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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナの反転攻勢が「失敗」した原因;あらわになったアメリカの「計算違い」と「思惑違い」

ウクライナ軍による反転攻勢はアメリカ側の計算違いで「失敗」し、今後も成功の見込みは立たないと見られるようになった。これはもちろん、ウクライナ政府および軍の失敗でもあるが、戦争遂行に必要とされる武器弾薬および財政を支援してきた、アメリカの責任は大きい。にもかかわらず、イスラエルハマス戦争が始まるとアメリカは、すでに停戦への動きを本格化しようとしているのである。


米紙ワシントンポスト12月4日付はかなり長いレポート「反転攻勢プランをめぐってアメリカとウクライナは計算違いをして分裂していた」を掲載している。すでに日本でも報じているメディアもあるが「当初の想定が外れて」と述べるなど、日本のメディアでは責任の所在がどこにあるのか明確ではない報じ方をしている。同紙は「ワシントンの計算違い」と明記している。

全部を紹介するのは無理なので、同紙がサマリーにしてくれている部分を中心に紹介しておきたい。そのまえに、冒頭に触れておこう。ブリュッセルで2023年7月に開かれたNATOでの会議では、アメリカのオースティン国防相ウクライナのレズニコフ国防相をなじる部分が出てくる。これが「計算違い」のほとんどを物語っているといってよい。この会議は双方の「不満でいっぱい」の会議だったという。


オースティンは、アメリカや西側諸国が供与している地雷除去装置や煙幕を使えば前進できるではないかと述べ、これに対してレズニコフは、戦闘については司令官たちが決めているが、問題は制空権をとれていない状態で、装甲車はあっけなく破壊されてしまい、それから降りて徒歩で前進するしかないのだと反論している。レズニコフの反論の仕方は責任逃れのようでもあるが、いまになってもアメリカのF16が前線を飛んでいないことを考えれば、レズニコフの言い分はもっともな部分がある。

このレポートの論点を紹介しよう。まず、ウクライナアメリカ、英国はドイツの米軍基地で戦争ゲーム(シミュレーション)を8回繰り返したが、もうこのときから「ワシントンはウクライナ軍がどこまで西側先進国型の戦争ができるかについて計算違いをしていた」という。いちばん大きな見込み違いは、ウクライナ軍に制空権を獲得する空軍力を与えていないのに、それが達成されているかのようなシミュレーションだったことである。


当然のことながら、そこでアメリカ側とウクライナ側には、戦略、戦術、攻勢のタイミングについて、大きな対立が生まれた。ペンタゴンアメリカ国防総省)は4月の半ばにはロシアが防衛線を強化するのを、ウクライナ軍の攻撃によって阻止することを求めたが、ウクライナ側はその作戦には乗り気でなく、兵器の追加と訓練が行われてからにさせて欲しいと述べていたようである。

それでもアメリカ側の軍人たちは、機械化されたウクライナ軍ならば、その時点での武器と兵士によっても、ロシアの防衛線を突破する可能性があると見ていた。シミュレーションでは(おそらくアメリカ側が主導したのだろう)、順調にいけば60日から90日くらいでウクライナ軍はアゾフ海に到達し、ロシア軍の南部戦線と東部戦線の連携を切断できるという結論に達していたという。


しかし、なおもウクライナ側はこうした南部戦線に集中する作戦には同意できず、ウクライナのリーダーシップ(おそらくゼレンスキーを含む)は、アゾフ海につながるメリトポリとベルジャンスクに加えて、英雄的戦いのシンボルになったバフムトにも戦力を割きたがったし、実際にそうしたのである。そのため戦線は600マイルに伸びきって、3つに分裂してしまった。

そのいっぽうで、実はアメリカでも情報機関は、はるかにアメリカ軍関係者よりも悲観的で、ウクライナの反転攻勢は簡単ではないことを予想していた。というのも、ロシアはウクライナの反転攻勢が始まる前の冬と春の間に、さまざまな防御的な構築物を強化しており、これが戦闘のさいに十分に役立つとすれば、かなりうまくいっても、ウクライナ軍とロシア軍の勝敗は5分5分だと見ていた。


そしてまた、ウクライナアメリカを含む西側諸国は、ロシアの戦場における壊滅的被害から立ち直る能力だけでなく、戦闘力を持続させる力をまったく軽視していた。(それは西側の多くのジャーナリズムもそうだった)つまり、ロシア兵士の戦闘力、地雷原の威力、そして前線の兵士たちが、他国には見られないほど生命を賭して戦う意志をもっている事実を重視しなかった。

もうひとつあるとすれば、やはりウクライナ軍はロシア軍との戦いで壊滅してしまう恐れがあったことだという。それが兵力を一気に投入して反転攻勢を短期間に展開するという戦いをしなかった理由だというわけである。アメリカの高官たちはまったく逆に、断固とした決断でロシア軍に臨まなければ、犠牲者は結局のところ膨大なものになると信じていた。


実は、すでにこうした観点は、ウクライナ軍が停滞するなかで、繰り返し指摘されてきたものだ。ここに入っていないのは、たとえば、アメリカ軍の高官の多くは中東での戦いの経験をウクライナにも適用してしまい、制空権を確保していないなかで、市街戦での複雑で残酷な戦闘を知らないのではないかという疑いもあった。また、ウクライナ軍はソ連時代の戦争にこだわっているので、近代化されないのだとのかなり見下した議論もあった。

とはいえ、イスラエルハマス戦争が始まってからの展開をみれば、アメリカは「ロシアが2度と侵略できなくなるまで兵力を減退させる」という戦争目的を、まったくの「代理戦争」で遂行することができるという、もっとも大きな「計算違い」「見込み違い」をしたことが明らかになっている。イスラエルは長年にわたってアメリカが徹底的に軍事と財政を支援することで成長した軍事国家である。しかし、ウクライナはロシアによる侵攻が始まった時点で、対戦車ミサイルアメリカから購入していて、それが絶大な効果を見せたが、長期的な戦争に耐えられる軍事力や経済力を備えていなかった。

こうしてみれば、ウクライナ戦争というものが、いかにして始まったか、その背景とそれまでの経緯を、もういちど振り返る必要が出てくる。そしてそれは、単に最近の「ワシントンの計算違い」にとどまらない、1990年代からのアメリカの世界戦略そのものの「ワシントンの思惑違い」が浮かび上がってくるだろう。