軍を甘く見るのは禁物である。ウクライナ軍がロシア軍に対して善戦しているからといって、NATOの勝利は当然のことのように考えるのは、まったく間違っている。これは第2次世界大戦のさいに、フィンランド軍がソ連軍の侵攻を退けたのを見て、ナチス軍がバルバロッサ作戦の成功を妄信し、ソ連に安易に侵攻して壊滅したことを思い出すべきだろうと、コフマンは論じている。


戦争はそのときの文脈のようなものに大きく作用される。また、そのときのタイミングも大きな要素となる。今回の場合には、ロシア軍はウクライナ戦について訓練も十分でなく、リーダーシップもあいまいで、方針すらしっかりしていなかった。これでロシア軍によい戦いをしろというのは無理だろう。たとえば、ロシア軍がキーウ攻略から始めずに、有利だったクリミア方面から侵攻していれば、ウクライナの領土をもっと広範囲を占領し、それはいまも続いていたかもしれないという。

そしてまた、アメリカが武器だけでなく他の(たとえばインテリジェンスなどの)分野での援助が、いったいどれほどだったのか、どれくらいの効果があったのか、まだ明らかになっていない。いずれにせよ、ロシア軍がいまどのような状態にあるか、これからどうなっていくのかについて、改めて評価のし直しが必要だろう。

いまやロシア軍は、ウクライナにおける広範囲での作戦の経験をへており(失敗したわけだが)、どうすれば消耗の激しい不利な戦いになるかも分かっている。今回の大失態を取り戻すには数年かかると思われるが、今回の経験は半端に成功するよりずっと学習効果があったはずだという。そのいっぽうで、西側諸国はアフガニスタンでひとつの空港すら確保できないという大失態から、ウクライナでの予想外の成功に転じて興奮状態にある。こういうときこそ、相手を侮る危険があるというわけだ。

「通常戦争の継続は、マンパワー、物量、兵器の質、そして供給を持続できる軍需産業があって初めて可能になることを、改めて思い出す必要がある。NATOにあっても、ロシアがウクライナで経験したような、多くの問題が生まれないとも限らない。ロシアは大きな損失を経験したが、早晩、軍隊は再建されることになる。たしかに経済的制裁はロシアの軍需産業に大きな打撃を与えるが、ミリタリーパワーとしてのロシアを軽視するのは、今回の戦争から生まれた過てる教訓ということになるだろう」

しばしば、今回の戦争でロシア軍を撃退すれば、ロシアという国の存在も消えるような論調がみられる。また、ロシア国内の世論も精査せずに、プーチンは失脚するか暗殺されるかして、新しいリーダーが誕生するような説もある。しかし、これはひところあった、中国崩壊説と似ていて、自分たちが鬱陶しいと思っている存在は、消滅すると唱えることで精神的な安らぎを得ようとする、ご都合主義的な妄想でしかない。本人たちは見識を示したつもりなのだろうが、相手を必要以上に小さく見るというのは、実は、世間に妄想と油断を蔓延させる危険極まりないことなのだ。


おそらく、ウクライナ東部の戦いはしばらく継続するだろう。今回取り上げたコフマンはAFPのインタビューに答えて「ウクライナはロシアに領土を占領されるかもしれない。しかし、ロシアが占領を長く続けられるかには大きな問題がある」と語っている。また、プーチンのほうだが、病死や事故死はともかく、暗殺によって「消滅」するという願望は、あの長いテーブルを見る限り、かなえられないだろう。


そしてまた、ロシアという国の存在も、たとえアメリカが望んだとしても、消えることはない。冷戦が終わったころ、もはやロシアは存在しないがごとく論じる人がいたし、中国もそうしたロシアの後を追って社会主義体制が崩壊するどころか、国家としての存在もなくなるという評論家が何人もいて、呆れたことを思い出す。その国の体制が変わることと、その国がなくなることは一致しない。30年たっても、無意味な「おまじない」をがなり立てる類の人間は、やっぱり消滅してくれないのである。

【追記】2020年のシリア空爆についての論文「シリアにおけるロシア軍」のなかでコフマンは、モスクワ政府はあくまでシリアに敵対する勢力を破壊するのが目的だったが、ロシアのエリートたちは実質的な成果よりも国威の発揚であり、ロシア軍がどれくらいの軍事行動ができるかのプレゼンであると受け止めていたと述べている。